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大地に安らぐ


 早春の風物詩、梅の花がほぼ満開となった。先日配布された市の広報に、市内の公園にある枝垂れ梅の開花情報が載っていたので、早速雨の日に出かけることにした。

まだまだ冬色に染まる公園に、そこだけ春を先取りするかのような華やかな彩りの一角が遠くからも見て取れる。白、赤、ピンクと小さな花弁を無数に付けた細い枝が四方に広がり、こぼれ落ちるように咲いているその姿は、うっとりするほどの風情と、枝垂れ桜とはまた異なる落ち着いた趣きがある。

梅は中国原産で朝鮮半島経由で日本に渡ったとのこと。奈良時代にはすでに国内で植栽されていたようだ。梅を栽培する目的は本来果実を収穫し、食用や薬用、媒染剤などに利用すること。それが江戸時代になって鑑賞用のための育種が盛んに行われるようになった。
つまり枝垂れ梅は日本生まれと言っていい。

 平安時代の末に編纂された『後拾遺和歌集ごしゅういわかしゅう』には、
「梅香を さくらの花に 匂はせて 柳の枝に さかせてしがな」
と詠まれた句が収められています。
これは中原致時なかはらのむねときが、香りの芳しい梅、花の色の美しい桜、そして柳のようなたおやかな枝、それぞれの良さが一体となった理想の花を思い浮かべて詠んだと考えられています。

 江戸時代になり、園芸ブームが到来し、花を観賞するための花梅の品種改良がさかんに行われるようになりました。当時の文献に“しだれ梅”の記述が見られ、宝永7年(1710)の文献『増補地錦抄』には、
「白八重ひとへ有 木はよくしだれて柳のごとし」
とあります。
江戸時代中期の頃から、平安時代に中原致時が思い描いた三拍子揃った理想の花、“しだれ梅”が世に広まったと考えられます。

城南宮


静まり返った雨の梅園で、芳しい香りをしっとりと漂わせ、桜のように艷やかに、柳の如く優雅に枝垂れている。三拍子揃った理想の花とはよく言ったものだ。
天を目指して立ち上がっていく隆々たる幹と、重力に逆らわずに垂れ下がる繊細な花枝のコントラストは、禅僧の深い静寂の境地を彷彿とさせる。
人の手によって品種改良されたものとは言え、力強く上昇する勢いと、大地に安らぐという相対性を体現している木は意外と少ないのではないか。

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私たち人間も重力に逆らうことはできず、大地に身を委ねながら生きている。しかしながら、その惑星地球自体は猛烈な速さで宇宙空間を突き進んでいるということを、日常生活の中で実感するのはなかなか難しい。私たちは地球を取り囲む地磁気と大気のバリアによって包まれ、さらに太陽の周りを安定して周回していることで守られている。

地球は一周約24時間(約23時間56分4秒)で自転している。赤道上に立っている人はおよそ時速1700㎞、日本では時速約1400kmで、東に向かって常に移動していることになる。
地球が太陽の周りを一年かけて公転する速度は、時速約10万7,000 km
太陽は銀河系の軌道を時速約86万kmで公転し、約2億年かけて銀河を一周する。
さらに私たちの天の川銀河は宇宙が膨張するのに合わせて、時速約216万kmの速度で移動していると考えられている。
この移動は一定方向ではなく、他の銀河の存在によって、押し合い引き合いの中で動いている。地球は宇宙の力学的エネルギーの様々な関係性の中でバランスを取りながら旅をしているのだ。


地球上のみならず、このように宇宙では多種多様な関係性の中でバランスがとれた時、安定して存在することができる。
一人の人間の中においてもまたバランス感覚が鍵になると思う。

以前アジズ氏というポーランド人の禅マスターから教えて頂いた瞑想の中で、吐く息と共に「意識がハラに落ちていく」というイメージを持ち続けていると、やがて意識は思考と感情の渦から解放され、自分自身の中心=腹に深く安らいだ状態へと入っていくということを経験した。

さらにこの感覚の先にあるのは「大地」である。
「意識 ━ 腹 ━ 大地」が一直線上に並び、それが中心軸となって、揺るぎない安定感が生まれる。「腹が据わる」ということや「センタリング」或いは「地に足を付ける」ということも、このコンビネーションの別の側面を言い表している。

安らぎというものは、色々な窓口の違いはあるものの、最終的には人と大地とが共鳴し合うことで得られる感覚ではないだろうか。
人間の体は大地から生まれ、大地へと還っていく。この絆は切っても切れない。母親の胎内で胎児が安らかに眠るように、私たち人間にとっては「腹」を通じてエネルギーが「母なる大地」と繋がることによって、安らぎを感じることができるのだと思う。





まったく不思議としか言いようがないが━━━
ここからエネルギーのよりよい循環が起こり始める。

身体の生命力が活性化し、自然治癒力が高まり、健康を回復する。
ハートの愛と創造性が花開く。
直感や閃きはこの中心軸から瞬時に湧き上がってくる。
脳はコンピューター、感情はセンサーという本来の役割に退き、主役の座を「中心」に明け渡すことによって、「今ここに生きる」ことが実現する。

枝垂れ梅の花が咲く時もまた、そのようにして母なる大地に安らぎ、今年も再び歓喜のひとときを味わっていることだろう。


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瞑想をすると
意識が顕在意識領域から無意識領域へと移行するだけでなく
利己主義から利他主義へ
あなたの名前が付けられた体という存在から名前も体もない存在へ
所有物とのかかわりを持つ存在から物との繋がりのない存在へ
物質主義者から非物質主義者へ
ある場所を占有する存在からどこにもいない存在へ
ある時間軸にいる存在からどの時間にもいない存在へ
外界を現実だと信じ五感を通じて現実を定義する認識の仕方から
内面世界が現実だと信じ
そこに入ると無感覚になる(意識だけの世界に五感の感性は存在しない)という認識へと変わる

瞑想は私たちをサバイバルから創造へ
不調和から調和へ
緊急事態モードから成長・修復モードへ
怖れや怒り悲しみといった自己抑制的感情から
喜び・自由・愛といった発展的な感情へと移行させてくれる

簡単に言えば
既知の世界にしがみつく態勢から
未知の世界へと自分を解放する姿勢への移行だ


ジョー・ディスペンザ著『あなたはプラシーボ』



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花農丘公園・北九州市立総合農事センター













































































The Day Before
Michael Allen Harrison




ありがとうございます










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