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『盗聴(みみ)』(7)  レジェンド探偵の調査ファイル(連載)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第七話】盗聴(みみ)

 翌日、依頼人が事務所を訪れたので、私は正直に昨夜、尾行調査に失敗したことを告げた。
「地下駐車場か大きなビルの陰に車を停めたことなどが考えられるのですが、現在、なぜ追尾装置からの電波が受信できなくなったか、調査中です」
 私がこう説明すると、依頼人は非難めいたことをまったく口にせず、
「まあ、そんなこともあるでしょう。仕方ありませんよ」
 という態度なのである。大手商社の重役ともなれば、これまで部下のミスをいくつも経験したのだろう。報告した私が恐縮したほど立派な態度だった。
 このあと、依頼人に奥さんと不倫相手が銀座を歩いているときに隠し撮りした写真を見せると、「男の顔に見覚えがない」と言う。
「でも、妻が男を乗せた北沢三丁目にはちょっと思い当たることがあります。妻は家に帰るのが遅くなるとき、“いま下北沢だけど、これから帰ります”と何度か電話してきたことがありましたから」
 「じゃあ、奥さんは下北沢のどこかで男性と会っているんでしょうね。まあでも、奥さんが浮気をしていることはほぼ間違いないし、その相手も大体特定できたわけですから、あとは男の身元を確認して、奥さんとその男が間違いなく肉体関係があるという有責事実の確認(動かぬ証拠を得ること)を行うだけです。ここまでくれば、調査は九十パーセント終えたも同然ですよ」
 私がこう話すと、依頼人は、
「ええ、よろしくお願いします。離婚裁判になったとき、相手がぐうの音も出ない証拠を掴んでください」
 と、顔に怒りを滲ませながら言った。

 依頼者は午前中、うちの事務所にきたのだが、この日も調査員たちはマルヒの家に張りついていた。
 十時、マルヒ宅の二階の窓が開けられ、本人が部屋を掃除している様子が観察された。一階に住む両親を乗せて、自宅を出たのは十一時半。吉祥寺のTホテルでランチを食べ、帰宅したのは二時半だった。
 吉祥寺には、自分の車(ベンツ)ではなく、実父の車で行ったのだが、調査員は、この後、マルヒが外出する場合、実父の車を使用する可能性があると考え、実父の車の動きにも注意を払った。
 マルヒが家から出てきて、実父の車で出かけたのは、帰宅して三十分もたたないうちだった。マルヒは井の頭通りから下北沢に向かい、駅のすぐ近くにあるH
劇場が入っているビル駐車場に車を停めた。
 このときは、前日尾行に失敗した若い調査員に加え、ベテラン調査員の大石も同行した。
「昨日、この駐車場をチェックしたか?」
 と、部下に聞くと、
「ええ入口付近はざっと見たんですが、中がこんなに広いとは思いませんでしたので……」
 と頭をかいた。大石が予備の追跡装置を持って駐車場の奥のほうに行き、電波状態を調べたところ、思ったとおり「圏外」の表示が出た。やっと「昨夜、マルヒがどこに車を停めたか」という疑問が解けた。
 駐車場から出たマルヒは、携帯電話で会話しながら駅のほうに向かい、駅北口で男と合流。商店街を手をつなぎ歩き、モノトーンで統一されたシックな喫茶店で一時間ほど話すと、近くの居酒屋に入った。創作料理を売りにするなかなかしゃれた居酒屋だった。
 大石から報告を受けた私は、マルヒの顔をひと目見ようと、助手の恵美子を連れてその店に行ってみた。二人はカウンターで隣り合わせに座り、マルヒはウーロン茶、男は日本酒を飲んでいる。
「もー、変なことばかり言ってぇ」
 などと嬌声を上げ、男に体をもたれかけて甘えるマルヒを横目に見ながら、(あの依頼人がこんな奥さんを見たら、殴りつけるかもしれないな)と思った。
 男は、何か仕事をしているといった様子には見えず、敢えて言えばジゴロ的なムードさえ漂わせている。店で一時間半ほど過ごした二人は腰を上げ、レジに向かった。代金はマルヒが支払っている。調査員の報告でも、デートをするときの飲食代はすべて奥さんが払っている。
(つまりヒモってわけか)
 私は、当たり前のような顔をして奥さんに金を払わせている男を苦々しく感じていた。二人が店を出ると、私は恵美子に財布を渡し、「勘定すませとけよ」と言って二人を追った。まだ人通りが多い商店街を二人は臆面もなく体をピッタリ寄せて歩き、男性の住まいと思われる小ぶりなマンションに入った。
 男の部屋は三階にあった。通路に誰も居ないのを確かめ、ドアに耳を当ててみると微かに人の声が聞こえるが、内容までは聞こえない。
 マルヒがマンションから出てきたのは、それから三時間くらいしてからだった。
 駐車場に行き、車に乗ると、来たときと逆の道順で自宅に帰った。帰宅したのはちょうど夜十時だった。

(8)につづく

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