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突然の母の入院。この2週間で起きたことと、得た大きな気づき

こんにちは。海パン社長です。

さて、今日はコンテンツ開発チームの高塚による正直日記ですが、いつもの定型文からスタートしていません。

なぜなら、今回の日記が特別な内容となっているからです。

約2週間前の金曜日、全体チャットに高塚から連絡が流れました。彼の母親が突然職場で倒れてしまったという連絡です。

明日から通常通りの勤務に戻る彼から、「自分の中に留めておこうと思ったけど、この学びをシェアしたいです」というメッセージを先程もらいました。

「人生のボトルネックは健康である」ということが、少しでもみなさんに伝わることを願っています。


▼それでは、どうぞ▼


2週間前、母が脳出血で突然倒れ入院しました。
あまりに突然の出来事で、父も私も何がなんだかわからない日々を過ごしていました。

一通りの検査を終え、医師からは体の麻痺や感覚の障害、脳に障害が残る可能性もあると伝えられました。それまで、元気に過ごしていた母からは想像もつかない状況でした。

後遺症が残ってしまった場合、今の生活のまま家族2人(父と私)だけで介護することはできるのか?
「休職する必要があるのか?」
「どちらかが仕事を辞めて介護をする必要が出てくるのではないか?」
と毎晩のように父と話し合う日々。

その中で感じた仕事についての考え方や、人生の気づきについて素直に書いていこうと思います。

(今は無事退院することができ、若干の後遺症(短期記憶が苦手になった)は残りつつ、今まで通りの生活ができています。)

人生はそんなに長くない

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「後遺症が出て、元のような生活をできないかもしれない」
と言われた母を見て、一番強く感じたのはこれでした。

人生100年時代とは言われるけれど、本当にやりたいこと、好きなことに使える時間は人生の中でどれぐらいあるのでしょうか?

母は、5年前ぐらいから「父の定年後、日本全国のいいホテル/旅館止まって国内を巡りたい!」と言っていました。
しかし、今回の脳出血で後遺症が残り、介護生活になってしまったら、その夢は叶わないものとなってしまいます。

年金支給額も年々少なくなり、「稼げるうちに稼いで、老後にお金を貯め、それからやりたいことをやろう」と考えている方は多いと思います。もちろん、それが悪いということではありません。

ですが、例え時間やお金があったとしても、健康な体がなければ、やりたいことや好きなことはできません。

社長の樗澤さんも常々言っていることですが、

「人生のボトルネックは健康」まさにそうだなと感じた瞬間でした。

”健康”で”時間”もお金にも余裕がある時間は人生の中で非常に短い。これを心の底から感じました。

何のために働くのか?

仕事

仮に重度の後遺症が残り介護が必要となった場合、”仕事”をどうするのか。

仕事を調整してもらえて続けられるのか?
仕事を辞める必要があるのか?

父と毎日のように議論をしていました。

2人で話し合う中で、
1年間父が働き、私が母の介護をする。その後、父が退職金をもらい早期退職。そのタイミングで私が仕事を再開するという話が出ました。
介護にかかる費用やその後の人生キャリアを考えた時に、そうせざるえなと私自身感じていました。
しかし、その話をした翌日。突然父からこんなことを言われました。

「仕事って何のために、誰のためにするんだろうか?」

国立大学から新卒で大手イメージング ソリューション事業を行う企業に就職。今では、50名以上の部下を抱えるマネージャー。その父から出た言葉が私にはあまりにも重く感じました。

父の中での”仕事”は、母と私のためにお金を稼ぐ1手段。
生活費はもちろん必要だけれども、母と過ごす時間を削ってまでも仕事をする必要はない。という結論に行きつき、父は介護休職を申請し仕事から離れるという決断をしました。

私は今まで通り、働くことができていますが、

「働くこと、働けていることは、決して当たり前のことではない」

当たり前と思っていたことが有難いことだと感じられました。

人に頼るのは決して悪いことではない

人に頼る

母の入院期間中、本当に多くの方々に助けてもらいました。

・母が毎週行っていたパン屋の方が、わざわざ自宅までパンを届けてくれた
・仲の良かった母の友人がケアマネージャーや介護について調べて、手配してくれた
・入院した病院に勤務していた私の同級生(看護師さん)が病室に行って声をかけに行ってくれた

私と父は、「家族で起きたことだから、できる限り2人(父と私)で何とかしよう」と考えていました。

しかし、友人や近所の方から

・いつもお世話になっているから何かあったら言ってね!
・気分転換に一緒にご飯でもいこうよ!


と本当に温かい言葉をかけてもらいました。

「人に頼ることができるというのは、頼られている証」


この期間中、母や私の状況を気にかけて連絡をくれていた、ジェイエルネス(組織人事)を担当している新見さんに言われた言葉でした。

「日頃から色々な人にgiveをしているから、takeさせてもらえたんだよ。それも一つの能力だね。」

誰かに助けを求めることは決して恥ずかしいことでも、弱さでもない。
頼るというのは、信頼の証であると感じた瞬間でした。

ジェイエルネスのみんなへの感謝

母が入院した翌日から約2週間、仕事を調整してもらい、実家で仕事をしていました。面会はできませんでしたが、何かあった時に病院に駆けつけられるというだけでも安心でした。

常に120%ぐらいの仕事をしているメンバーに更に負荷をかけてしまうのは会社全体にも大きな影響。

翌日に出張が控えていたことなどもあり、迷惑をかけぬよう出来る限り今まで通り働く予定でいました。

そんな中、母が倒れた翌日の会議やチャットで、
「対応できるように時間空けてます!」
「この仕事は僕の方で もらいます!」
と笑顔で言ってもらえました。


本当に心の温かい良い会社です。

chatworkやりとり

こんな状況でさえも、”成長できる機会”として動いてくれる会社がどれだけあることか、、。


本当に皆さんには感謝しかないです。
ありがとうございました。


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さて、いかがでしたか。

まずは、今回の経験をシェアしてくれた高塚にリスペクトと感謝を伝えたいです。ありがとう。

そして、健康というものは「なくして初めてありがたみに気づくもの」と言われたりしますが、そのことに気づいたり体感するための知識がないだけだと思っています。

決して、意識が高いとか低いなどの議論ではありません。

そして会社を経営する立場としてメンバーやその家族の健康に対する責任も負って然るべきだと考えています。

・別に売上に関係ないからメンバーの健康に興味がない
・別に詳しくないから仕事中の不健康は見て見ぬふり
・個人の自由だから口出しできない
・まだ若いし良くない?

色々と言い分はあるかもしれませんが、個人的な意見としては経営者としての責任から逃げているだけだと思ってしまいます。

例えば、有望なスポーツ選手がいたとしましょう。その選手が無謀な練習メニューを余儀なくされた影響で怪我をし、後々になって選手生命が短命で終わったとします。

もちろん、スポーツ選手だって個人ですから自己責任と言って仕舞えばそれまでですが、なんのためのコーチ?なんのための監督?と思う方も少なくないでしょう。

僕は経営者の仕事も同じだと考えています。

これ以上は話が長くなるのでまた別の機会にしますが、ジェイエルネスでは未来に残す健康負債を無視した経営はしません。

そのためにも経営者が、人間の心身について学ぶ必要があると考えています。

少し話は逸れてしまいましたが、高塚がシェアしてくれた日記が少しでもみなさんにとって気づきとなることを願っています。



それでは、また明日、お楽しみに!

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