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ススキ心と秋の空


 透明な青空。湧き上がる白雲。風になびくススキ。
日本の秋の空にはススキがよく似合う。
青色と黄金色とのコントラストが、よりいっそうそれぞれの美しさを際立たせている。どちらか一方が欠けても、どこか物足りない。背景に月があるのもいいが、それだとススキがシルエットだけになってしまうので、明るい日差しの下で見る方が好きだ。

北九州市北東部に広がるカルスト台地「平尾台」は、秋になると見渡す限り一面ススキに覆われる。先日訪れた時は、まだ始まったばかり。明るい日差しを吸い込んで、銀色に輝くススキののぎが、少し冷たい秋の風に気持ちよさそうに揺れ、草むらでは虫たちが飛び跳ね、小道の足元では野の花がままごと遊びのように咲いていた。
現し世であることをしばし忘れさせてくれる天上的な静けさがどこまでも続く。



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ススキと言えば、思い出すのはこの半世紀もの間、日本じゅう至る所でススキとセイタカアワダチソウとの攻防が、地中深くで繰り広げられてきたこと。
戦後アメリカ軍の物資と共に、種子が日本に運ばれてきてから繁殖を始めた北米原産のセイタカアワダチソウ。日本では要注意外来生物に指定されている。1970年代から80年代頃にかけて日本中の空き地や荒れ地などで大繁殖し、在来種のススキやコスモスなどの生息地域を駆逐し続け、一時はススキの絶滅も危惧されたほど。

セイタカアワダチソウは、根から毒性物質アレロパシーを出し、その土地に生育していた在来植物を駆逐していく。モグラやネズミが長年生息している地下約50センチメートルの領域で、そこにある養分を多量に取り込んで大繁殖し、さらにその毒性によって、モグラやネズミなども死滅に追いやった。

ところが大繁殖した末、地中の肥料成分を使い果たし、また自身で放出したアレロパシーによって自らの種子の発芽率さえも抑制してしまい、徐々に減少していくことになる。
結果、最近では背の低いセイタカアワダチソウだけが目立つようになり、またススキやコスモスなどの在来種がアレロパシーに耐性を持つに至り、勢力を回復することとなった。
この平尾台でも、セイタカアワダチソウの縄張りは、ごく限られた狭いエリアだけに集中している様子だった。

絶滅を食い止め、自力で勢力を挽回したススキ。姿形は弱々しそうに見えて、地面の下では実に逞しい存在である。
とても日本的な植物ではないかと思う。

ススキに心があるとすれば、何を想うのか。
外来種との半世紀にわたる死闘を潜り抜け、ようやく見えてきた明るい未来。そのとき、ふと見上げると、澄み渡る空に白雲が流れゆく光景が広がっていた。今年の成長の喜びを静かに噛みしめ、自らの身体から解き放たれる子孫の種が、風に乗って気持ち良さそうに空に舞う姿を、安堵と恍惚感と共に見守っている、というようなことかもしれない。


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一方「秋の空」は、江戸時代に生まれた「男心と秋の空」と、明治から大正にかけて登場した「女心と秋の空」いう諺に、引き合いに出されている。
夏の空は、湿った大気に光が乱反射し、晴れても白く霞むことが多い。秋の空は移動性高気圧に覆われて、大気が乾燥するため澄み渡る。ところが、高気圧と低気圧が交互に通過するために、天気が変わりやすい。朝晴れ渡っていても昼過ぎには曇ってしまうことがよくある。この現象が移り気な男心とか女心と確かによく似ている。

しかし「男心」の場合は、男性の女性に対する愛情が変わりやすいということを揶揄するのに対して、「女心」の場合はニュアンスが幾分違ってくるようだ。

ことわざ「男心と秋の空」ができた理由

もともとは「男心と秋の空」です。男性の変わりやすい心を例えていますが、主に女性に対する愛情が変わりやすいことをさしています。

「男心と秋の空」のことわざができたのは江戸時代。当時は既婚女性の浮気は命を落とすほどの重罪でしたが、既婚男性の浮気には寛大だったこともあり、移り気なのはもっぱら男性だったのです。また、若い娘に男性を警戒するよう戒めたり、ふられた際の未練を断ち切る慰めにも使われました。江戸時代の俳人・小林一茶は「はづかしや おれが心と 秋の空」という俳句を詠んでいます。

それ以前の和歌でも男心は移ろいやすいものとして扱われ、室町時代の狂言『墨塗』に「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」という有名なセリフがあります。

「女心と秋の空」ということわざが表す女性の「移り気」とは、愛情に限らない点で、男性とはニュアンスが異なります。

では、「女心と秋の空」と言われるようになったのは、いつごろでしょう?

明治時代の尾崎紅葉の小説『三人妻』に「男心と秋の空」がでてきますが、「欧羅巴の諺に女心と冬日和といえり」と続きます。おそらくこれは、イギリスの「A woman‘s mind and winter wind change often」(女心と冬の風)ということわざのことで、強風や弱風に変化しやすい冬の風を女心にたとえたもの。この頃から変化の兆しがみえてきます。

その後、大正デモクラシーで女性の地位が向上すると、恋愛の価値観も変わります。当時、一世を風靡した浅草オペラで、『風の中の 羽のように いつも変わる 女心――』と歌う『女心の歌』※が大ヒット。西洋文化の影響で女性が素直に意思表示できるようになったこともあり、この頃から「女心と秋の空」とも言われるようになりますが、愛情に限らず、喜怒哀楽の感情の起伏が激しいことや物事に対して移り気なことを示しており、男心とは少しニュアンスが違うようです。
※ヴェルディ作:歌劇「リゴレット」第3幕より

All About

感情を抑圧しないこと、自分の気持ちを我慢しないこと。これまでの時代はさておき、現代社会において自由闊達な姿勢は、揶揄されるものではなく、女性のみならず男性にとっても、自分自身の心身の健康さを持続する上で、ある意味とても重要な秘訣となるのではないか。それは長年日本社会に蔓延る「男社会」の閉塞的な環境を打ち破り、健康的な社会を取り戻す上でも、一つのセラピューティックなプロセスとなるに違いない。


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カルストの平安と静寂がどこまでも続く。
秋の青空に白い雲が浮かび流れてゆく。
ススキや野の花たちが無為自然に、秋風に吹かれ揺れている。

『風の中の 羽のように――』


平和な世界がまだここには夢見のように続いていた。


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チベットにはこんな瞑想がある。
僧侶たちは独りで山に入り、まったくの孤独の中で坐る。
そして空を覆う白雲にただ瞑想するのだ。
絶え間なく沈思黙考していくうちに、
少しずつ、少しずつ、融合が始まる。
すると、彼らは白雲になっていく。
山頂にかかる一片の白雲になっていく。
思考は一切、無となって、ただ在る。
あらがうこともなく、闘うこともなく、
成就するものも、失うものも何ひとつない。
ただ存在し、在ることのみを楽しみ、
瞬間瞬間を祝い喜ぶ。
その悦び、その歓喜。
私はあなた方にもまた、空に漂う白雲になって欲しいと思う。

オショウ講和集「マイウェイ」


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北九州市 平尾台



























































































































There Where He Lives In Me
Melody Gardot



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燿
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