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映画『湖底の空』アフタートーク草稿!

10月1日(金)横浜シネマリンにて。佐藤智也監督の映画『湖底の空』の上映後のアフタートークに参加してきました。

とても楽しい時間を過ごしたんですが、いや〜佐藤監督って本当に几帳面な方なんですよね。数日前にアフタートークの完璧!な進行台本(てかもはや台本)を送ってきてくださって・・・いや〜さすが日中韓合作映画を監督するには綿密に計画性が必要なのだなと感心しました。 正直ボクはいつも通りにノリで話そうとか思っていたのですが(笑)・・・よし!ならばボクも今回は計画的にいくぞ!と、ボクも台本上の「(この件に関してでびさんのお考えをお話しください)」の部分のトーク台本の草稿を前日に書いてみました。

そうしたら・・・コレが全部話すのに2時間以上かかるぞ!という物量でして(笑)。もちろんアフタートークでは喋りきれないし、実際は結局ノリで喋ってしまったので(こら!w)、せっかく書いた長文の草稿が・・・勿体無いので、一部抜粋して今回「でびノート☆彡」に掲載することにしました。
テーマは『湖底の空』における「日中韓の俳優の演技法の違いについて」です。

『湖底の空』における「日中韓の俳優の演技法の違いについて」

佐藤「小林でびさんとは映画祭などで以前から知り合いなのですが、昨年オンラインで開催されたゆうばり国際ファンタスティック映画祭で『湖底の空』が配信された際に、でびさんが見てくれて日中韓の演技についてブログで書いていただきました。今日は演技論についてお話を伺いたいと思います。まずはでびさんにブログの内容を簡単にお話し願えますか」

でび「『湖底の空』を見てまず驚いたのは、日本・韓国・上海が舞台で、俳優も日本・韓国・中国の俳優がそれぞれ複数の言語が入り乱れた芝居をするという・・・これ撮影大変すぎるだろ!ってことでw、しかもテーマが超現代的でまさに2020年代の世界を描いた映画になっていることが素晴らしかったんですよね。
そして演技です・・・日本・韓国・中国の俳優が入り乱れて芝居をする事で、それぞれの国の俳優の演技の質の違いがくっきりと見えた事が面白かった。

同じフレームの中で演じている俳優たちがそれぞれ「なにを演じる事に集中しているか」が国によって全然違ったんですね。僕はブログ【ゆうばりグランプリ『湖底の空』日中韓合作映画の演技】で次のように書きました。

「日中韓、3か国の俳優の演技法の違いがぶつかりあう映画でした。韓国人俳優は「関係」を演じ、 日本人俳優は「心情」を演じ、 中国系俳優は「存在」を演じる。それがボクが『湖底の空』を観て感じた演技法の違いです。」

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【ゆうばりグランプリ『湖底の空』日中韓合作映画の演技】

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日本人俳優と韓国人俳優の芝居の組み立ての違い。

例をあげて具体的に説明しましょう。たとえば、映画序盤に日本人男性・望月が主人公・空に「さっきの絵、僕は好きです」と言うシーンがあります。

これを日本人俳優・阿部力さんは望月が優しい人物であることを観客に伝えることを主眼において「好き」という気持ちを伝える芝居で演じていました。この「役の心情を演じることで観客にキャラクターをアピールする芝居」ってじつは日本の俳優さんの役作りの代表的なものです。

ではもしコレを空役の韓国人俳優であるイ・テギョンさんが演じていたらどうなるかをシミュレーションしてみましょう。
彼女がこのセリフ「さっきの絵、僕は好きです」を言うとしたら、おそらく自信を失っている相手を動かすために、「僕は」好きだということを強く相手に伝える芝居で演じると思います。
「上司は評価しなかったけど、担当者である僕は好きです。これでもう問題ないでしょう?」と相手の返答を促すような芝居で演じるはずだと思います。実際イ・テギョンさんはこの映画の多くのシーンで空という人物をそのように演じています。

日本人俳優が「自分の心情を伝える芝居」をしているのに対して、韓国人俳優は「相手の心情を動かす芝居」をしているのです。

これってある意味真逆のアプローチですよね。

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そして中国人俳優の芝居の組み立て。

では次にこのセリフ「さっきの絵、僕は好きです」を、その中国人上司の役を演じた周亜林さんが言ったとしたらどうなったでしょうか?もシミュレーションしてみましょう。
周亜林さんはきっと出版社の経営者としての立場から、新人のイラストレーターを励ます意味で「さっきの絵、僕は好きです」と言うと思います。望月みたいにオフレコっぽくこっそり言うのではなく、経営者としての威厳を持って堂々と。

中国の俳優は、役の人物の「社会的役割や立場としての振る舞いを演じる芝居」を主眼に演じることが多いと思います。この傾向は主演以外の役を演じる時に特に顕著で、『湖底の空』の中国人俳優の多くはそうでしたし、先日見た『少年の君』もそうでしたし、ジャッキー・チェンの映画なんかもそうですよね。「母親」や「若者」、「老師」や「ろくでなし」や「拳法の達人」などという社会的な役割や立場を演じることに俳優たちは演技のリソースの多くを注ぎ込んでいる芝居を多く見ます。

なのでもし周亜林さんが「さっきの絵、僕は好きです」といった場合、それは出版社の経営者としての発言であって、彼自身が個人的に本当にその絵を好きかどうかはよくわからないのですが・・・それでいいんですよね(笑)。

日中韓3カ国の俳優、それぞれが別の目的を達成するために別のアプローチで演じている。それが単に役作りの違いではなく、演技そのものに対する根本的姿勢の違いからくるのが面白いですよね。「演技とは?」「芝居とは?」の感覚が、国によって違うんです。

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とまあ草稿はこんな感じでまだまだ続くのですが、あまりに物量が多いのでこれくらいで(笑)。 実際アフタートークでは以上のような3カ国の俳優の演技法の違いを、ボクが実際に壇上で演じて見せながら進行しました。楽しかった(笑)

この続きは質問②「年代別演技法の変化について。ハリウッド映画・韓国映画の演技は現在どうなっているのか?」、質問③「オーディションなどで、韓国人の俳優が演技が上手く見えるのはなぜなのか?」、質問④「最近話題の濱口メソッドの効果とは?」と続くんですが、残念ながらもう④はアフタートークでは時間が足りなくて一言も喋れなかったですねw。

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韓国人の俳優が演技が上手く見えるのはなぜか?

大急ぎで喋った質問③「オーディションなどで、韓国人の俳優が演技が上手く見えるのはなぜなのか?」についてちょっとだけ詳しく説明すると、なぜ韓国人俳優は上手に見えるのか・・・それはボクが思うに国民性でもハングリー精神の問題でもなく、演技を学習するシステムが韓国にはしっかりと存在しているということが原因だと考えます。

日本では演技を学習する場というと1950〜90年代の演技を習うワークショップが主流なのに対して、韓国では最新の演技法を学習できる大学がたくさんあります。

最新の演技法を学ぶということが重要なんです。

なぜなら・・・人種問題やジェンダー問題、貧富の格差問題、テロなどの「分断」の問題に溢れた今の世界の最大の関心事は「人と人とは容易に分かり合えない」と言う現実で、なので最近の映画の脚本はコレがテーマとして盛り込まれているものが圧倒的に多いです。ここ数年のカンヌでもアカデミーでもそういう作品ばかりですよね。
マーベルやDCのようなヒーロー物のエンタメ映画でさえ、ドラマのメインのテーマは「悪との戦い」から「ヒーロー同士が分かり合う事の困難さ」に変わってきています。

90年代までの映画では「分かり合えないのは誤解があったから」で、誤解さえ解決すればわかりあえるというドラマや、「対立しても悪い方が改心すれば仲良くなれる」みたいなドラマばかりだったので俳優も演じるのも簡単だったんですが、今はもう誰もが世界はそんな簡単な構造でないことを知っています。

なのでいま多くの脚本が俳優に求めているのは「ディスコミュニケーションの芝居」です。 そうなると「コミュニケーションが上手くいかない」もしくは「コミュニケーションを必死に試みる」という「関係の妙の芝居」に取り組んでいる韓国の俳優が、現代的な脚本を上手く演じられるのは、道理でしょう。

ドラマ『大豆田〜』好きだったんですが、面白いシーンとそうでないシーンがあったのは、脚本が徹底的にコミュニケーションを描いているのに対して、俳優が「キャラを演じるタイプ」と「関係の妙を演じるタイプ」の2種類がキャスティングされているからだと感じました。
コミュニケーションの芝居をキャラで演じてしまうと、表面上は楽しいのですが脚本の意図からは外れていってしまうんですね・・・。

     +     +     +     +

・・・わあ!なんか書きたいことを詰め込みすぎてゴチャゴチャになってしまった(笑)。まあこのあたりに関しては、またそれぞれ個別の機会に書いてゆきたいと思います。

というわけで佐藤智也監督の映画『湖底の空』、全国のミニシアター系の映画館で絶賛上映中です。非常に現代的で野心的な映画です。ぜひ、日中韓の演技の違いの面白さを感じてみてください。

小林でび <でびノート☆彡>

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