秋時雨
ラベンダーさんが素敵な句を愚生の写真に添えて詠んでくださいました!
ラベンダーさん、ありがとうございます。
ラベンダーさんの俳句は美しい。
時雨に「秋」を付け加えただけの「秋時雨」。
しかしその二音が加わるだけで、言葉の響きの奥ゆかしさが深まったように感じる。
その「あき」という響きの背景には、人それぞれに今まで体験してきた「秋の美しさ」という膨大な記憶の数々が脳裏にあり、その二音を耳にした途端、その印象の総和のようなものがエッセンスとして意識上に浮上してくるからではないかと思う。
さらに「秋の末から冬の初めにかけてぱらぱらと通り雨のように降る雨」は誰もが幾度も経験してきていることでもあり、それがほかの季節では味わえない秋ならではの美しさと相まって、人それぞれに深い印象を伴うものになっているはずである。
普段私たちは「時雨」という言葉を知っていても使うことはなく、こうして俳句の中で使われたり、読んだりすることがその言葉に触れる唯一の機会となる。しかし「秋に降る通り雨」という表現よりも「秋時雨」という言葉の方が秋の美しさを物語るエッセンスとしては相応しい。
私たちは誰もが今までたくさんの「秋時雨」を経験してきた。
それは実際の通り雨だったり、心情的な人生の通り雨だったりもする。
纏いしはダイアモンドか秋時雨
それはきっとこの俳句と、薔薇の花たちが教えてくれているように、ダイアモンドのようなひとときなのではないかと思う。
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