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自分自身を慈しむことが他者を助ける:『はじめての利他学』

「利他」が偽善的であるという印象を持つ人もいます。だから実際には行動に移さないことがあるかもしれません。

この感覚の背後には、どこか「利他」が悪用されてきた時代や思想があったのではないでしょうか。

例えば、「お国のため」という教育の影響や、それに対する反省が、こうした疑念に繋がっているのかもしれません。

だからこそ、「自利利他」という「自利」がセットになっている考えは、私たちにとって救いになるのではないかと感じます。

他人を活かそうとするときに決して自分自身を犠牲にする必要がないことを示してくれているからです。

そして同時に「利他」ということは仰々しいものではないことを自覚したいのです。

日常の中で、実は簡単に取り入れられるものでもあるのです。

道元の「愛語」の教えがあります。

愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。 

『正法眼蔵(四)』水野弥穂子校注 岩波文庫

道元は、まず人々を慈しみの心で見守り、愛情あふれる言葉で接することが大切だと説いています。

私たちが使う言葉には、決して乱暴であったり、暴力的な言葉は用いないように、ということです。

でも、ネットで誹謗中傷を行ったり、あからさまな暴言を吐くことはないにしても、私たちの日常生活の中でふとした瞬間に他人を傷つけるような言い方をしてしまうことがあります。

イラッとしたときに嫌味な言い方をしてしまったり、素直に「ごめん、悪かった」と謝れない場面もあったりします。

それは特に、目下の人や、子どもであったり、自分より弱い立場の人に向けられることが多いかもしれません。

そして、同時に、言葉をかけるのは他人に対してだけでもありません。

傷つける言葉や乱暴な言葉を自分自身に対してもかけていないか、

そう振り返ることが実は肝要なのではないでしょうか。

自分にも、慈しみの心を持って、愛情あふれる言葉をかけることができるのか。

これも「自利利他」の一歩だと思うのです。

あなたはどう思われますか?

▼参考図書


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