『漁火(いさりび)』(6) レジェンド探偵の調査ファイル,内定調査(連載)
『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第一話】漁火(いさりび)
5 前半
S港に近い民宿〈はまゆう〉に泊まった翌朝七時。部屋の外から、
「お食事の支度が出来ました」
というおかみさんの声がした。私は一階の食堂に下りて食事をしたのだが、近くの海で獲れたという魚は美味しく、ご飯をおかわりしたほどだった。宿泊客は私だけらしく、おかみさん自身がご飯をよそってくれた。
「北国の人は春が待ち遠しいんでしょうねえ」
私はお茶を飲みながら、おかみさんに話しかけた。
「んだねー。もうちょっとすっと、山がパーッと黄緑色になって、きれいだよー」
「じゃあ、来るのがちょっと早すぎたかな」
こんな話をしながら、私はそれとなく駒田が住む集落のことを聞いてみた。
マルヒの住んでいる集落は農家も多少あるが、漁業従事者が多いという。
「農家の人は冬になると出稼ぎに出るけんど、漁業やってる人はあんまり出稼ぎ行かないでねかな」
「そうなんですか。漁業やってる人は冬の間も家族と一緒に暮らせていいですね」
私がこう言うと、
「まあ、あそこらあたりの人も何人か出稼ぎに行ってるけどね。確か、コウサクさんとこも行ってるし、そうそう、今年はミノダさんも行ったみたいだし―」
マルヒについても聞きたい気持ちもあったが、風景写真専門のカメラマンがあまり村の人の様子を聞いては怪しまれると思って話題を変えた。
民宿のおかみさんと話し込んだせいで、宿を出たのは九時近くになってしまった。私はカメラマンらしく見えるようにカメラを首にかけてレンタカーに乗ると、マルヒが住む集落に向かった。
この日は自宅周辺で聞き込み調査をするつもりだったが、マルヒに気づかれないようにしなければならないため、最新の注意が必要になる。特に、今回のように人口が少ない田舎町では、よそ者に対する漠然とした警戒心が強い。そのうえ、田舎は都会と違って隣近所の交流が密なため、下手に聞き込みをすると、マルヒに調査していることを知られてしまう。こうなると、マルヒが警戒して、調査そのものが失敗する恐れもある。この手の内偵調査は実に難しいのである。
余談ではあるが、江戸時代、他藩の実情を調べる忍者は、その藩で小間物屋などを営むなどして何年も何十年も潜伏し、その後やっと情報を収集したという。こうした忍者を「草」と呼んだそうだが、われわれ現代の探偵にはむろんそんな時間の余裕はない。聞き込む相手の表情や素振りに細心の注意を払いながら、当意即妙の対応をしなければ成功は覚束(おぼつか)ない。