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未来に残したい風景


 福岡県北東部を走る鉄道に、二本の興味深いローカル線がある。ひとつは北九州市と直方市を結ぶ「筑豊電気鉄道」。もうひとつは直方市と行橋市を結ぶ「平成ちくほう鉄道」。

 二つは似たような名前だが別会社である。共に直方が終着駅であるため、両方の路線に継続して乗れる一日フリーきっぷが販売されている。普段、車の運転ばかりで、時にはこういう手段を使ってまだ見ぬ風景を探索するのもいいなと思い立つ。

 切符の名称にある「へい!」は、平成ちくほう鉄道の「平」。久しぶりにこの掛け声が「鉄分」に火を付けてくれた。



筑豊電気鉄道


 北九州市内には、かつて西鉄の運営による路面電車が走っていた。2000年に廃止されるまでの間、市内の軌道路線区間にこの筑豊電鉄も乗り入れていたとのこと。

 廃止後はJR黒崎駅から筑豊直方駅までの鉄道区間で運行を続けている。車両は路面電車タイプのままだ。所要時間35分。その間に21駅あるので、かなり頻繁に停車することになる。

    沿線に広がる住宅街の中をコトコト走り続ける車内にいると、のんびりとした速度が妙に心地よい。

 下の写真は筑豊電気鉄道3000形電車。1988年から登場した主力車両である。2両編成で運行している。

 以前、すでに引退した前の車両に一度乗ったが、脱線するのではないかと不安になるほど車輪の軋む音と揺れ方が激しかった。それはそれでどこか懐かしい思い出。その時と比べると随分と乗り心地は快適になった。だが今度は逆に物足りなさを感じてしまうことに。

3000形



 筑豊電気鉄道の車両は、様々なカラーリングが施されている。下の写真にちらりと写っている対向車両は、大阪「阪堺電気軌道」との共同PR企画としてペイントされた、阪堺電車「モ161形」カラー。






 筑豊電鉄5000形電車は、2015年に登場。日中は2両編成、朝夕の混雑時は3両編成となる。車内はとても綺麗。揺れも少なく快適だ。

 旧型、新型共にワンマン運転。バスのように後部ドアから乗車し、乗車券を取って降車時に運転手に運賃を支払う。利用するのはほとんど地元住民なので、現金で支払う人はごく稀だ。


 遠賀川の鉄橋を渡ると、もうすぐ短い旅が終わる。
 風景は住宅街から自然豊かな田園地帯へと移っていく。


 終点「筑豊直方駅」。直方のうがたは、明治時代から昭和30年代まで石炭産業で栄えた街。石炭の一時的な集積地と問屋的な役割を果たす場所だった。当時は石炭の積み出しに蒸気機関車が使われており、上空が排煙で真っ黒に覆われていたこともあったという。

5000形


 筑豊直方駅からJR直方駅までは約800メートル。10分ほど静かな街中を歩いて移動する。駅前には古いアーケード商店街がある。昔ながらの八百屋も健在。閑静な駅前も、喫茶店の中を覗くと若い人たちで賑わっていたので入れなかった。



平成ちくほう鉄道


 「平成ちくほう鉄道」の終着駅である直方駅のプラットホームは、JR直方駅舎隣接し、奥にポツンと建っている。1~2両編成用のホームなので、かなり短い。

 しばらく待っていると、派手なペイントが施されたディーゼル車両がやってきた。

 「スーパーハッピートレイン」という名前で呼ばれているそうだ。

 世界中で活動している画家「ミヤザキ ケンスケ」氏の下絵を元に、地元の子どもたちが車両にペイントしたとのこと。
これは鉄道会社の地元「福智町」、連携協定を締結している「日本航空」、福智町に本社がある「平成筑豊鉄道」の三者の主催によるアートプロジェクトであり、福智町の名所・名産品なども随所に描かれている。

 この車両に乗ると、どことなくハッピーな気分になってくるから不思議である。確かに深刻な気分には絶対なれそうもない。世界でたった一両のディーゼルカーだ。

 出発すると、ディーゼル車特有の低く唸るようなエンジンの吹け上がりと共に、力強い加速感が身体を貫き、旅気分を盛り上げてくれる。









 「平成ちくほう鉄道」は「直方駅」と「行橋駅」を結ぶローカル線。所要時間は片道約1時間半。この間に31駅ある。のどかな田園地帯と山間部を走り抜けていく。

 この路線には、土日祭日の昼に片道3時間かけて走る「ことこと列車」という列車が運行している。世界一ゆっくり走るという2両編成の豪華車内では、のどかな田園風景を眺めながら、フレンチのフルコースが提供される。値段はオソロシク高い。

 またこの鉄道にはその他にも、枕木オーナー制度とか、つり革オーナー制度など、ユニークな取り組みもあり、地域住民との絆を深めているようだ。

 走っている途中、一回だけ運転手の方が踏切の手前でホーンを鳴らした。前を見ると、踏切の手前で停車している車の女性ドライバーが手を振っていた。どうやら知り合いのようだ。ほのぼのとした光景だった。




 「油須原ゆすばる」という有名な無人駅に寄ってみた。これは明治28年(1895年)開業当時の木造駅舎を再現したもの。当時のままと思わせるようなレトロなアイテムが数多く備え付けられている。

 この駅舎はドラマ「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン」のロケ地としても使われた。またホームには野生のキジが飛来することもあるという。

 駅に列車が到着しても、誰一人降りてこない。乗る人もいない。駅舎も駅前も無人。あるのは郵便ポスト一つと、巨木が一本。売店もコンビニもない。

 明治時代からずっと時計の針が止まったままのような静寂だった。

















 田園地帯をかけ抜け、山と谷間をひた走る列車の周囲には美しい日本の原点のような風景がどこまでも続いている。

 青い空。
 澄んだ川の流れ。
 生い茂る森。
 田には見渡す限り黄金色に色付いた収穫直前の稲穂。

 「日本の田舎にはまだこんなにも昔のままの美しい風景が残されているんだよ」

 ディーゼルカーの車内に流れる無言のアナウンスがそう言っていた。





 カーブやトンネルが連続する山間部では、ただでさえ遅い速度がいっそう落ちる。自転車でも追いつけそうな位だ。
 ディーゼルは一定速度まで上がると、エンジンをニュートラルにして惰性で走る。するとエンジン音がぴたりと止んで、車輪の音だけが車内に響き渡るのだ。

 「カタン、コトン、カタン、コトン」

 10数人の乗客は皆まるで瞑想状態のように静止し、沈黙している。
 車輪の音がトンネルに反響し、森を抜ける風に消えていく。
 どこか懐かしい静寂と平安は、いったいどこから来るのか。
 
 宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」では、千とカオナシが2両編成の電車に乗って大海原を進んでいく印象深いシーンがある。
 この電車の行先は「中道」。意味あり気なネーミングだ。

釜爺「いいか、電車で六つ目の沼の底という駅だ」
千 「沼の底?」
釜爺「とにかく六つ目だ」
千 「六つ目ね」
釜爺「間違えるなよ。昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。それでも行くか千?」

「千と千尋の神隠し」


 銭婆の家の最寄駅「沼の底駅」で降りないと戻ってこれないと釜爺からしつこく言われる千。つまり終点の「中道」とは、輪廻を超えた涅槃の世界ということだろうか。
 戻ってくるためには「沼の底」で降りなければならないと言われる。生まれ変わることができる臨界点を指し示しているのかもしれない。

 千とカオナシは黙って並んで座っている。この山間部を走る車輪の音の響きと車内の沈黙は、その映画のワンシーンを彷彿とさせる。

 映画では周囲はすべて大海原、ここは一面緑豊かな森や田畑という違いこそあれ、下界を離れ涅槃に向かいつつあるという非現実的なシチュエーションに包まれるところがとても似通っていると思う。

 進行方向の先をじっと見つめていると、トンネルをくぐれば突然異次元の扉が開かれ、そのまま列車ごと涅槃の世界へと旅立ってしまうかのような、恍惚感に近い錯覚を覚える。










 やがて終着駅の「行橋駅」に到着したのは夕暮れを迎えた頃だった。

 行橋からはJRに乗って西小倉まで行き、そこから鹿児島本線に乗って、最寄りの駅まで戻る。

 混み合ったJRに乗った途端、時間の針が動き始めた気がした。

 つい先ほどまで乗っていた平成ちくほう鉄道の記憶を振り返れば、それは時のない世界を旅するようなものだったと思う。

 日本の美しい里山の風景の中を、ゆっくりと丁寧に進んでいく1両編成のディーゼルカー。新幹線の十分の一の速度が、車窓から見える風景の美しさを克明に捉えることを可能にした。

 それはまた、現代社会が忘れかけてしまったような「心のふるさと」の原風景を次から次へと見せてくれる映像体験のようにも見える。

 現在、平成ちくほう鉄道は存続が危ぶまれ、バス運行への転換が検討されている。

 どこの田舎にもあるごく普通の風景かもしれない。
 しかしいつの日か、ローカル線は必ず消えていく運命にある。
 紛れもなく日本の「未来に残したい風景」の一つである。








6番目の駅
Joe Hisaishi Official



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燿
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