ライアン・ゴズリングの「感情」も「キャラ」も演じない演技法。
『ファースト・マン』はボクの2019年度暫定ナンバー1映画なんですが・・・宇宙ってあんなに怖い場所なの!?宇宙船ってあんなに頼りない乗り物なの?という怖い怖い映画でしたねー(笑)。
荒れ狂うエンジン音、大音響できしむ宇宙船・・・宇宙船のシーンはとにかく騒々しくてエキサイティング!
それに対して人間ドラマのシーンは総じて静かで、ライアン・ゴズリングの演技も淡々としていて・・・でもエモーションが荒れ狂ってました。
『ファースト・マン』の人間ドラマシーンはガクガク揺れまくる手持ちカメラで撮影されています。サイズは「どアップ」。そしてそこに映っているのはライアン・ゴズリング演じる宇宙飛行士ニール・アームストロングのうつろな顔。。。そう、
ライアン・ゴズリングはこの映画の中で「感情」を表現するような演技をほとんどしていません。そして「キャラ」を説明するような一切の動作や表情も演じていません。なのに荒れ狂うエモーションが伝わってくる、人物像が伝わってくる。
・・・これはいったいどういう事なのでしょうか?
「感情」も「キャラ」を演じてないなんて言うと「じゃあ何を演じているんだ?」「それって素ってこと?」とビックリする人も多いでしょうが、大丈夫。ちゃんと演じています。ライアン・ゴズリングって『ブレードランナー2049』とかでもそうでしたよね。あの映画での彼が演じたKも無表情の中にエモーションが荒れ狂ってる人物でした。
で、今回演じたニール・アームストロングという人がキング・オブ・無表情というか、感情を表に出さない人物だったせいもあって、ゴズリングはいつも以上に「感情」を演じてみせていません。だって感情を表に出してしまったらアームストロングにならないわけですから・・・これは俳優にとって難問ですよ。感情を演じずに観客にエモーションを伝えなければならないわけです。
そして「無表情な男」とか「無愛想な男」っぽい表現・・・「キャラ」も演じていません。
ではどうやって人物表現しているのでしょうか?
それは彼の「感情」や「キャラ」でなく、彼の「社会性(=コミュニケーション)」を演じることでアームストロングという人物を表現しているのです。
ここでちょっと我々のまわりにいる現実の人間たちについて考えてみましょう。
人には「ふるまい」というものがありますよね。職場の人との飲みの席において、友達との飲みの席において、親戚との飲みの席において、それぞれに必要とされる「ふるまい」が違ってきます・・・それが「社会性」です。
同じ人物なのに、表情も全然変わってきます。ニコニコすべき場所、ニコニコすべきでない場所、思いやりを示すべき場所、自己主張すべき場所、本心を語るべき場所、本心を語るべきでない場所・・・人間はいる場所・状況・一緒にいる相手によって「ふるまい」が変わってきます。
「ふるまい」は表情を伴っていますが、その表情は「感情」とは直結していません。「ふるまい」由来の表情は、感情ではなく行動なのです。
『ファースト・マン』各シーンでゴズリングが演じているのは、アームストロングのその場その場の場所・状況・一緒にいる相手に適した「ふるまい」であり、目の前の相手に対して一生懸命コミュニケーションを取っている姿です。
たとえばアームストロングが娘カレンと一緒にいるシーンにおいて、ゴズリングは「優しい父親のキャラ」を演じていません。「娘が愛しいという感情」も演じていません。ただただ一生懸命に娘とコミュニケーションしているだけです。そこに感動があります。
そうつまり、それを見た観客の心の中にエモーションが発生するのです。
余命いくばくも無い娘カレンと、ただただ一生懸命にコミュニケーションしている父アームストロングの顔と身体の表情を、ガクガク揺れる粒子の荒い16ミリフィルムの手持ちカメラが撮影します。
死に憑りつかれてしまって、でもそのことを妻ジャネットに話せない、どうやってジャネットを傷つけずにコミュニケーションしたらいいのかわからないという状態のアームストロングを、ガクガク揺れる粒子の荒い16ミリフィルムの手持ちカメラが撮影します。
ゴズリングは「感情」も「キャラ」も演じていませんが、この「ふるまい」を見た観客は彼の感情も人物像も察します。そう、ちゃんと伝わるのです。
妻ジャネット役のクレア・フォイも素晴らしかった。
子供と会話している時の彼女は、意識が自分ではなく子供に意識が100%向かっている。それは母親の姿そのものでした。
女優さんはどうしても自分がどう見えてるかを気にして演じてしまうのに、カメラを意識した演技の調整がほとんど見られないんですよねー。自分ではなく相手に集中して演じ続けている。だから彼女の単独カットはほぼドキュメンタリー映像のように見えました。ふと見えてしまった、みたいな感じ。
(実際ゴズリングとフォイ以外のほとんどの俳優はアップのカットではカメラを意識しての演技をしてしまっています。いや、そうなっちゃいますよね、そっちのが普通だw。)
そしてラストの面会室のシーン。泣けましたねー。
密度の濃いコミュニケーションのディテールが渦巻くシーンでした。
すれ違い続けたこの夫婦が、プラスチックのガラスを挟んでぎこちなく始まる無言のコミュニケーションの中で、不意にぐいっぐいっと心の距離をつめてゆく・・・そしてガラス越しに指と指が触れあう。
これ感情をコントロールして演じていないからこそ表情がフリーになっていて、お互いに相手に自分をゆだねているので、そこから生まれる2人微細な心の揺れが豊かに表情に出てしまっているんですよ。いや~泣けました。
「2010年代のコミュニケーション演技」のひとつの成果ですね。
『ファースト・マン』は日本では人気がイマイチで、そろそろ終わりかけてるので早いうちに映画館に観に行くことをオススメします。 新しい演技に興味のある俳優の皆さんはぜひ。
この映画は映画館で観るべき映画・・・ああ、ボクもIMAXで見たかったなあ。
小林でび <でびノート☆彡>
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