養護教諭Kの大罪
その学校は一番近い駅から歩いて20分以上の静かな場所にある、山の奥の特別支援学校だ。
一応バスは通っているが、料金が高い(当時片道500円)上40分に一本も来ない、更に始発駅から50分かかる為、事実上電車通学を余儀なくされている。電車だと当時片道200円で15分かからない、ただし丘の麓に着く為、10〜15分程度山を登る必要がある、そんな変な場所に学校はあった。
自分は2012年春、かかりつけ医にASDと診断され、この学校に入学する事になった。
他にもいくつか入学先の候補はあったが、体験にきた時、他の学校ほど環境音がうるさくなかったのが決め手となった。
この学校には組はなく、同じ年度の学生は1つのクラスにまとめられる。その年の生徒は自分含め3人だった。一人はN.Mという女の子。もう一人はT.Tという車椅子に乗った男の子だった。
担任は英語教師のM先生と数学教師のK先生だ。
授業はあってないようなもので、一通り公文などの教材を終えたら自由時間になる。その時間が先生の負担を和らげていたのか、先生に質問すると不機嫌になる事が多かった。特にK先生に至っては、声を荒げ、暴力を振るう事もあった。当時自分は中学は怖い所だと思い込んでいたため、あまり疑問に思わなかった。
K先生は教師のまとめ役になるくらいには周りから信頼されている人物だった。特に保護者と会った時にはガラッと態度が変わる。他の先生達はK先生の本当の姿を知らなかった。
K先生一人、他生徒だけの状態でK先生に質問すると、
「そのくらい自分で調べろボケ!」
と大声で怒鳴られ、調べて確認してもらうと
「間違ってまーすwwwやり直しなwww」
と嘲笑われる。実際には合っていたとしてもだ。
ストレスのせいか自分は頭痛薬が必須になり、N.Mは腕を血まみれになるまで掻きむしり、一時期は半ば強制的に保健室に通うようになった。
反面、他の教師がいる所ではこれらの態度は絶対に見せない。『真面目で生徒思いの先生』というのが当時の評価だったらしく、教室で起こっている事を説明しても信じてくれなかった。
そんな生活が半年続き、夏休み明け、T.Tが服に落としたアイスクリームを取ろうとして骨折して入院している事が判明した。
元々彼は骨が折れやすい病気持ちだったが、K先生は彼に対してノーコメントどころか初めからいないものとして扱っていた様子だった。薄情な先生である。
K先生はどこにでも付きまとう。イベントだろうがいつもの授業だろうが、教科担任制なんてお構いなしについてくる。トイレ以外はどこまでも一緒。そして一挙手一投足に文句をつけるようになった。
「それは本当に○○ですか?」
「その○○で本当にいいんですか?」
うざい事この上ない。
そんな自分はある事を考えるようになった。
この学校に入った中学部の生徒は基本的に高等部という、いわゆる高校へ進学する。だが、このままではK先生が金魚のフンの如く付きまとうのではないかと。
そこで、その年の冬、ある事をK先生に言った。
自分「K先生、高校はここを離れて普通高校へ行こうと思っています」
K「それは無理だ。君の学力では他の生徒の点数には叶わないよ」
自分「分かっています。勉強したいので指南してください。普通の授業を希望します」
しかし、普通授業をするというのは先生の負担が増えるということ。
K先生の態度は一層悪くなった。
悪態を突かれ、わざと解けないレベルの問題を出され、上から目線な態度が続いた。
しかし、この学校から出る為に手段は選ばないつもりだった。何としてでも、普通の高校に進学したい、でないとK先生に人生を壊される。
そんな思いからがむしゃらに勉強し、先生の理不尽に耐える日々が始まった。
それから3ヶ月後、学校祭で使うオリジナルキャラクターを作ろうというイベントがあった。
自分も参加することになったが、元々絵は風景画中心に描いていて人物系の絵はあまり描き慣れておらず、中々描き出せずにいた。
この日のK先生は機嫌が悪く、また運悪くM先生や(教室内に)他の生徒もおらず、普段の楽な授業がなくなった先生はイライラが頂点に達していた。
K「おい、まだ描けないのか」
自分「描き慣れてないので…もう少し時間をください」
K「待てねーよ、早くしろ。10、9、8…」
唐突なカウントダウンが始まった。元々急かされるのが苦手な自分はパニックになり、思い切って大きな○を描いた。
K「おい、なんだこれは」
自分「えっと、オリジナルキャラクター」
言い終わる前に、K先生は畳み掛けるように、
K「適当な事言ってんじゃねーよ!」
と怒鳴ると、新しい紙を持ってきて、
K「おら、もう一回描け。出来たら帰っていいから」
と言ったが、この時既にパニック状態だった自分は泣きながら訴えた。
自分「ずびばぜん、がげないのででづだってぐだざい」
しかし、泣きながら訴えたのが先生を更に怒らせてしまった。
K「いいから、早く描けよ」
そういうと、K先生はいきなり自分の右手首を掴むと、まるで果物を絞るかの如くギューっと握りながら無理矢理描かせた。
当然、痛くない訳がない。
自分「い、痛い!先生痛い!やめて!痛い痛い痛いいたいいだいい゛だい゛!!」
泣き叫びながら振り解こうとするが、先生の握力は更に強くなるばかり。
K「暴れんじゃねーよ!早く描けよ!!」
と言い更に握る手の握力が強くなった。耐えきれなくなり、先生と半ば揉めた。
しかし、この時に用紙を誤って破いてしまった事がK先生の逆鱗に触れる事になった。
K「オメェ→%々☆・%:^[・々〒〜ってんだよオラァ!!」
と解読出来ない言葉を発すると、手首を掴んだまま廊下に引っ張り、そのまま生徒指導室まで運ばれた。
そこで何時間も説教された。何を説教されたかはよく覚えていない。
さすがに他の教室にまで響き渡る声でやり取りしていたので、この一件で程なくしてK先生は異動になった。
しかし、この頃から絵を描こうとすると心身共に頭痛や吐き気や手の震え等の異常が起こり、緊張のあまりペンを握る手がグー握りになり、最終的に腕を掴まれる幻覚が見え、暴れ回って筆記用具を壊すようになった。
その後、プログラマーを目指す為に工業高校を目指し、合格するまでは暗い日々が続いた。
壊れそうな自尊心を支えてくれた親やM先生、そして友達には感謝してもしきれない。
…と、ここまでの話を周りにした時には、以下のパターンが返ってくる事が大半だ。
①他の道具で描くのを試してみてはどうか
②左手や足、口で描いてみてはどうか
このようなアドバイスに心底うんざりしている。
なぜなら、別に腕そのものは無事だからである。
奴が犯した罪は『暴力』ではなく『描く楽しみを奪った』事にあるからだ。
そもそも、自分はそんなに絵が上手い方ではない。だが描くのは好きで特に版画は得意だった。ただ、図画工作の成績は大して良くなかった。完全に下手の横好きである。
それでも、『好き』という気持ちは凄く大きいものがある。『技術』の才能がない分、伸びるにはこれしか要素がなかった。
だが事件以降、全く描くのが楽しくない。
絵を描くと怖くて失禁するかもしれないという恐怖、また幻覚を見るかもという不安に襲われる。
心は完全に壊れてしまった。腕や足と一緒で、壊れた心はもう二度と戻らない。
こうして自分は一生絵が描けない身体になったのだ。
そしてあれから約11年の月日が経った。
あれから色々な事があった。
父の会社の不祥事による減給、母の病気の悪化、自分の鬱病の発症…
そして、異動先でのK先生の出世。
絵の練習は母の介護や父の手助けにやったバイト等の間にある僅かな時間を使ってやったが、結局絵は一度も描けるようにはならなかった。
ネット上でこの事を訴えても、帰ってくるのは
「絵描くのやめたら?」
「大して努力してないんでしょ」
「ただの思い込み乙」
といった嘲笑う声のみ。
普通に絵を描いて、普通に自己表現をして、普通に楽しい時間を過ごしたかった。
普通が良かった。普通に生きたかった。
もし、自分が障害持ちじゃなかったら。
もし、担任がK先生じゃなかったら。
なんて、たられば考えても何も変わらない。
そんなの、分かってる筈なのに。『普通』なんて夢のまた夢なんて、とっくに分かっている筈なのに。
生涯ずっと惨めに一人で、絵を描く度に苦しみながら、寂しく死んでいくっていうのか?
こんな、これが俺の生き方?嫌だ。そんなの嫌だ。ふざけるな。
普通に生きたい。普通に描きたい。
そう思って描く度に
また腕を掴まれる幻覚に襲われて
猿みたいな情けない叫び声を上げながら
暴れて筆記用具を壊すんだ。
SNSで見る絵を描こうとする人は、皆笑顔で楽しそうに描いてる。そう感じるのは、自分がどう足掻いても一生この手に掴む事が出来ない、星の様な存在だからだろう。
筆を持ち、紙に絵を描く。
そんなどこにでもある風景は、自分には生涯訪れる事はない。
だから納得するしかない。
こうしてずっと、絵師という星を恨めしく眺めながら、
その光景を指を咥えて見つめながら、
太陽のように眩しい理想から目を逸らして、暗い現実に立ち向かって生きていくしかないんだろう。
このままずっと、永遠に。