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『薔薇』(7)  レジェンド探偵の調査ファイル,内定調査,詐害行為(連載)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第六話】薔薇

 冒頭で紹介した「強制退去・執行日」の一週間ほど前、私は浅田弁護士に呼ばれて彼の事務所を訪問していた。事務所には依頼人の岩井社長のほかに裁判所に所属する執行業者も在席し、佐伯家の立ち退きについて話し合いがなされた。
「断行」という耳慣れない法律用語を聞いたのはこの時だった。
 強制執行を行う場合、占有者の退去や明け渡しについて、裁判所は特別な理由があるとき、占有者にその日時を通知せずに執行できる「断行」という規定があり、佐伯氏にはこれを適用するのだという。
(へぇ~、ずいぶん乱暴な法律があるもんだな)と私も驚いたのだが、浅田弁護士も、この「断行」は初めての経験のようだった。こんな強力な法律が適用されたのも、元はと言えば佐伯氏が「極めて悪質な執行妨害」をやったからに他ならない。時代は暴対法の施行を巡って世論が沸騰していたころで、暴力団関係者が介入した佐伯氏の件は、ある種の見せしめ的な要素があったのかもしれない。
 こうして「断行」という珍しい法規定の対象となった佐伯氏の強制退去は、午前十一時、裁判所執行官の到着とともに敢行された。
 執行官や浅田弁護士に加え、私も関係者として佐伯邸の玄関まで行った。執行官が玄関のブザーを鳴らすと、街路に待機していた百人近い作業員と大型のトラック八台も動き出し、佐伯邸前に集結した。
 しかし、佐伯氏やその家族は不在らしく、誰も出てこない。すると、執行官が後ろを振り返り、門のところにいた中年の作業員を読んで何か指示した。どうやらこの中年作業員が鍵開け専門の係だったのだろう。彼は玄関の鍵に棒のようなものを差し込むとガチャガチャと動かし、玄関ドアを難なく開けた。
 執行官は、この日、占有者が留守であることも想定していたのだろう。その用意周到さに私も改めて舌を巻いた。執行官の手で玄関が開けられると、門の外にいた作業員数人が家の中に入り、勝手口や一階の窓をすべて開け放った。
 開けられた玄関や勝手口からワーッというように入った者たちは、もう何度のこうした強制退去現場で仕事をしているのだろう。執行官や現場責任者とおぼしき人の指揮のもと、作業は手際よく行われた。
 最初に佐伯家の愛犬タローが連れ出され、用意してあった大きなケージに入れられた。予想通りタローは、近寄ってきた作業員二人にちょっと怯えたような目をして後ずさりしたが、吠えもせず、作業員から「ほれ、入れ。ここだよ、ここ」と命じられると従順にケージの中に入り、そのケージごと小型トラックに乗せられた。
 三階まである佐伯邸の各部屋に入った作業員たちは、まずポラロイドカメラで室内の撮影を行い、この写真にナンバーを打った。そして、部屋にある家具や備品などが素早く段ボール箱に詰められていく。部屋の中に落ちている紙一枚も、どの段ボールに収められたか記録して、必要な時にその部屋の状況を復元できるよう、丁寧に段ボール詰め作業は進められた。
 失礼ながらもおかしかったのは、二階にあった書斎兼予備室と思われる部屋から、婦人のものらしきヘソクリが出てきたことだった。風景が描かれた絵の裏や本棚の間から出るわ出るわ、なんと一千万円近くの現金が出てきたのである。これには執行官や弁護士も顔を見合わせて苦笑していた。
 こんなにお金があるのなら、せめて金利ぐらい払えばよかったのに。そうすれば銀行も多少の猶予をくれただろうに―と私は思ったのだが、金持ちはまた考えが違うのだろう。金はいくらあってもいいし、貯められるだけ貯めておこうと考える。ちょっと余分なお金があると、どうして遣ってやろうかと考える私とは全然違うのだろう。
 家の中でこんな作業を見ていた私と調査員たちは、何か手伝いでもしようと思ったのだが、われわれ素人が出る幕などなく、黙々と手際よく作業をする男たちをただ見守っているしかない。逆に足手まといになってしまうので、外に出て作業を見ることにした。
 荷物の運び出し作業が始まってから二時間を経た午後一時ごろ、佐伯邸の家財道具はあらかたトラックに収められた。
 佐伯夫人が娘の運転する真っ赤なベンツで帰ってきたのは、荷積みを終えたトラックが二、三台ほど出た時だった。
 赤いベンツは自宅前に駐車している大型トラックの後ろに停まった。まず、娘の方が運転席から飛び出してきて、作業員たちが自分の家に勝手に出入りしている様子にビックリしたのだが、何を思ったのか家の裏口に走って行った。助手席から降りた妻も、一瞬何が起こっているのかわからない様子だったが、段ボール箱を持って家から出てくる作業員たちを押しのけるようにして、玄関から我が家に入っていった。
 玄間から入って右側にあるリビングに入ると、部屋は家具類が運び出されガランとしている。これを見た夫人は何が何だか分からないといった表情で立ちすくんでいる。暫くして気を取り直し、すぐ近くでまだ部屋の備品を箱詰めしている作業員の肩をつかんで、
「何なんですか、あなたたちは!」
 と叫んだ。彼女は現場責任者から「強制退去の執行中」であることを告げられると、言葉もなくうつろな目でリビングに突っ立ったままだった。
 娘から電話を受けた佐伯氏が、代々木の会社から駆け付けたのは、それから三十分もしたころだった。家に入った佐伯氏は寒々とした空間が広がるリビングを見ると、すべてを悟りヘタヘタ~ッと座り込んでしまった。夫人は夫のそばに立って、
「どうして?どうしてこうなるのよ!」
 と目に涙をためて佐伯氏を責めている。
 こんな佐伯夫妻に執行官が近づいて、強制退去の執行を行ったことを告げ、家具の受け取りなどについて説明した。
 その説明を心ここに在らずといった様子で聞いていた夫人がものすごい形相で立ち上がり、ストッキングのまま庭に飛び降りると、庭の隅に置いてあった植木バサミを取り出した。執行官が「奥さん、何をするんですか」と言うと、夫人は生垣を指さし、「あの薔薇は私のものです。私が一生懸命育てたんです!他人には渡したくありません」と叫びながら、薔薇の根元を、今まさに切り取ろうとしている。
 改めて佐伯邸の庭を見ると、垣根に大輪の見事な黄色のバラが咲き、五月の温かい風に僅かに揺れている。まさに薔薇屋敷と呼ぶにふさわしい眺めだった。毎年同じように咲く夫人の自慢の花なのだろう。私は夫人の気持ちが何となくわかるような気がした。ところが、執行官は、
「奥さん、庭の木や花もこの家の新しい所有者のものです。切ったりすると犯罪になりますよ」と、彼女に冷たく言い放った。その言葉で、夫人は顔を覆って嗚咽した。

(8)最終回につづく

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