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秋時雨

    ラベンダーさんが素敵な句を愚生の写真に添えて詠んでくださいました!

ラベンダーさん、ありがとうございます。





秋時雨と時雨の違いとは?

時雨も秋時雨と同様に秋の末から冬の初めにかけてぱらぱらと通り雨のように降る雨という意味がありますが、秋時雨と時雨にはどのような違いがあるのかと言いますと、俳句の世界では「時雨」という言葉は冬の季語とされていました。

ですが、時雨は意味としては先ほどから説明している通り、秋の終わりころから冬の初めにかけてパラパラと降る雨という意味になので季節としては秋にも重なっています。

なので、冬の季語として俳句で使われている「時雨」と区別をつける意味で秋の時雨は「秋時雨」という風に俳句で用いられてます。同じ時雨でも冬と秋とを分けるという事で秋時雨と呼ばれているというのはなんともややこしいものだと思います。

秋時雨とはいつ使う言葉なのかと言いますと、秋の末に降るしぐれという意味になりますので、一般的な秋の終わり頃とされる11月~12月頃となっていますが、俳句が主に書かれていた時期である旧暦においては二十四節気によって季節を二十四等分してした。

そして、旧暦においては立冬(現在で言う11月7日頃)から冬が始まるとされているので、旧暦における秋の末は寒露(10月8日頃)~立冬(11月7日頃)とされていました。
なので、10月頃からでも秋時雨という言葉は用いられます。

意味や由来違いの情報






纏いしはダイアモンドか秋時雨

北野薫衣草

 ラベンダーさんの俳句は美しい。

時雨しぐれに「秋」を付け加えただけの「秋時雨あきしぐれ」。
しかしその二音が加わるだけで、言葉の響きの奥ゆかしさが深まったように感じる。
その「あき」という響きの背景には、人それぞれに今まで体験してきた「秋の美しさ」という膨大な記憶の数々が脳裏にあり、その二音を耳にした途端、その印象の総和のようなものがエッセンスとして意識上に浮上してくるからではないかと思う。

さらに「秋の末から冬の初めにかけてぱらぱらと通り雨のように降る雨」は誰もが幾度も経験してきていることでもあり、それがほかの季節では味わえない秋ならではの美しさと相まって、人それぞれに深い印象を伴うものになっているはずである。

普段私たちは「時雨」という言葉を知っていても使うことはなく、こうして俳句の中で使われたり、読んだりすることがその言葉に触れる唯一の機会となる。しかし「秋に降る通り雨」という表現よりも「秋時雨」という言葉の方が秋の美しさを物語るエッセンスとしては相応しい。

私たちは誰もが今までたくさんの「秋時雨」を経験してきた。
それは実際の通り雨だったり、心情的な人生の通り雨だったりもする。

纏いしはダイアモンドか秋時雨

それはきっとこの俳句と、薔薇の花たちが教えてくれているように、ダイアモンドのようなひとときなのではないかと思う。













加古隆
あなたの里に降る時雨



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燿
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