サーフィン
下手くそだけど僕はサーファーだ。サーフィンを始めたのは海が好きだったから。
中学の頃、家族旅行で毎夏父の勤めていた会社の保養施設がある和歌山県の白浜に行くたびに、南紀の魅力に取り憑かれていった。海と空の青さ、ムッとするような独特の植物の香りのする空気、誰もいない海に向かって黙々と立つ灯台とか…そのどれもが愛おしかった。
大学時代はお金がなかったけど、奈良の実家から海に近い神戸に下宿していたので垂水に原付で走り海に入ってそのまま水着で帰宅する生活を楽しめていた。
大学時代、イベント会社でバイトしていて、ある日プロサーフィンの大会の音響担当をした。バイト先の人はサーファーは馬鹿だと罵っていたけど、僕はサーファーの独特のゆるい感じのコミュニティに魅力を感じて憧れた。やってみたいなと思ったけれど、如何せん身近にサーファーがいなかったし、なんといってもバイト先の面々に馬鹿扱いされているサーフィンは始められなかった。
とりあえず海を感じたいので釣りを始めた。社会人になった当初は慣れない会社の業務がしんどくて、毎週末母親の軽四を借りて和歌山県の串本まで行って釣りをしてストレスを海に不法投棄していた。奈良の自宅から串本までは当時5時間以上かかったけれど、串本まで行くと海の色が違うのが串本まで遠征する理由だった。多分黒潮の影響だろう、串本の海は本当に黒いくらい青かった。正直何も釣れなくても紺碧の海に釣糸を垂れるだけでよかった。土曜の夜はたいがいそのまま港に停めた軽四の中で寝た。
そうやって釣りはするんだけど、それでもなんだかまだ海の懐に入りきれていないような感覚がある中で、ある波の高い日に海の方向から慢心の笑顔で国道42号線沿いに停めたクルマに戻ってくるサーファー達に出会った。気になってクルマを止めて見に行くと、沖の方でサーファーがサーフィンをしていた。
バイトでプロサーフィンの大会を見て以来初めてまともにサーフィンを見た瞬間だった。正直異様な光景に見えた。とにかく僕には全く理解不可能な価値観で行動しているように見えたから。釣りみたいに魚が釣れたり、仕事みたいにお金がもらえたり、一般的なスポーツのように派手な勝ち負けがあるような、何か努力の結果がtangibleな何かで返ってくるわけでもないのに、ひたすら沖を見てボーッと波間に浮かび、時々波に乗る、これをひたすら繰り返す姿が、ヒトというよりも動物、例えば鳥とかアザラシとかイルカとか、そういう本能で動くものに近いものに見えた。。けれどなんだかその意味不明な価値観は、もしかしたら海の懐に入りきれていないという僕のモヤモヤの解になるような予感がした。とはいえ、やはりマインドセットが根本的に違いそうなコミュニティは参入障壁が極めて高くて、その後もしばらく釣りを続けていた。そんな時に僕の背中を押す出来事が起きた。
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