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コンティニュー(字幕版)@アマプラ

あきらかにB級作品とはいえ、タイムループ物の佳作。てか、このジャンルはどうやっても辻褄が合わないのでB級と見なされてしまう。本作の場合はラストシーンがいかにも惜しい。もうひとひねり欲しかった。

主演級がフランク・グリロとナオミ・ワッツで、いかにも地味。とりわけナオミ・ワッツは「薹」(とう)が立った感ありありで、はじめ誰だか解らなかった。主人公を誘惑する歯科衛生士のお姉ちゃんのほうが明らかに美人で、つい陥落する男の気持ちがよく解る。

メル・ギブソンはラスボス感ありすぎ。たんなる物理研究所の所長にすぎないのに、なんでエジプトのファラオみたいに荘厳な階段の上に鎮座ましましておられるのか。そのくせ予算が足りないとか、納期が遅れているとか、こまかいことをネチネチと。度量が小さすぎる。配役と設定と……脚本段階でもう少し練る必要があった。

とはいえ、何度生まれ変わってもその度に殺し屋に襲われて殺されるという、本来はシリアスなタイムループ物なのに、セリフの気が利いていて、お笑い満載。何度も笑わされた。自分の趣味にはぴったり嵌って楽しめた。こういう映画を見たいのよ。

生活というものは殆どの場合同じことの繰返しなので、タイムループ物には設定自体に説得力がある。本作はそれをゲーム感覚で過剰なまでに拡張してみせ、色々と考えさせる側面がある。これまで放っておいた我が子に会いに行って一緒にゲームをしたり、別れた妻とヨリを戻したり……「人生が二度あれば」と私たちはふだん嘆くが、たしかに何度もやり直しが利けば、色々なことができるわけなのだ。

本作のどこに最大の問題があったかと言えば、やはり世界の終わりすら繰返されてしまうという設定だろう。そこまでやらなくても良かったんとちゃう?タイムループ自体のリアリティが失われてしまった。

つまり世界の終わりが来ても、自分自身はやはりまた再生されるというのでは、何のための「世界の終わり」だったんだという話になる。世界の終わりが来たら、いいかげん諦めろ。ラストシーンの曖昧さも、この問題をきちんと考え抜いていなかったためだと思う。

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