『漁火(いさりび)』(9) レジェンド探偵の調査ファイル,内定調査(連載)
『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第一話】漁火(いさりび)
6 後半
そこに、別の漁師が通りがかり「どうしたんだ?」と、その漁師に聞く。
二人はなまりの強い青森弁でなにやら話すと、通りがかった漁師のほうが私に言った。この漁師は若いころ東京で働いていたことがあったらしく、標準語に近い言葉で私に教えてくれた。
「M丸なら、今日はKの港に入ると言っていたよ」
これでやっとM丸が港にいない理由がわかったのだが、私はS港の船がなぜK港に入るのか、いまひとつわからなかった。もしかしたら聞き違いではないかと思い、
「どうしてここに帰らないんですか?」
と聞いてみた。すると、その男は笑いながら「そたらごともあるよ」と黒い顔から白い葉を覗かせながら答えた。
「あんた、東京からか?」
仕事を終えて一息ついた漁師は、自分も東京で働いていたことがあると懐かしそうに話しはじめたのだが、私は適当に相槌を打つと、漁師に尋ねた。
「ところで、K港まで車でどのくらいかかりますか?」
「まあ、一時間くれがなぁ」
「じゃあついでだから、帰りにちょっと寄ってみようかな」
私は彼らに礼を言って車に飛び乗った。
バックミラーで漁師たちの様子を窺うと、二人はもう私のことを気にする様子もなく何やら話している。怪しまれないため、港の外に出るまでゆっくり走ったが、K港に向かう海岸沿いの道に出ると、私はアクセルを踏んで、猛スピードで飛ばしはじめた。一昨日、K港経由でS港に入ったことが幸いして、道に迷うことはなかった。
K港に到着したのは四十分後の午後三時二十九分だった。K港が一望できる場所に車を停め、望遠鏡で港を眺めると、すでに帰港して荷揚作業のすんだ船や着いたばかりの船が数十艘湾内にひしめいている。遅かったかと思いながら望遠鏡で船の名前を確かめると、幸いなことにM丸はまだ入港していない。
沖合いから港に向かってくる船二、三艘を発見したのは三時三十二分だったが、望遠鏡で見ても船名は確認できない。
午後三時三十七分、港の船をもう一度見直しあらためて沖を見ると、三艘の船がだいぶ近づいている。
私は祈るような気持ちで望遠鏡に目を当てた。レンズに「M丸」の文字がくっきりと見える。白い船体に大漁旗を揚げ、船尾には男がひとり座っている。たぶん、あれが駒田なのだろう。私はカメラを持って船着場に行った。
三艘の船は波しぶきを上げて港に近づき、堤防を大きく旋回すると、速度を落としてK港に着岸した。
私は車に乗り込むと、岸壁のはずれに移動して、五百ミリの望遠レンズをカメラに装着した。車内で三脚に固定させて、レンズごしにM丸を見ると、イカリを下ろしたM丸の甲板にいるマルヒの顔もハッキリ見えた。依頼人のY工業から手渡された写真に写っていた男に間違いなかった。
頭に手ぬぐいで鉢巻をして、足元まである長いゴム製の前掛けをつけた駒田は海水に氷を入れた魚箱を岸壁に下ろしている。
魚箱の重さは二十キロはあるだろう。それを軽々と持ち上げる姿は、とても腰を痛めているとは思えないし、他の漁師と同じように真っ黒に日焼けした顔は、長い闘病生活を送っていたとも考えられなかった。
私は、マルヒが魚箱を下ろしている様子を二本のフィルムに収めると、やっとカメラから目を離し、ふうっと一息ついた。
レンズ越しに見たマルヒは、北国の小さな漁村で漁に精を出す、人の良さそうな漁師そのものだった。昨日の聞き込みで見た駒田の家では、年老いた両親と結婚したばかりの妻が待っているのだろう。仕事から帰った彼がちゃぶ台に座ると、夕食が始まる。家族にはきっと「仕事を一生懸命するいいお父ちゃん」なのだろう。
だが、彼にはもうひとつの顔がある。Y工業にゴネて慰謝料をむしり取ろうとする男の顔である。実際、船の上で立ち働く様子を見ると、その通りとしか思えない。
私は妙にもの悲しい気持ちになった。田舎の人は心優しく、正直で真っ直ぐに生きているとは限らない……。カネという魔物が、こののどかな漁師町にも忍び寄っているのだろうか。私は暮れなずむK港の潮の香りを大きく吸い込むと、S港に向かって車を発進させた。
(10)につづく