柳田国男
大文字を五つ配置して桔梗形にしているこの紋。
今回改めてこの紋を描くためにとある紋帖で探したのだが、掲載されていない。
おや?と他の紋帖も片っ端に見ていったが無い。
見落としがあるかもしれないが、ざっと調べたところ、この紋が掲載されているのは『平安紋艦』だけのようだ。
江戸時代に生まれた紋帖は現代にまで続いているが、実は最も新しい「紋帖」というのがこの『平安紋艦』である。
1936年(昭和十一年)に刊行されたものであるから、この紋が他の紋帖にこの紋帖に合わせて制作された可能性が浮上する。というのも『平安紋艦』にしか掲載されない紋が実は意外と多い。
紋帖に掲載される紋は氷山の一角にしか過ぎないので、当然掲載されていない紋の方が多いから、この紋が例えば江戸時代から存在していても不思議ではない。
明確な答えは出ないが、私の見解としてはこの紋は近代以降の比較的新しい紋であると考える。
柳田邦男の生家は松岡家であり、柳田家には養子として入っている。
共にどんな家紋を用いているのかじっくりと調べられていないが、ざっと見たところ、大文字紋を使っている様子は無い(落ちがあれば申し訳ないです)。
と、ここまでの大雑把な見解から、柳田邦男の墓に刻まれるこの紋は家紋ではなく、個人の紋なのかもしれないな、ということだった。
とはいえ、柳田国男亡き後、遺族がこの墓に刻まれている紋を家紋として、もし使用しているのであれば、それは個人の紋であったものが家紋へと役割を変えたものという可能性がある、とビックリマン風家紋を作りながら思ったのだった。