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音楽のサンプリング元を辿っていくと思いがけず名文に出会った『Inside My Love』
サンプリングとは、既存の楽曲から一部のフレーズを切り取り素材として活用し新たな楽曲を制作する手法のことを指す。
HIPHOP界隈で特に活発であり馴染み深い用語ではないだろうか。
著作権云々で難しい面もあるだろうが、お気に入りの曲がサンプリングされた別の曲を聴けば「このフレーズ、あの曲のサンプリングやん!」とテンションが上がること請け合いだし、サンプリングをしたアーティストも当然その元へのリスペクトがあって少なからず影響を受けているはずなので新たなお気に入りとなるパターンの期待も高い。
そういうわけで、自分はこのサンプリングを見つけて関連する音楽を辿っていく時間が好きだ。
今回のきっかけとなった曲はこちら。
沖縄のHIPHOPクルーShinishi Canto。
個人的に応援していたeスポーツの元プロ選手が在籍していることから聴き始めた…というえらく異端な入口だが、聴けば聴くほどに味の出る曲揃いで、HIPHOPだけど綺麗でオシャレなトラックとラップが結構自分好み。
そんな彼らの『旅先にて』という曲の中でループしているフレーズに覚えがあった。
アメリカのプロデューサー、Kenny Dopeの『Get On Down』。
クラシックな曲調で、か細くも存在感のある声のような音色と優しいピアノのトラックが心地良い。
これが『旅先にて』のサンプリング元であることは一聴して明らかだった。
元々この曲はSpotifyでサジェストされて聴いたときから知っていてお気に入りだったので、偶然にも繋がりを発見できたのは、前述したパターンとは逆に「新しくお気に入りとなったアーティストの曲を聴いていくと、実は他のお気に入りの曲もサンプリングしていた!」という偶然の喜びがあり、自分の音楽を聴く耳への信頼を再確認できて何だか悪い気がしない。
調べてみるとこの曲は世界的にもかなり支持を集めているらしく、日本でもクラブでよく流れるとのこと。
ただ、どうやらこれが本当の原曲という訳でもないようで、さらなるサンプリングの大元として、同じくアメリカのシンガーMinnie Ripertonの『Inside My Love』があることがわかった。
70年代に活躍した彼女は5オクターブもの広い声域を持ち、その美しいハイトーンボイスは歌唱力の高さだけでは説明がつかない不思議な魅力を纏っている。
『Get On Down』で聴いた声のような音色は本当に声そのものだった。
あれはこの動画の3:04~3:09あたりをサンプリングしてループさせていると思われるが、この前後も惹かれる展開で結局丸ごと通して聴いてしまう。さすが原曲といったところか。
他の代表曲『Lovin' You』を聴けば「あぁ、あの曲を歌ってる人か!」となる方もいるはず。
そのカバー曲の多さからも、プロ中のプロなんだろうなという印象を受けた。
検索ワードの手を変え品を変え色々と情報を調べていくうちに、とあるブログに辿り着いた。
とりあえず一通り読んで、また曲を聴いてみてほしい。
記事の中では彼女がこの曲の制作時には癌に冒され余命が迫っていたこと、演奏のレコーディングには即興から生まれたフレーズが含まれていることに言及しているのだが、それらを総括した以下の一文を読んで、自分はとてつもない衝撃を受けた。
私が「Inside My Love」に触れるたびに心がねじれてしまうのは、
最後のリフレインにむかう寸前のJoe Sampleによるフェンダー・ローズ・ピアノのソロのパート・・
自らの命の限界を悟ったMinnieの魂から放たれる声の伸びと・・
Joe Sampleの指から放たれる「偶然」・・
この8小節に触れて何も感じない人は・・、
Soul Musicに立ち向かう感性に欠如していると、
敢えていわせてもらいたい。
これに触れて何も感じない人は感性が欠如している…?
唐突な強い表現に面食らってしまった。
ともすれば排他的な厄介オタク仕草とも捉えられかねない言葉。
しかしながら、どうしてか頷かされる説得力がある。
伸びる声は肉体を超越して淡い光が昇っていくように輝き、誰にも再現できない偶然が生んだピアノの音色は手向けのように捧げられるイメージを映し出し、それを一瞬で暗転させる最後の3行は決して余韻を台無しにするものではない。
それこそ、心がねじれるほどに愛するあまり溢れ出た独白により作品の尊さが補強されているのではないだろうか。
ただのテキストにここまで複雑な感情と情景描写、凄みを帯びさせることができるとは…圧倒されるばかりだ。
さらに驚いたのは、このブログに寄せられたコメントの感想。
否定的な言葉としてではなく
そう言ってしまいたいくらい
「好き」「素晴らしい」という簡単な言葉で表したくないような
気持ちは何となくは分かります。
ブログ主の意図を汲み取った何気ないフォロー。
一言一句が過不足なく『Inside My Love』の熱に当てられた効能を実感として読者に馴染ませてくれるような気がする。
大げさかもしれないが、ここの人々が普段どれほど音楽に真摯に向き合ってきたのかがわかるようだ。
後で気が付いたことだが、このブログ記事は2007年に記されたものらしい。
今時のインターネットにこんなコミュニティがどれほど残っているだろうか。
こういう混じりっ気のない純度100%の愛が集まる場所に思いがけず名文は生まれるのだろう。
自分も素人ながらnoteで人に読んでもらう文章を書いている身として、書くこと自体を目的と履き違えぬよう背筋を叩き直される気分だ。
良き体験をさせてくれた先人に感謝しながら、ふと、もうかれこれ長いこと、彼らのようにひとつの愛すべきものに心血を注ぐことを止めてしまって久しいことに気が付く。
ここ数年はダンス、マラソン、eスポーツをはじめ、我ながら幅広く多様なカルチャーに身を置いてきたものだが、無意識のうちに律儀にバランスを取るかのように広く浅くを体現してきた。
コンテンツ飽和時代にコスパの良いスタイルへ最適化されたと言うべきか、己の感性や能力に底を見るのが怖くてセーブしてしまうのか。
何にせよ、打算的な思考など持ち合わせずただひたすら目の前に没頭するあの光景が自分には眩しく見えて仕方なく、ときに嫉妬すら覚える。
まぁ、そんなことで気を病むタマでもないので、今日もあっちこっちをウロウロしてはそれぞれの道を究める人々の知見に触れながら人生の方位磁針を微調整していく。
まだ見ぬ出会いの取っ掛かりはあればあるほど良い。
その全てが有限の人生を豊かに彩ってくれるのだから。
もしくは、自分がそれを仕掛ける側になれるなら。