Leitmotifで見る天地創造ED

SFCゲーム「天地創造」のEDのあるシーンとその前後を、Leitmotifから探ってみる。

注意!

当たり前の話だが、EDからの抜粋、またその考察の要素に終盤の展開を当然用いるため、傑作「天地創造」をプレイしていない方は気をつけ――いや、絶対に読まないで頂きたいと勝手に願う。

それほど言いたくなるまでに、良いストーリーと演出がある。

とはいえ、現在「天地創造」は、権利関係上プレイが難しい作品となってしまっている。同じ「クインテット」開発の作品でも、並び立つ傑作「アクトレイザー」などはリメイクが出ているのにも関わらず、「ガイア幻想紀」や「スラップスティック」etcetcといった更に並び立つ傑作たちとともに、リメイクや移植の目処は立っていない、と外様からは判断せざるをえない。

かつて有志によって署名活動(その中には原画・設定デザインの藤原カムイ先生や作曲の高岡美代子先生が名を連ねている)が行われていたが、行われてからの動向は未だ動きがないように見える。SFC環境が無い方においては是非ともこの活動が実を結ぶよう願って頂きたい。

また筆者はリアルタイム勢ではあるが、自分のポカミスで設定資料集を入手しそびれてしまった。故に、情報量不足は否めない。もとより妄想による文書ではあるのだが、ことさら信憑性など薄い怪文書めいたものであることにご留意いただきたい。

前置きが長くなったが、それでは本文に行ってみよう。

発端

この文書を書こうとしたきっかけは、先日藤原カムイ先生がTwitter上であげられた、素晴らしいイラストを拝見した時だった。


Leitmotifとは

タイトルにも銘打たせてもらったLeitmotif(ライトモチーフ)とは、日本語でいえば「主題」とも言われるが、その中でも特に「オペラ等において特定の人物や状況に結びついた主題や動機を指す」ものとなっている。

簡単にいうと、劇伴やBGMなどにおいて、そのフレーズが現れた時に「あ、ここの場面は~~が関係しているのだな」「このフレーズということは危ないのだな」というのがすぐに分かるためのものであり、それを聴衆に示すために幾度となく(一つの楽曲の中で)多用されたり、あるいはいくつもの楽曲で印象的に用いられたりする。

この言葉が作られたオペラや交響曲は言うに及ばず、Wikipediaにもあるように映画などの劇伴や、ケチャ、無論天地創造を始めとしたゲーム音楽BGMの中でも多用されている手法である。
若干脇道にそれるが、近年の作で最もその利用に唸らされたのが、傑作インディーゲーム「UNDERTALE」のそれであった。既プレイ(重要)の方は是が非でも下記のwikiページをご覧になって頂きたい。


注目したいLeitmotif

スタッフロールは勿論、その前後の曲も合わせて、Leitmotifにて楽曲を見ていこう。なお、Leitmotifそのものの名前は(サントラ等に記載されているBGMとは違い)特に決まっておらず、勝手に名付けさせてもらっていることをご注意願いたい。

まずLeitmotif「LD」(Light and Dark)。これはタイトル画面での楽曲「光と闇」と被らないようにしているが、つまりはそれがベースである。タイトルの四文字が浮かび上がり、弦があがった後に聞こえるトランペットのフレーズ、である。その後ホルンとコーラス(っぽい音)でリフレインされており、強烈に印象付けられるだろう。
エルのテーマ曲である「祈り」や、パンドラの箱を開けた後のクリスタルホルムと復興前の大地でよく聞くことになる「予期せぬ出来事」も、このLeitmotifを想起させる似た系譜と言って良いだろう。
このLeitmotifが何を指すのか、筆者はこれを「光と闇の戦いそのもの」、つまりは「ライトガイアとダークガイアの戦いそのもの=ゲームの包括的世界観」を表しているものではないか、と考えた。

次のLeitmotifが「HT」(Home Town)。クリスタルホルム等で用いられる「帰るべき所」に用いられているフレーズである。
「帰るべき所」は大きくわけて前半部分と後半部分に分かれており、前者をHT前、後者をHT後としてみよう。「帰るべき所」の前半部分のフレーズは他でもよく用いられており、中でも特筆すべきが宿などでの入眠時のあの音だ。後半部分のフレーズも「光と闇」の最終盤で用いられている。
このLeitmotifが指すのは、もちろん「帰るべき所」そのものでもあるし、また同時に「アークの旅の始発点」であり「アークの旅の終着点」ではないだろうか。「光と闇」の最後のフレーズがHT後なのは、いずれ「帰るべき所」へと帰る旅路を表しているように思う。

最後のLeitmotifが「AJ」(Ark's Journey)。これは、天地創造の曲といえばとなったときによくあがるフィールド曲2つ、のうち地裏のフィールド曲「旅立ち」の後半部分である。試練の塔クリア時の「大地の目覚め」のデモの後、世界地図を背景に「旅立ち」が流れ、アークが動き出すのがこのAJがかかり始めたころなので、狭い地裏フィールドでも何度となく印象付けられて聞くことになる。
このLeitmotifは「アークの旅そのもの」を指していると考えている。

では、これらのLeitmotifへの前提もって、EDとそれに至るまでの最終局面の流れを再度見ていこう。

EDと前後の解釈、Leitmotifを中心にして。

ダークガイア戦(「すべてを乗り越えて」)
ED前のダークガイア戦「すべてを乗り越えて」は、前述したように長いフレーズとちょっとしたフレーズの頭出しの焦らしも合わせて、LDのモチーフが最後の最後、美味しいところにあらわれてくる。
それはまるで、ゲームを通じて行われてきたライトガイアとダークガイアの戦いの終着点がそこであると指しているかのようだ。ラストバトルにふさわしい用いられ方だろう。

ED前(「別れの前に」)
ED前の、平和な頃のクリスタルホルムの曲は、もちろん在りし日の「帰るべき所」の全体的なアレンジ曲である。
イントロのLDが、しかし今までの使われ方ではなく優しいハープっぽい演奏なのは、光と闇の戦いが一段落したことを表しているかのようだ(これは終わることがない。なぜならどちらか片方がなくなることは無いのだから)。そしてHTのアレンジから、AJの優しいフレーズが入る。これもイントロと同じく、アークの今までの旅をねぎらうような、そんな解釈をしたくなる。

ED全体(「帰路」)
ED全体はこれまた「帰るべき所」のアレンジがその骨子である。そもED後には「帰るべき所」が流れるので、その曲名が「帰路」なのは至極当然の話であると言えるだろう。
注目したいのは、曲が3ないし6拍子(多分6/8拍子)であることだ。3拍子は主にワルツに用いられており、天地創造でも「街」や「愛しのルワール」で用いられている。舞曲・舞踏の軽快さを持つリズムなのだが、このリズム(あるいはこのリズムを内包する6/8)に「アレンジして変えた」のは、「ロンド形式」にする意図があったのではないだろうか。ロンド形式において重要なのは主題だが、それは前述したようにHTが担っている。そしてロンド形式での「主部――中間部――主部」という構成はまさに「帰路」のそれに合致する。さらに付け加えれば、曲の体裁ということ以上に、輪廻転生という天地創造に通底するテーマをまさにロンドのように表現したのではないだろうか、と筆者は考えている。

ED全体(鳥として飛ぶ)
御存知の通り、EDはアークが夢の中で鳥になったものである。ではここで、なぜ鳥なのか、少し考えてみよう。
鳥という存在は、天地創造の中でも大きく取り上げられている。無論ゲーム的に進行管理をし易いポイント2ポイントの要素としてもある。しかしそれ以上に、鳥という存在が象徴的に用いられてもいるのだ。例えば、鳥は飛ぶためになにか主的なのを叩き起こすイベントがあったのを覚えているだろうか。植物はラーを助けるだけで、そして動物はストームマスターを倒すことで、それぞれの存在はとりあえず問題はなく復活した(ライムの件は個々の家庭の事情ということにする)。しかし鳥、特に渡り鳥は、飛ぶために風の谷へ行かなければならなかった。これは「飛ぶ」、さらに言えば「境界を超える」ことに意味があり、同時に天地創造のゲーム世界において境界、つまり「時計の針が13を指す各所がバラバラな世界の境界」を超えられるのが「風の谷」のバックアップを受けた鳥だけだったのでは、と思わせるのだ。なので、ベルーガの飛行船から鳥が助けにくるのも、単に舞台が空中だったからというだけではない、境界を超える力が求められていたのでは、と考えてしまう。
そして同時に、鳥は魂の運び手でもある。わざわざラサに専用のマップを用意してまで「鳥葬」のモチーフを描写したのも、その意図であろう。

ED第一幕(森の上を飛ぶアーク)
EDの一番最初は、青々と茂った森の上を飛ぶアークから始まる。天地創造、地表に降り立ったアークの最初の仕事は植物を復活させたことであった。

ED第二幕(列車と並走するアーク)
人類は大陸横断列車を用いて移動することができるようになった。これは先の鳥に関する考察を前提に置くと、コロンブスのような偉人ではない普通の人間、あるいは人類世界そのものが「境界をまたぐことができるようになった」、つまり「針が12までで収まるようになった世界」へと戻ったことを表している。

ED第三幕(飛行機械と飛ぶアーク・祈り・AJ)
この文書を書くきっかけである、カムイ先生のイラストの場面である。
なにやら得体の知れない飛行機と、それに並び飛ぶアーク。この場面に入るときに聞こえてくるフレーズは、明らかにエルのテーマのそれだ。そしてカムイ先生のツイート。これらを力及ばずともなんとか解釈してみよう。
まずこの場面に入った所で「祈り」が聴こえ、2つの存在が並ぶ。であるのならば、この2つは「エルとアーク」であろう。また今までアークは鳥だったわけだが、ここで並ぶと、むしろ「人類を助け、その人類の技術の結晶である飛行機」がアークで、鳥がエルにさえ見えてくる。
その二人が飛ぶ中で、主題は「祈り」に加えて、AJを思わせるフレーズが入ってくるのがわかる。これはアークの旅路の裏側には、常にエルの祈り(曲名ではなく、正しくエルの祈り)があったことを、ストーリー上だけでなく曲としても表している、そう思うのは筆者だけではないだろう。
そして2つは、シナリオ中でもそうであったように、また分かれ行く。

ED第四幕(夜の摩天楼)
飛行機と分かれたアークは、人類が発展した摩天楼を飛ぶ。わざわざエディのイベントに演出が挟まれたように、人類は闇夜の恐怖に打ち勝った。闇にただ飲まれるのではなく、その中で強く、生きていくことができるだろう。

ED第五幕(再び森へ)
夜が明け、再び光景は最初に飛んでいた森と同じような所になる。むろん容量上の節約もあるだろうが、同じ場所だと仮定してもおかしくはない。なぜならスタッフロール直前のメッセージでは「ひとまわり成長した世界をながめる夢」だったのだから。
そして曳地先生のツイートによれば、作曲お二人の見解では最後の8小節にこそ「帰路」全体の核があるそうだ。筆者には今までの記述にもましてその真意は正確に受け取れるとは思い難いが、諸々のLeitmotifを抜き取っていって、輪廻を思わせる6/8に乗せて、最後の最後にのこったあの2音のメロディは、まるでエルを呼んでいるかのように思えた。

地表のエル
多くのプレイヤーが指摘している通り、12時前とわざわざ明記するということは、つまりそういうことなのだろう。

THE END
筆者もそこそこ(決して多いとは言えないが)ゲームをプレイしてきて、序盤の曲を最後の最後に持ってきて、ここまで胸に残る何かを与えてくれるのは、そんなにない。特に、熱さとかではない得も言われぬ不思議な気持ちを与えてくれたのは、この天地創造、THE ENDこそ、最上かもしれない。
それは、曲そのものの良さやゲームのストーリと流れ、「帰るべき所」という曲名、そしてEDを通して消えゆくアークと言う強烈な印象と、だからこそ帰るべき所へとたどり着いてほしいと願うプレイヤーたちの願い。それら全てが混然となって巨大な感情として今なお渦巻いているからこそ、だろう。
そしてそれに、カムイ先生は「この先には希望しかない」と答えられた。

終わりに

と、カムイ先生のツイートを見て興奮し、そのままネタを考え続けてきた、つまりは単なる妄想にすぎない解釈を、長々と恥ずかしながら披露させていただいた。

この文書の初版を公開した10/20は、天地創造の発売日であり、2022年で27回目となる。
Twitter上では「#天地創造27周年」というタグで各々が祝い、作品を公開しており、恥ずかしながらこの文書もそうするつもりだ。またそれに先駆けて「#天地創造27thカウントダウン」という企画も行われており、珠玉のイラストたちが投稿されている。合わせてご覧になって欲しい。
そして、藤原カムイ先生・小林美代子先生・曳地正則先生らが動画を作っていたそうで、既に公開されている。

筆者はこれを書いていてまだ見ていない。これから見るのが楽しみだ。

改めて、27周年おめでたい!
天地創造に関わったスタッフの方々全員、特に素晴らしい世界観を与えてくれた藤原カムイ先生と素晴らしい音楽を与えてくれた小林美代子先生・曳地正則先生に、そして同好のファンの皆様、またこれからプレイする未来のファンの人々、全てに感謝したい。

でとこーだ

参考文献

引用させていただいた各ツイート・各Wikipedia項目

天地創造サウンドトラックレビュー」(英語)

See Also:英雄復活祭アカウント(主催:サンドアーティストkisato先生)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?