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発達障害かな?とわかった日~診断を受けたよりみちが感じたこと~
よりみちです。
「よりみちさんって、ホントに発達障害なの?」
そう聞かれることがあります。
「ホントに?」
この言葉、どこかユーモラスに聞こえますよね。
「これで、ウソだったら面白い。」
そう思ったことも。
いや、むしろ、「ウソだと言いたい」と本気で願ったことも。
もし私が発達障害でなければ
あの苦しかった過去を味わう必要はなかったのかもしれない、と。
発達障害とは?
発達障害には、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、LD(学習障害)など、様々な種類があります。
私は専門家ではないので、医学的な詳細は割愛しますが
私はADHDの多動性衝動性の混合型と学習障害
そして、うつ病を抱えています。
発達障害を言葉にする難しさ
自分の中にある発達障害を言葉にするのは、とても難しい。
だから、うまく伝わらない。
失敗した時だけ、発達障害がクローズアップされてしまう。
それが、生きづらさや辛さにつながっているのではないかと感じています。
21歳、診断された日
21歳、診断された日。そして、私の人生が変わった瞬間
21歳という若さで
ある診断結果を突きつけられました。
「ADHDの多動性衝動性の混合型と学習障害、そしてうつ病」
という、長くて複雑な言葉の羅列は
まるで私の人生に新たな章を開く
一つの区切りを示すかのようでした。
その頃の私は
人間関係の悩みから
苦しんでいた。
うつ病の発病原因は
わからないとされるが
人間関係が遠因と考えらえることがあるのではないかと
医学的な視点ではなく
私の個人の感想です。
その時は
毎日が働きながらも
灰色に染まり
何をするにもやる気が出ず
未来に対する希望も失いかけていました。
そんな中、藁をもすがる思いで
病院を訪れ、様々な検査を受けることになったのです。
診断の結果を聞いた時
自分の抱えていた問題に
ようやく名前がついたという安堵感もありました。
しかし同時に
「自分はフツーじゃないんだ」という絶望感
「これからどうすればいいのか」という不安
これが襲ってきました。
発達障害という単語との出会い
発達障害という言葉を初めて聞いたのは
学生時代だったと思います。
その時、「もしや…」と思いがありました。
幼い頃から周りの子とは少し違うと感じていた。
例えば、小学生の時
集中力が続かない、落ち着きがない、忘れ物がひどいなど
日常で感じていた違和感の全てが
ADHDの症状として説明がつきました。
また、学生時代から苦手意識を持っていた勉強も
学習障害があるからこそ難しかったのだと理解できたのです。
しかし、病院へ行こうという気持ちには
なりませんでした。
それは
自分が発達障害であるという受けとる力が弱かったです。
うつ病との闘い
発達障害の診断と同時に
うつ病の治療も開始しました。
薬を飲み、カウンセラーさんと話す日々。
最初は、薬の効果を感じられず
未来に対する希望も薄れていました。
しかし、少しずつですが、眠れる時間が増え
朝起きられるようになったり
以前より好きなことができる時間が増えたりと、変化を感じ始めました。
「もうダメかもしれない」
そんな風に思ってしまう時もありました。でも、周りの人たちの温かい言葉や、自分自身を信じる気持ちに支えられ、私は少しずつ前に進むことができました。
うつ病というストーカー
しかし、うつ病は、まるで影のように私につきまといました。何度か、再び深い闇の中に引きずり込まれそうになったこともありました。そんな時、私は過去の自分を思い出し、「あの時、乗り越えられたんだから、今回も大丈夫」と自分に言い聞かせました。
うつ病の実態と現在の私
うつ病は、風邪のように簡単に治せる病気ではありません。何度も再発を繰り返す可能性も高いと言われています。傷が治癒するように、完全に元の状態に戻ることを「完治」と言うならば、うつ病は「寛解」という言葉がより適切かもしれません。
寛解とは、症状が改善し、日常生活を送れる状態を指します。しかし、それは決して終わりではなく、常に再発のリスクと隣り合わせなのです。
発達障害と私
発達障害の診断を受けてから、以前より発達障害というものを受け止めるこことができました。
受け止めるために
何度も何度も
過去分析したり
発達障害の書籍を読み漁る日々。
そして
自分なりの生きる術を活用することで
発達障害でもよいということを
自分で定義つけすることができました。
発達障害は、決して私を定義するものではありません。
それは、私が持つ一つの特徴です。
ですが
個性ではない
個性と片付けることが
私にはまだできません。
ですが
発達障害があるからこそ
他の誰とも違う視点で世界を見ることができるし
ユニークな才能を開花させることができたのかもしれません。
すべては
結果論ではないかと言わればそれまでです。
未来への希望
発達障害を受け止めてから
自分自身と向き合い、そして
今、よりみちとして
未来に向かって
よりみちしています。
もちろん、これからも
様々な困難に直面するかもしれません。
ですが
私はあきらめたくない。
自分自身の強みを活かし
まわりの人々の力、応援を受けて
自分らしい生き方をよりみちしていきたい。
もし、同じように悩んでいる人がいたら
私はこう伝えたいと思います。
「あなたは一人じゃない。
自分のペースで
深呼吸して
一歩ずつすすもう。」と。
発達障害と絵を描くこと
絵を描くことで、自分の感情を表現することができます。
Xでアート展で
多くの人に自分の絵を見てもらえた。
感動した。嬉しかった。
絵を描くキッカケ
そして
よりみちにもなれました。
よりみちが伝えたいことは
発達障害
楽しくない。
つらいし
めんどくさい。
でも、仕方ない。
受け止めて
前へよりみちしていくしかない。
それは
ネガティブな気持ちでも
ポジティブな気持ちでも
そう、思って今日も
よりみちしています。
発達障害を抱えている人
そしてそのまわりの人たちへ
皆、それぞれに異なるものを持っています。
そのものを受け入れることって大変だと思います。
自分らしく生きる。
それだけを思って生きる。を大切してほしいと思います。