キャラを演じるか、感情を演じるか、関係を演じるか。
演技をする上で「脚本を読み込むことが最も大切だ」というのは、舞台でも映像でも声優の世界でも、共通です。
が、その「脚本を読み込む」とは具体的にはどのように脚本を読み解いてゆくことなのか?・・・については、よくわからなかったりしますよね
で悩んだあげく、ただ「自分の台詞の言い方の工夫をする」という残念な結果になるケースも多い・・・。
効果的な脚本の読み込み方とは?
どんな読み込み方なんでしょうか。
脚本に何本かの線を引く俳優さんもいます。
ここからここまでは喜び、ここから疑念、ここからここまでが怒り・・・などなど。感情の切り替わりポイントの線を脚本に書き込む人、けっこういます。僕はこのタイプの脚本の読み込み方をする俳優さんを「感情で脚本を読むタイプ」と呼んでいます。
台詞の言い方をとにかく決めてしまおうとする俳優さんもいます。
「キザ」とか「ワイルド」とか「頭脳明晰」とか「セクシー」とか、与えられた台詞をどの喋り方で言うといい感じか、どのキャラで演じるかを念頭に脚本を読み進める人。僕はこのタイプの脚本の読み込み方をする俳優さんを「キャラで脚本を読むタイプ」と呼んでいます。
以上2つのタイプは、僕の見解としては古い手法な気がしています。
脚本を単純化して把握しようとしているように感じるからです。
最近の映画やドラマの登場人物はもっと複雑な構造をしています。
感情は線で区切れるような大まかな動きではなく、状況の影響を強く受けて常に細かく細かく揺れ続けています。そして「キャラ」と呼べるような一貫性をあえて持たずに、同じ人物でも状況や相手によって違うニュアンスで行動することが多いからです。現実の人間がそうであるように。
最近のそういう脚本は「感情」や「キャラ」ではなく「人間関係」を分析して読み解いてゆくと、個々の人物像も複雑な構造のまま理解できるし、人物の感情も複雑なまま実感できます。 これを僕は「人間関係で脚本を読むタイプ」と呼んでいます。
ここで前回のブログで予告した『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』の話をしましょうか。
この2016年の映画で演じている俳優さんのほとんどは「人間関係で脚本を読むタイプ」です。彼らは「感情」でなく「キャラ」でもなく「人間関係」を演じています。
この『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』の冒頭のシーン、めちゃくちゃエキサイティングで大好きなシーンなんです。(あ、いつもの通りネタバレしまくります。でも冒頭のシーンだからいいよねw)
深夜営業のレストランの前に人だかりが。4人の男が倒れています。そこにやってきた保安官助手が野次馬たちに聞きます。「何が起きたんだ?」「喧嘩さ。あいつがひとりで4人をアッと言う間に殴り倒した」保安官助手がレストランの方を見るとカウンターに筋肉質の男が背中を向けて座っている・・・。
この筋肉質の男がトム・クルーズ演じるジャック・リーチャーなのですが、不安になった保安官助手は保安官を呼び、保安官と2人でそのレストランに入って行きます。この保安官がまさに「アメリカの田舎の保安官」タイプの男で「よそ者が俺の縄張りで勝手な真似をするのは許さん」的な感じで正義を振りかざして、リーチャーを逮捕しようとします。
ところが実はリーチャーの狙いはこの保安官で、この保安官が不法入国者を違法に拉致して人身売買していたと。この保安官をおびき出すために彼の手下4人をぶん殴ってこのレストランで待っていたのだと。
このどんでん返しが電話のトリックなどを使って超クールに演出されていて、最高の映画のオープニングシーンなんですよね。大好きなんです。
で、ふと。吹き替え版がどんな感じか聞いてみたくなったんですよね。モリモリがまたカッコよく&セクシーにトムの役を演じているのかしら?とか思って(笑)。 で、ブルーレイを日本語吹き替えに切り替えてこの冒頭のシーンを見てみたんです。そしたら・・・なんだか面白くなかったんです。
あれ?なんでだろ?と思ってもう一度頭から見返してみました・・・なんと、例のどんでん返しが無くなってるんです!
保安官がね、最初から「悪人の声」で喋ってるんですよ。
なので出てきた瞬間に この保安官悪い人だ って観客にネタバレしてしまっている(笑) だからリーチャーが保安官に「お前が犯人だ!」とバーン!とカッコよく指摘しても、「うん、だろうね。知ってる」としか思えないんですよ・・・えーっ!台無し!
これは明らかに保安官を演じた声優さんのミスでしょう・・・なぜこんなことが起きてしまったのか。
それは画面上の保安官役の俳優さんが「人間関係で演じて」いた演技に対して、声優さんが「キャラで演じて」声をつけてしまったからです。
このシーンでは保安官とリーチャー、そして保安官助手の3人の関係がどんどんと変わってゆきます。それがこのシーンのドキドキするところです。
保安官は最初は、暴力を振るったよそ者に対して高圧的に正義を振りかざします・・・そう、最初保安官は「悪人」ではなく「正義の番人」として登場しなければならないんです。田舎にありがちなよそ者に対して高圧的なタイプの正義の番人ですがw。
それを声優さんは最初から「実は裏で悪事を働いている悪徳保安官」として声を演じてしまったんですよねー。いや、そうなんだけど、それじゃネタバレだから。トムの大切な見せ場を台無しにしてるから・・・。
そしてこれは冒頭の保安官助手の声優さんにも言えることです。
声優さんは保安官助手も野次馬に対して高圧的な人物として演じているんですが、画面上の俳優さんはそうではなく、もう少し気弱な保安官助手を演じています・・・この「少し気弱」っていうのが演出上大切なんです。
だってこの保安官助手が少し気弱だったから、問題の「正義の番人」的な保安官を加勢に呼ぶわけですよ。そしてなによりもこの保安官助手が少し気弱だったからこそ、カウンターにいるジャック・リーチャーの筋肉質な背中が不気味に見えるんです。この保安官助手の不安な表情で観客はジャック・リーチャーが只者でないモンスターみたいな男であると知るんですから。
きっと声優さんは「悪者」の保安官の仲間だから、高圧的な男として演じてしまったんだろうと思います。でもその役作りは単純すぎて、複雑に緻密に作り上げられたシーンを薄っぺらくしてしまっているんです。
いや〜非常に残念。でもこれ、日本語吹き替え版でたまに見る悲劇なんですよ。 収録の現場で誰か「あ、それだとネタバレになっちゃいますね」と指摘してあげる人がいなかったんですかねー。音響監督さんとか。
演技の詳細が気になった方は『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』をぜひ見てみてください。いまならAmazonプライムで吹き替え版も字幕版も見れますので。見比べてみると面白いし、勉強になりますよ。
これがボクが「声優さんはもっと俳優の演技法について知った方がいい」という理由です。画面上の俳優さんと演技法を合わせて声をつけないと、最悪シーンや作品の演出全体を台無しにしかねないという・・・。
いや〜声の演技の世界もホント奥が深いのです。
小林でび <でびノート☆彡>
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