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『紋霊記』その貳「紋に宿るは思い也」no.02

奇妙な出会いをした。
これを出会いと呼ぶべきかどうかは少々疑問でもあるけれど、これは私にとっての分岐点だったということは間違いない、と今になって思う。

もう何年前だっただろう。その日、私は京都に一人で観光に来ていた。何度目かの京都だったが、一人で来るのは初めてだったし久しくもあった。
午前中は清水寺から八坂神社にかけて見てまわった。一人で見る京都はなぜだか印象が違っていた。それに一人だと誰かに合わせる必要も無いので、じっくりと見てまわることが出来るし、今まで気づけなかったこともたくさんある。
例えば音羽の滝で清めた後、だいたいはそのまま清水寺を後にすることになるけれど、その際の帰り道に「阿弖流為 母禮 之碑」という碑が目にとまった。一人じゃなければ気にもとめなかっただろう。そもそもなんて読むのか分からないので、調べてみると蝦夷の長のアテルイとモレであることが分かった。よく知らないが大和朝廷の征夷大将軍坂上田村麻呂が討伐したことに対する慰霊碑のようなもののようだ。清水寺の開基が上田村麻呂とも言われるので、なるほどと納得させられる。
このようなことを知れるのも一人旅の醍醐味といったところなのだろう。
たまには有名なところだけじゃなくて、観光客があまり行かないようなところ、そんな寺や神社にも行ってみたい。そんな思いもあって一人で来たが、やはりお気に入りの清水から祇園にかけての雰囲気は好きだった。
人が多くてウンザリもするけれど、清水の舞台からの眺めや舞台そのものを見る眺め。清水寺から少し離れて、霊山観音の大きくて白い観音さま、高台寺の門前などを眺めつつ歩く石畳。人は多くてもその雰囲気は最高で私にとっての至福。円山公園へ入り、少し公園の雰囲気に和んだ後に八坂神社にお参りをする。境内にある美御前社に立ち寄り、美しくなれますように、とお参りして自分が女性で有ることを再確認することも忘れない。

八坂神社の付近にあった喫茶店だったと思う。私は懐かしい雰囲気のするその喫茶店の外観に惹かれ、休憩がてら入ったのだった。
少し暗い店内は大正時代を思わせるような印象だった。大正ロマン風とでもいうのだろうか。特別その時代を確定させるようなものは無かったようにも思うけど、そう感じたと記憶している。
お好きなところにどうぞと年の頃五十代のマスターが促してくれたので、店内唯一の窓際にある席に座ってみた。
コーヒーを頼んだと思う。出されたコーヒーは店内の雰囲気もあってか、外が寒かったからか、凄く美味しかった。ここで思い出したけれど、確か京都に来たのは冬だったな。朧気だが年は明けていたと思うので、1月か2月の頃だろう。
京都の冬は底冷えするというが、本当にそうだと思った。なんていうか刺すような寒さ。誰かが言ってたけど、京都の地下には大きな地底湖があるらしい。それが底冷えの原因、つまり地熱がほとんど無いせいなのだという。でも、なんだか突拍子も無い話だし、俄に信じがたい。噂話程度で受け止めておくのが一番だろう。
兎も角、理由はともかく寒いことには違いない。なので、この暖かいコーヒーは凄くありがたかった。
客は私の他にはカウンター席に座った男性二人だけだった。
店内には邪魔にならない程度の音量でジャズが流れていた。だから、なのか、私が特別意識をしたからなのかは分からないけれど、彼らの会話が聞こえてくる。そしてそれはまるでテレビを観ているかのような、何かで再生されたものを観ているかのような錯覚を覚えた。これまでに体験したことのないような出来事だった。
そしてその内容もまた同じで、なんというか、異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚までも覚える。不思議の国に入るというのはこういうことを言うのだろうか。そう、まるでそれは白昼夢。

「頼む相手を間違えているようだが」
その男の風貌は正直よく分からない。何処の国の服装なのか。どの時代の服装なのか。和服にも見えるし、東南アジア系にも見える。そのせいで年齢もよく分からないが、声の質から三十代から四十代のような印象。ともあれ、やはり分からない。
「あなたはこの手のことも解決してくれると聞いた」
こちらの男性は初老とまでは言わないが、少し痩せた五十代でスーツを着ていた。いわゆるサラリーマンという印象だ。顔の表情には覇気がなく、一層老けた印象を思わせる。疲れている、憑かれている、そんな言葉が頭を駆け巡る。
「拝み屋とかその手の奴らの仕事ちゃうか、それ。頼む相手を間違えてる。そもそもそんな奴らがおるんかは知らんが」
どうやら何か得体の知れない依頼の話のようだ。時代錯誤、というより、本当に異世界のような話だ。時折混じる関西弁に私は少し高揚感を覚えるが、ふわふわした今のこの状況と現実離れしている話で話を聞くことになかなか集中出来ない。しかし確実に私の耳にはその「情報」が入ってきている。蓄積されていく。
「あなたじゃないとダメだって聞いたんだ。家紋のことなんだ」
なかなか聞き慣れない言葉が出てきた。戦国武将とかが使っているあの家紋のことなのだろうか。
「はぁ、何でもかんでも家紋絡みは俺か……」
少々呆れた様子で煙草に火をつけ燻らせた。チラッとマスターを見たようで、マスターは少しバツの悪そうな表情を浮かべた。どうやらマスターも一枚絡んでいる様子だ。
「紋師というのだろう?」
スーツの男性は何やら必死で食い下がらない。紋師というまた聞き慣れない言葉だ。最早意味が分からない。
「やれやれ。どうせまたあのクソ坊主だな」
仕方が無い。話だけは聞こう、と男は言った。
「ありがとう。助かる」
「まて。まだ引き受けるとは言っていない」
これはしまったとばかり、男性は飲みかけのコーヒーに口をつけ、一呼吸置いてから語りはじめた。
「分かりました。実は半年ほど前に父が死にましてね。その際に墓を建て直すことになったんです。古い墓でかなり崩れてきていたんですよ。で、業者に依頼して墓を建てたんですが、それからというもの何もかもうまくいかないんです。それとちょっと常識外れのこともまで起こったりと……。オカルト的に考えるのは嫌だったのですが、たまたま知り合ったお坊さんに話してみたんですよ。それこそ世間話として」
世間話として。それはこの男がオカルトの話を本心では信じていない事の表れのように思われた。
男は煙草を消すと新たに付けた。
「そのお坊さんが言うには『新しい墓に入れた家紋は前の家紋とは違うのではないか?』と言ったんです」
男の目の色が一瞬変わったような気がした。
「無頓着だった私は何も知らなかったんですが、業者に聞いてみると、それっぽい家紋を入れておいたというんです。私は家紋なんて何でも良いと思っていたので、飾りくらいで考えていたんですよ」
ふぅとため息をついてから男は話し始めた。
「家紋ってのは先祖が子々孫々を守るために決めたシンボルだ。それはわかるよな。そこには思いが宿る。思いってのはエネルギーだ。見えない力だ。例えば電波ってのは皆知っている。しかしそれは見えない。見えないけど知ってる。疑いもしない。一方でだ。幽霊とか気とかは皆否定する。表現が違うだけで、同じエネルギーだ。違いはなんだ? 現代の科学で説明出来るかどうかだけの違いなんだよ」
一体この人は何を言っているのだろうか。そんな表情を男性はしていた。観察している私も全く同じ意見だ。とはいえ、この男の言うことは最もであり、説得力もあるような気がした。
「家紋にもエネルギーがある。そしてそれはイメージという力が根源だ。家紋には紋霊が宿っている。それが勝手に変えられたんだ。そりゃ怒るだろうよ」
やれやれと男は煙草を消した。
「家紋にエネルギーとか紋霊とか言われてもよく分からないが、結局どうなんだ? 何とかしてくれるのか?」
スーツの男性は男を胡散臭そうに見ながらいう。口調も安定しない。混乱しているのだろう。端から見ていてもそれは明白だ。
再び男はため息をつくと席を立ち上がり言った。
「名刺を渡しておく。信じられるならもう一度連絡してくるといい」
加えて、家紋に対する認識を改めるんだな、と少し荒っぽく言った。この人は怒っているんだ。家紋を大切に思っているという気持ちが伝わってくる。このスーツの男性との大きな違いはそこなのだろう。男はツケといてくれと言い残し去って行った。
男が去ると不思議と白昼夢のような感覚は消えた。いったい何だったのだろうか。
気づけば呆気に取られたスーツ姿の男性とまたかという顔をしたマスターの姿が私の視界に入っていたが、私の思考は止まっていた。

あれが何年前のことだったかは覚えていない。
でも、あの男の印象とあの時の白昼夢のような出来事は今でもしっかり覚えている。
そして強烈に残った言葉、「家紋」。
男の言い残した言葉はスーツの男性に向けて言ったのは確かだったけれど、私には私にも言われたような気がして仕方なかった。
それも一つの要因だったのだろう。あれから私は家紋のことを色々と調べてみた。
結果、案の定というか私の家に伝わっている家紋はよくある紋だった。調べれば調べるほどに、私の家は大したことはなく、我が家の家紋もまたそれを物語っていた。
でも、紛れもなくそれは私の家紋だった。いつから使われはじめたものなのかも分からない。もしかしたら私の祖父辺りから始まったものかもしれない。
あの男の言った紋霊というものは本当に存在するのだろうか。もし本当に存在するのであれば歴史の浅い私の家紋にもいるのだろうか。
知ってしまった。興味を持ってしまった。
それは理屈じゃ無い。
もう一度、京都へ行けばあの男に会うことは出来るのだろうか。

キョウヤ

キャッチ

それぞれの家が持つという印、家紋。
家紋には人知れず、意思ある何かが宿るという。
見る者、見れぬ者。
知る者、知らぬ者。
信じる者、信じぬ者。
かつてそれを人は紋霊、紋神、紋の精霊などと呼び、家を守る彼らに感謝し、時には畏怖した。
そしていつしか人々はその存在を忘れていった。

つづく

→ 第三話「僕がそれを家紋だと知った日」



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