生まれつき左手の指1.6本分しかないけど、まあ何とでもなった話。<少年編>
父親が今の自分の年齢の時に、僕は10歳でした。
もし今の僕が、自分自身のような先天性の疾患がある子供を10年も育ててきた立場だったとしたら? ものすごく大変だったと容易に想像がつきます。
しかし一方、子供側の立場としては大して何も思っちゃいなかったなと気楽に考えている自分もいて、このギャップを
世のお父さんお母さんに安心感として伝えられないか
と思い立ち、35歳の誕生日をきっかけにこうして筆を執りました。
この記事では、自己紹介がてらその時期のエピソードを紹介し
・自身の経験に対し客観的に意見するパート
・当時感じていたことを思い返して、今どう考えるかを主観的に訴えかけるパート
に切り分けつつ、<少年編><青年編><成人編>で古い記憶からお伝えすることで、「どのように何とかなったか」をお話ししていこうと思います。
文章やレイアウトで見づらい部分は、随時編集・改善していきます。
ちなみに、右手は無事です(笑)
幼少期の勘違い
物心ついたのがいつだったかは定かでないのですが、少なくとも幼稚園生になる4~5歳くらいの記憶だと思います。
その頃になってようやく、「どうやらぼくのてはみんなとちがうみたい」と思い始めました。会う人会う人に「かずあきくん、そのおててどうしたの?」と聞かれたからです。
どうしたもこうしたも、それまでの自分にとっては左手の指がとても短いことは至って普通なので、理由を聞かれても答えることができません。ですから、母親に聞いたのです。
「かあさん、どうしてぼくのおててはゆびがちっちゃいの?」
今でもはっきり覚えているのですが、母の答えは
「かずあきも大人になったら生えてくるよ。」
【客観】
お母さんや、嘘はいけないですぞ(笑)
ただまあ、世の中には優しい嘘という概念もあり、このケースは間違いなくそれに当たるでしょう。幼稚園でできたお友達に毎度尋ねられる場面を目撃し、そのたびに首をかしげる子を傷つけまいとする母の愛です。
この答えは有効で、歯が生える・爪が伸びる・服や靴が小さくなる、これらを区別なく「成長」と認識している幼児なので「指が伸びる」ことも自然に受け入れられます。説得力のある誤答により、息子は自信をもってお友達に指が短いことの説明ができるでしょう。
いつから考えていたのかは不明ですが、母としてというより20代の若者がひねり出した答えとしては上出来に見えます。(親同士の会話ではもちろん真実が語られていたはずですが、殊更その認識を正すような真似をする大人はいないでしょう)
【主観】
子供だからすぐ忘れるだろう、という打算もあったのかもしれませんが、こちとら年少から年長、幼稚園から小学校、学年が上がってクラス替え、習い事の英語塾やスイミングスクールなどなど、新しい同世代と知り合うたびに説明することになるので、その間違った認識をずーっと引っ張るんですよ。
幼稚園のとき「おとなになったらって、いつ?」と切り返され「ち、ちゅうがくせいぐらい!」と答えたことがあり、いつしか”中学生になったら生える”が自分の常識になっていったのですが、もちろんだんだんと嘘だと気づいてくるわけです。
「もしかして、お母さんはぼくにウソを教えたのかもしれない」と疑わなければいけないのは、とてもつらいことでした。自分にとって一番大事なことで、大好きなお母さんに嘘をつかれたというショックが、「やむを得ない事情があったのかもしれない」と察せる年齢になるまで、何年もずっと続きました。もしいま同じような立場に置かれた親御さんがこれをお読みくださっているなら、今を取るか、自然に理解できるまで待つか、事実を理解させるか。ぜひお子さんのことを思って再考してあげてください。
優しい嘘は、やっぱり嘘なんです。綻んだ時に傷つける諸刃の剣です。
子供社会への介入
子供同士での競争は多岐にわたります。かけっこが早い、給食をたくさん食べる、けんかが強い、テストでいい点を取る、などなど。日常生活の要素が一気に増えます。
左手で物を掴むこと全般を避けてきたので、左右の力の差が浮き彫りになっていき「両手で何かをする」こと全般が苦手になりました。
例えばお碗を左手で持つことはできるものの、指で支えることができないので手のひら全体で覆う必要があります。熱かったり冷たかったりしたときに、非常に影響が大きいです。お弁当を食べていた幼稚園では起きなかったことです。けんかをしようにも、右のパンチしか来ないので左側に行かれると必ず負けるし、雑巾で掃除するにも片手では固く絞れないので僕の拭いたところはベチャッとします。
そんな僕を見かねてか、僕が自立できるようお手伝いしてくれる人たちが現れます。手を使わずに済む遊びに誘導(サッカーとか鬼ごっことか)する友達の親、自転車のブレーキを改造してくれた自転車屋、縦笛を指導してくれた音楽教師……本当にいろんな人が世話を焼いてくれました。
【客観】
ほかの子供たちと一緒に心身が成長できるように、過干渉となることなくハンディキャップを埋めるには、常に誰かの目の届く範囲においておき様子を観察するしかありません。支援学級に入れることで観察度合を上げ効率化する案もあったはずですが、そうせずとも社会に溶け込めるよう尽力できる、立派すぎる大人が周囲に多くいたことは、非常に運が良かったと言えます。
感謝しているのかどうなのか、当人はあっけらかんとしていますが、自分にできる範囲で各大人たちが動いてあげることは、時代や土地柄によらず必要となりますので、無償の愛による子供へのサポートはとても尊いことです。
【主観】
大人の干渉は、残念ながら余計なお世話だと思っていました(苦笑)
極端な話、子供だけで完結する部分は子供社会の中で解決できています。クラスで野球が流行っているときにサッカーボールを渡されても…というのがあって、一番野球のうまかったK君が考案した「片手野球」(ゴムボールを受ける、投げる、プラスチックバットで打つのも全て利き手のみで行うルール。両手を使うと強制ヒットや強制アウトになる)でやればよく、その中で派生した逆手でバットを持って打つ「アバンストラッシュ打法」はカッコいいと評判で両手野球にも採用されるほどでした(笑)
ちなみにこのK君、学年が上がり金属バット+グローブで遊ぶようになった折にも、「この左手で投げたら、全球『パーム』だ!すごいよ!」と教えてくれ、右利きながら右手にグローブをつけ左投げを練習する(普通は利き手で投げる)きっかけもくれました。まさか左手に使い道があるとは自分でも思っていなかったので、これは人生の中でも非常に大きい価値観の変化でした。 ※パームとは、親指と小指でボールを挟み掌で押し出すように投げる変化球のことで、元・中日ドラゴンズの浅尾投手らが投げた実績がある。
体が成長し、補助輪のころから乗っていた自転車ではいよいよ窮屈となって大きいものに買い替えたときのことも印象に残っています。カッコいい変速ギア付きの銀のマウンテンバイクに跨り、古い青の自転車とはおさらば、となったタイミングで、父親が言いました。
「大きな自転車でスピードが出ていると、右手のみでブレーキをかけたら前輪が止まり前につんのめって危ないのではないか」
「なんとか、この子の左手でブレーキを握らせることはできないか」
それもそのはず、4年乗った旧自転車の前輪ブレーキはすり減りスカスカになっていました。なるほど、と考え込む店主は、次にこう提案しました。
「両輪でブレーキするに越したことはないですが、後輪だけでも止まれます。見たところ前輪に比べ後輪ブレーキはほとんど摩耗してないので、お子さんは左手でブレーキをすることに新たに神経を使うより、右手で後輪が止まるように改造してはいかがでしょう」
これ以降四半世紀が経ちますが、僕が乗り換えた自転車は100%後輪を右ブレーキに調整しています。改造パーツを作成しその使い方を覚え両輪でブレーキを、となり得る分岐点でしたが、(僕自身が無茶な乗り方をしたこと以外で)事故もケガもありませんので、あの判断は正しかったと思います。ちなみに、自転車屋さんで「え、そんなことできませんけど」と左右調整を拒否られたお店には、二度と近づかないようにしています。
小学校での音楽のS先生にも、とても感謝しています。当時「キツめのおばあさん」な印象でしたが、まだお元気でしょうか。
3年生に上がるときのこと、ハーモニカからソプラノリコーダーに学習楽器が変わるとき、大問題が発生しました。左手で穴が押さえられないので高いほうからドシラソファ、までしか音が出せなかったのです。「自分には絶対にできないこともあるんだ」と3年生に上がる前にわかってしまいました。
しかし、ベテランの音楽教師にかかれば、全くそんなことはありませんでした。「かずあきくん、一緒にいいところに行きましょう」そう言って、先生に連れられて、ある日授業を抜け出すと校門で母親が待っており、電車に乗って工房のようなところに連れて行かれました。
そこには僕と同じように笛を抱えた、いや親指も無い分もっと僕より笛が吹きにくそうな女の子がいて、初めて自分以外に仲間を見つけた思いがあったのを覚えています。僕らは知らないおじさんの前に座り、持てない左手で笛を持たされ、届かない指で穴を抑えるふりをさせられました。すると、先生とおじさんは何やら話し始め、左手親指の位置と、小指の付け根の掌部分が当たっていた位置に◎印をつけたかと思うと、奥にあった大きなドリルで僕の真新しい笛を貫きました。隣の女の子の笛も貫かれていました。
「え、ぼくのリコーダーまだあたらしいのにあなあけるの??こわす??」
とそばにいた母親に聞いたように思います。すると先生が
「みんなとは違う、この世に1本しかないかずあき君だけのリコーダーを作ってあげます」
返ってきたリコーダーは、左手用の穴が一番下のところ以外すべて樹脂でふさがれ、2個だけ笛の横側の変な位置に穴が開いていました。「吹ける?」と言われたので、その穴を親指の側面と掌で押さえて吹くと、ぴょろ~~っと気の抜けた音がしました。
よく見ると、ファの音を出すための右手小指の配置が少し下にずれ、穴が押さえ切れていなかったのです。ハッとしたおじさんが、右手小指の穴も半分横にずれた位置にあけ直し丸く埋めてくれ、「左手に押し付けるために右手の位置が影響する様子でしたので調整しました。これでゆっくり吹いてみて」と。今度は無事に ミーー♪ レーー♪ ときれいに音が出せました。
ぼく自身も、先生たちもほっとした様子でにこやかにしている中、母だけは不安げな顔でこう言いました。
「これだと、低いドが小指で押さえられないのですが」
確かに。レまでは出せたものの、まだ音階は残っています。隣の女の子は僕よりもっと複雑な器具を取り付け、掌のレバーで穴がふさがるような機構に改造されつつある笛を持っていたので、てっきり僕のドもそうなると思っていました。なので、S先生の言葉には本当に驚きました。
「お母さん、この子はドなんて吹かんでよろしい。」
「教科書でドが出る曲を吹くのは高学年になってから。その時は今よりも手も大きくなっているでしょう。もしかしたらその時は小指で押さえられているかもしれませんし、今考えることとは違います。」
「仮に鳴らせなくても、わたしが、かずあき君が頑張ってレより下の音を出そうとしたことを聞き逃すはずはありません。それがこの子のドです。」
母は、ありがとうございます、と小さく返事をしていたように思います。
ちなみに一気に時間が飛びますが、中学1年でアルトリコーダーに切り替わるときに、小学校時代のリコーダーを中学の音楽科T先生に見せて相談したところ、即座にS先生と連絡を取って同じように改造に付き添ってくださいました。まだ若い先生でしたが、「中学は内申点とかあるけれど、S先生と同じようにかずあき君の不利には絶対にしないから、安心して授業を受けて」と。3年間、確かにその約束を守ってくださいました。
エピソードが長くなってしまいましたが、個人的な主観として、子供のことは子供に任せるべきと思っています。ただ、大人視点で「子供同士では不利にならないものの、長い目でみて不平等になる部分」について、ここでいう自転車に乗る安全性や音楽への興味関心を守ってもらえたことは、とても感謝しています。
「公園の野球じゃなくて、ファミコンの野球ゲームやったら?」とか、「掃除当番、雑巾係じゃなく箒係に代わってあげて」とか、そういう子供サイドに考える余地をなくすアドバイスに偏っていないかどうか、振り返っていただけると嬉しいです。
まとめ
いかがでしょうか。子供のころをどう過ごしたか記憶を紐解いて語ってみました。
各項、正解の行動は個人によると思いますし、客観といいながらもかなり経験によった判断になっているなと反省もしています。やはり大人としてどう振舞うべきかを考えるのは、当事者であっても難しいですね(苦笑)
また僕自身、こういうことをこの年齢になって書いているものの、親と話し合ったことすらないので、実際にどういう葛藤の中で僕が生まれてきたのかとか、育ててきたのかというところは、全然想像もつきませんし、向き合って話し合うのが正解かどうかもわかりません。
しかし、それでもこうして今はたくさんの大人や当時の同級生に感謝することができています。冒頭に書きました通り、これを読んだ誰かが「安心感を得るため」の述懐であり、正解を求める参考書ではないのですが、「助けたい」と思ったならその行動は躊躇しないでください。これだけは言わせてください。
当人が何ら事の重大性をわかっていなさそうでも放置していいし、逆に細かいことでも介入してサポートしてもよく、どちらも安心して取っていい選択肢です。どちらを取ろうとも影響は当人の中に必ず発生するため、それを教訓にするか一過性のこととしてやり過ごすかは本人が決めることです。これは大義ではどの子供でも少なからずあり、僕のような先天性疾患を持ちつつもだいたい健常者と同じく生きられる場合に、その頻度がちょっと増えるだけの話です。当人が言っているので間違いないと思います(笑)
もし、子供さんへの接し方に悩むことがありましたら、「まあ自分が悩まずともこの子は何とかなるのだろう」と大きく構えて、長い目で判断してみてください。
<青年編>に続きます。(たぶん)
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