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【ごきげん人研究】015 ドロシー その2

スワミはドロシーに、この危機的状況を別の観点から見てみましょうかと尋ねました。お願いします。

『起こってしまったことはどうすることもできません。しかし、それに対してどのように反応するかの選択権は残っています。

この世界が如何にあなたを残酷に扱ったかを嘆く権利はあなたにあります。しかし、人生の状況を成長の機会に変える方法を探すこともできるのです。

聖書には、求めよ、されば与えられん、叩けば門は開かれる、とあります。』

『でも私は死ぬのが怖いんです。』

『死を理解するためには、まず命とは何かを理解する必要があります。あなた自身に【私は誰か?】と尋ねてください。』

『私はドロシーよ。他に何を言えっていうの?』

『あなたが赤ちゃんのとき、ドロシーという名前をもらう前、あなたは同じ人物でしたか? それから数えきれない態様で成長し、あなたの望みも変化してきました。あなたは同じ人間ですか?

子供の時から大人まで変化してきたあなたを見てきた【あなた】は、一体誰ですか?

死を怖れるのは自然なこと。でもそれを乗り越えたいなら、生きている身体と死んだ身体を区別するものは何かを認識する必要があります。それは、【意識】です。』

意識とは、精神存在、魂の現れです。我々は物質面にのみ集中しているので、死ねば意識が失われ、存在することをやめるとみなしがちです。しかしこの考えは我々の実際のアイデンティティと世界との関わりの理解を無視しています。

あなたは目ですか?それとも目を通して見ているのがあなたですか?

あなたは耳ですか?それとも耳を通して聞いているのがあなたですか?

あなたは鼻ですか?それとも鼻を通して匂いを嗅いでいるのがあなたですか?

あなたは肌を通して物に触れ、脳を使って考え、ハートを使って感じるのではないのですか?

さあ、生きている身体と死んだ身体の究極の違いは何だと感じますか?』

『・・・私は身体の中に生きていて、身体自体は私ではないようです。』

身体は車で、自分自身はドライバーです。車はガソリンと油が必要だけれど、ドライバーは他の何かが必要です。

我々は身体と心の欲求を満たすことに熱心ですが、魂の欲求を忘れています。それは人生の最大の機会と【喜び】を失うことです。

ドロシーは、【喜び】って何ですかと尋ねました。

次へ続く〜

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