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莫迦について考える
片仮名で「バカ」と書いたり「馬鹿」という漢字を使うより、「莫迦」と書いた方が莫迦に対して敬意を持った表現だという気がする。何となく仏教的に思えるだけかも知れないけれど。
チューダパンタカ<須梨槃特(すりはんどく)>というブッダの弟子がいて、莫迦だったが阿羅漢果を得たという。阿羅漢果というのは解脱みたいな意味らしい。ブッダと同等の叡智を得たと解釈して良いだろう。
一方、シャーリプトラ<舎利弗(しゃりほつ)>は優秀な人で、ブッダの弟子の中で智慧第一と言われたが、永久に解脱できない二乗永不成仏というのだそうだ。何故こんな事になるのかは判らないが、悟りというのは頭が良いとかえって障害になる、みたいなふうに私はザックリ捉えていた。
我々が一般的に「頭が良い」とされる人の特徴は何だろう?
高学歴
知識が豊富
計算が速い
弁が立つ
人を動かす
レジでの会計が速い
などなど。
当然、これらの逆が「莫迦」呼ばわりされるわけなのだろう。
莫迦のレッテルを貼られると、自らを知的であると自認する人々から排除される。
知的障害という言葉を使うと事態は深刻さを増す。人間らしさや知性などというものは、所詮は社会的な尺度しか持たないのかも知れないと露呈する。
ひょっとしたらシンギュラリティとは、AIが人間に近づいた時に起きるのではなく、人間が知性的であろうとするがあまり、AIに近づいた時に起きるのだ。人間が自分以外の知性を認めるのは、単に会話が適切に行えるからに他ならない。
幸福であることを知っているという点に於いて、「アルジャーノンに花束を」のチャーリーは、知性の獲得と喪失の間で苦悩するより、ありのままの彼が彼として生きている時の方が、より人生を生き易くしていた。
生存の有利の為に発達させた大脳皮質は、その優劣を競い合う中で、同時にその生存を危うくしているのだ。
我々人類が、結果的に最も愚かだと結論づけたものが、皮肉なことに「知性」であった。
何故なら、幸福である事が最大の勝利だからだ。
2023.4.22
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