『山中湖にて』(10) レジェンド探偵の調査ファイル,浮気調査(全11回)
『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第五話】山中湖にて
10
姉が岡田教諭を呼び出し、私は依頼人の従兄弟として同席することになった。場所は渋谷の道玄坂にある「マイアミ」という喫茶店だった。渋谷駅前のスクランブル交差点は、いつの間にか街路樹の枯れ葉が舞う季節になっていた。
約束の時間に五分ほど遅れて行くと、二人はもう席に座って、気まずそうな雰囲気で向かい合っている。Gパンにジャケットといったラフな格好の岡田教諭はさすがに当惑したような顔でかしこまっている。私が席に着くと、さっそく本題に入った。
私は言葉を飾らず単刀直入に言った。
「悠子はあなたが別れてくれるというので離婚したんだけど、岡田さん、あなたは離婚できるの?」
岡田教諭は少し間を置いたあと、
「そのつもりです」
と口元を歪ませるように答えた。お姉さんはこの言葉にムッとしたらしく、
「岡田ださん、そのつもりってどういう意味ですか。妹は、あなたが奥さんと離婚して自分と再婚してくれるって言うから、家庭を棄てたんですよ。それをいまさら、つもりってことはないでしょう!」
と詰問調で言い、早くも涙ぐんでいる。
岡田教諭は下を向いてだんまりを決め込んでいる。私は、彼のこんな態度はある程度予想していたのだが、たとえ一パーセントでもその可能性がないかと淡い期待もあった。岡田教諭は、目に涙をためている姉と自分を睨みつけている“従兄”に当惑したのか、
「すみませんが……もう少し時間をいただけないでしょうか?」
こう言うと、
「あの、僕はほかにちょっと用事もあるので、今日はこの辺で失礼したいのですが」
と言って席から腰を上げようとする。私は思わず、
「ちょっと待てっ!」
と少し声を荒げ、べらんめぇ調で「お前、今日は帰れねえんだよ」とすごんだ。
岡田教諭はギョッとした顔になり、へたへたと腰を下ろした。
私は不安そうな顔で私を見つめるマルヒに、今度はうって変わり優しく諭すように言葉を続けた。
「ねえ、岡田さん。怒らないから正直に言ってよ。奥さんと別れることなんかできないだろう? いま、あなたには子供が二人いる。上のお兄ちゃんは五歳だ。僕にも子供があるからよくわかるけど、目に入れても痛くないくらい可愛い年頃だよ。あなたが本当に奥さんと別れるというのなら、いますぐ別れることだ。一日伸ばせば、その分だけ難しくなるし、いまなら子供たちもあなたのことをすぐに忘れてくれる。うん、そうだよ。今日、このまま家に帰らないで蒸発すればいいんだよ」
岡田教諭は口をパクパクさせて、何か言おうとしたが言葉にならない。やっと出てきたのが、
「すみません、本当にもう少し待って欲しいんです」
という言葉だった。
私は横にいるお姉さんのほうを向いて、首を振った。姉はうなずき、軽蔑した顔で言い捨てた。
「岡田さん。私はあなたに離婚する気持ちなんてこれっぽっちもないことがようくわかりました。これから、私たちは妹にあなたのことを諦めるよう説得します。いいですか。あなたもこれ以上、心にもないことを言って妹を引きずらないで下さい。結婚の意思がないことをはっきり言ってやってください。それであの子がまた自殺するなら……もう仕方ありません」
そして、私に「帰りましょう」と言うと、伝票を手にして席を立った。私も席を立ち、ちらっと岡田教諭を見ると、ホッとしたような顔をしてペコペコ頭を下げている。その姿には、「教師の威厳」などまったく感じられなかった。