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携帯が水没して学んだこと

携帯が水没しました。

先日降った雨の中、電車に乗るのも憚られたのでバイクに乗ってバイトに行きました。自分もずぶぬれになりながら家に帰って見つけたのは、冷たくなったiPhoneでした。

そこから私の孤立生活が始まります。

とはいっても私はパソコンを持っていますから、真の孤立とは言えません。電話こそできませんが、LINEだってTwitterだってnoteだってログインできます。

しかし、この生活が始まって私は衝撃を受けました。私の生活のありとあらゆるものがスマートフォンに支配されていたのです。

朝、アラームが鳴りません。久々に目覚まし時計をセット。目安針をくるくる回して、なんとなく小学生の頃のラジオ体操を何となく思い出します。

外に出て、腕時計を付けていなかったことに気づきます。携帯もないので時間が分かりません。音楽も聴けません。帰ったら教授からメールが来ていました。危ない。

夜、好きなYouTuberさんたちの動画をチェック。携帯がないのでパソコンでみます。コメント読みながら動画見れますね。今度からパソコンでみようかな。思わず高評価です。動画の内容なんだったっけ。

寝る前、noteを書きます。携帯がないから、パソコンで書きます。ハードが変わっただけなのになかなかに書けません。私の場合、書いた文章を何回も読みなおし続けていつの間にか寝落ちするといういつものルーティンが崩れてしまいました。この文章も何日もかかってようやく書けました。

皆さんもどうでしょうか。あなたの目の前にある情報機器に縛られた生活を送っていませんか?私は一週間程度ですがスマホがなくなって非常に不便な生活を送ることになりました。

スマートフォンへの依存は人間に悪影響を与えているのでしょうか。私は悪だけではないと考えています。

スマホなどの情報機器によって全てを与えられた人間は「スマホを持つ人間」としては最適な進化をしていると思うからです。スマホを持っていることが前提となると、「多くの知識を持っている」ということは今の時代ではコアコンピタンスにはならないのですかね(クイズ王の伊沢さんのようになれば話は別ですが…)つまり、もはや情報端末は自分の体の一部として解釈してしまえるような存在になっているのだから、それも含めて人類は進化したということです。

時代に合った進化の流れの一つに情報機器があり、それとの組み合わせによって人類は更なる発展を遂げられるはずです。

つまり私は体の一部を失ったことになるのでしょうか。経済的な事情で自分の身体能力すら変わる時代が来たのかもしれないですね。

iPhone6Sさんには4年間もお世話になりました。とりあえず乾燥してみますから直ったらまたYouTubeみましょう。

新しいiPhoneSE2より配信

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