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夏色輝く

(文1500字 写真60枚)


心頭滅却しんとうめっきゃく亦涼またすずし」

 夏が来れば思い出すこの言葉。しかしこうも暑い毎日が続くと、心中の雑念を打ち払うことは叶わず、眩い夏色輝く風景の何処かに、この境地へ誘うような涼し気な静寂がないものかと、ついつい山水の地を彷徨ってしまう。


 この有名な故事成語の語源は、詩人杜荀鶴とじゅんかくの漢詩「安禅は必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」(安らかに座禅を組むために、必ずしも山水の地へ出かける必要ない。心中の雑念を打ち払えば火の中であっても涼しく感じる)。

この言葉を有名にしたのは、甲斐かい(現山梨県)の恵林寺えりんじの禅僧快川かいせん

武田信玄は、この快川禅師に帰依して禅を学んだ。天正十年(1582年)、武田家が織田信長によって滅亡させられたとき、信長は快川が住していた恵林寺を急襲し、快川以下一山の僧、百余人を山門楼上に追い込み、山門の囲りに薪を積んで四方から火を放った。火に包まれながら、快川禅師が最後に弟子たちに教えた言葉がこの語だった。(臨黄ネット参照)


 今日では「どんなに苦しい状況でも、分別執着心を断ち切って無念無想に徹すれば雑音も熱さも無関係」という意味として使われることが多いようだ。
以前、朝の子ども向けテレビ番組にも、この故事成語が出てきたのを見て驚いた。子どもに言って聞かせる言葉として相応しいものなのか分からないが、最近の子どもは信じられない位に賢いから、すんなり知識として受け入れる子もいるかもしれない。

「心頭滅却」とは即ち無我の境地。
「無我」に至る道は、知識を得るだけでは歩むことはできず、「我」にまつわる諸相を味わい、そこから抜け出したいと心底思わない限り、求めようとする気にはならないのではないかとも思う。

禅のある宗派のサイトには次のように書かれてあった。

自分を焼き尽くす猛火の熱さ、恐ろしさに、振りまわされない自分をしっかりと確立しさえすれば、「火も自ずから涼し」ということになるのです。
 火は熱いものです。熱さに変わりありません。しかし、熱さをそのままに熱さとして受け取る静かな澄みきった境地を、「涼し」と表現しているのです。
 禅はありのままに受け取る心を育てるものです。火を冷たいと感じる奇蹟は禅にはありません。

臨黄ネット

「熱さをそのままに熱さとして受け取る静かな澄みきった境地を『涼し』と表現している」というのは、なるほどそうかと思う。

若い頃、ミミズを趣味で飼っていたことがある。推計およそ20万匹。
庭の隅にブロックを積んで囲いを作り、そこに乗馬クラブからもらってきたトラック一杯の馬糞を敷き詰めておくと、数か月ですべてミミズ糞と化す。
それを回収して袋詰めにし、当時アルバイト店長をしていた園芸店で販売させてもらっていた。
ブロックの中は同時に蚊の温床でもあった。夏の炎天下で回収作業をしていると、いくら蚊よけスプレーをつけても効果がなかった。やる時にはとことんやるという性分だったので、開き直って短パン一枚だけで作業した。一日を終えると、全身が真っ赤に腫れ上がっていた。それを続けていると3日目にはいくら刺されても、まったく痒くなくなり、快適に作業ができたのだ。
これはつまり「痒さをそのままに痒さとして受け取る静かな澄みきった境地」ということだったのかもしれない。
もう二度とやりたいとは思わないことだが…。




夏色輝く


夏色の朝

北九州市























夏色の昼下がり

熊本県菊池渓谷


































夏色の宵

福岡県遠賀郡蘆屋町












夏色の夜

北九州市











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Yuriko Nakamura





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燿
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