まつおか ひでき
『施主を読む』 計画の始まりにおいて、施主自身が自分の考えていることを完全に理解し、そしてまた自身の欲求に全て立ち向かえている、とは限らない場合は多い。 それらを繋ぎ合わせ、ピントのあった実像を導き出すためには、施主との深い対話が不可欠。具体的には潜在意識にアプローチする ” カウンセリング ” に近い読解力が必要になる。 施主が持っているイメージや欲望は断片的で、感傷的で、多くは矛盾していて不鮮明である。でも、それは当然のスタート地点。そのピースを組み合わせて目的に
再び、オフィス空間へ人が集まる回帰現象は起こるか。 … これからオフィスはどうなっていくのでしょうか。 戦後日本の働き方は、時間と場所の一致を前提としていました。同じ場所に集まり、同じ時間に始業する。 しかしテクノロジーの伸展、特にリアルタイムな映像と音声の双方向通信が、誰でも安価で気軽に利用できるようになったことで、仕事における場所の不一致が可能になりました。 COVID-19パンデミックによってその実効性が証明されることになったいま、業界にもよるけど、テクノロジー
戦略は3つ。 自由と平和と希望。 ≪自由≫ …徹底した自前主義。システムの内製。他者に依存しない独立自尊の商いが出来ることを確保する。 ≪平和≫ …独自のポジションを確立していて比較されないこと。レッドオーシャン市場の競争に入らなくてもいいから、平和 ≪希望≫ …好循環で廻ることしかやらない。やればやるほど良い効果の蓄積が効いてそれが加速していくビジネスを組み立てる。 →「フィットする暮らしを作ろう」がミッションである限り、この戦略3つを叶えられなければ、他者を
『 週に何日来る会社なんですか?』 これは就職活動で面接を受ける学生たちが、本当に聞きたがっている本音ではないだろうか。労働市場でそこが競争原理として働いてくると、 『2週間に一度でいいよ』 と 『毎日来てください!』 とでは、おそらく前者が選ばれることになるでしょう。 … 全員リモートワークで構わない、と動きが早かったのはFacebookでした。それは裏返すとつまるところ採用戦略にあたります。長期的にリモートワークでいいよということは、物理的に会社のそ
全国で「野菜バス」が走っていることを知りました。 まだ一部で始まった先鋭的な取り組みだということですが、 とても素敵な仕組みだと思いました。 生産者と消費者だけでなく、飲食店のオーナーやドラッグストア、銀行、民家、いろいろな人が参加してバス停になるために手を挙げる…。そこに野菜を求めて人が集まる。地域でとれた野菜を乗り合いバスが走り、スマホで注文した地域の人たちに届ける、廻す。生産者は売値を少し高く、物流費が下がった分値段は安く、もちろん獲れたての野菜はみずみずしく美味しい
東京の医療は安全だろうと思っているのは間違いです。 首都圏医療崩壊。 人口約3600万人。 世界NO1 人口高密度都市圏です。 3年後の2025年、都会が一気に高齢化の流れに転じていきます。 日本中で要支援・要介護高齢者数約700万人超になり、 その約1/3の高齢者が首都圏に集まります。 その人たちが横たわる一般病棟のベッドが足りない。 『 あなたは肺がんです 』と言われて手術が必要なのに 『 残念ですが半年先まで肺がんの手術はできません 』 と言われるようなものなんです
土木・建設会社も、社員たちを雇っていくだけの仕事量が必要です。地方の小さなゼネコンは小規模な入札公共事業が依然収益の柱。例えば中山間地域にある狭い集落には未だ下水管が通ってなく、浄化槽処理でまかなっている地域が多く残っています。 行政サービスは公平公正にすべての市民に対して浸透させていくという大義名分のもと、わずか1~2軒の民家の為に数十㎞の距離を掘り返し、土管を埋めて、橋を架け、道をつくっていきます。 また、ほとんど走る車もないような山間部に無音の道路。しかも途中は行き
■閉じていく豊かさ。 気軽に出会える社交場が、今はネットワーク上にたくさん開かれています。色々なところに鍵を持っていて、開けて入れば簡単に顔を出していけるし、顔を伏せて偽りの名刺で自己紹介しないこともできる。どんどん名刺を増やしていくことで活動範囲や知り合いを増やし、画面上に拡がっていく充実感なんかは満たされていくのでしょう。世界がどんどん開かれていくと感じた時期もありました。それが楽しくて嬉しくて、過剰に執着して目が離せなくなり、手が鍵の束を探って今日はどの部屋に入ろうかと
■ 建築には「言葉」が足りない。これまで 建築 / 空間 は、伝え、広める手段として図面や写真を多く使用してきました。そこに「+言葉」を加えていくことが大切な時代に突入しています。…なぜそれをつくるのか?という作者の意思や考えを並走させ、わかりやすく伝播させる必要があるからです。これまで空間は、どちらかというとどうやって作るか(How)が重要視されてきました。これからは” 何をつくるのか ”(What)また、” なぜそれをつくるのか ”(Why)のアプローチやプロセスが特に求
世の中の流れは過保護で局所的な方向へ。 川にひとが落ちれば手すりをつけるとか川を塞いじゃう。耐震法や消防法の規制ががんじがらめになって、唯一無二の魅力はどんどん削られていきます。社会全体がどんどんつまらなくなってきています。空地があれば駐車場へ、危険があれば柵をして退ける、商業優位の退屈な開発へ。 一見無駄そうに見えるスペースも、無意味な時間をすごす意味のある場所だったのに。少なくとも子どもたちは集中して遊んでいました。そこには一糸の秩序が張り詰められていた。昔は川に落ちる
■建築には「言葉」が足りない。 これまで建築は、伝え、広める手段として図面や写真を多く使用してきました。そこに「+言葉」を加えていくことが大切な時代に突入しています。 …なぜそれをつくるのか?という作者の意思や考えを並走させる必要があるからです。これまでの空間は、どちらかというとどうやって作るか/『How』が重要視されてきました。今後は、何をつくるのか/『What』、また何故それをつくるのか/『Why』のアプローチやプロセスが特に求められる時です。 建築自身は多くを語れませ
店頭販売の接客では興味を出しすぎるとお客の懐深くにまで立ち入ることになり煙たがられてしまいます。でも感心なくしてこの商売はなりたたない… お客との適度な距離感は接客と同時に店の佇まいも問われます。 絶妙な間合いは草食的であるべきか… 商業空間をしつらえる時、そんなボーダーラインが悩ましいのです。 一方、住空間では逆の現象が起こります。 相手の深層心理に入り込んでいくと喜ばれる。よく気づいてくれましたね って具合に。ここではより肉食系で。 クライアントワークであるデザイン
「独立独歩」 昔、後輩にもらった本を読み返している。 タテ21㎝×ヨコ14㎝の装丁、定価¥2,800。 タテ方向21㎝の上の8.3㎝は、全251頁ずーっと空白が続く指向で、 5分の2を空白が埋めていることになる。 読み進めながら目を休める空欄がとても読みやすく、ここちいい。 筆休め的な役割を担う…ふっと目をそこにやると、いま読んだ文章の自分なりの風景がそこに刻まれるし、棚卸しみたいに記憶の棚が整理されていく。 紙の中に余白をとることが思考の自由をうながすように、空き地
“忘れる” ことは大事。 そのことによって頭の中にスペースを意図的に確保することができるから。画家の多くは絵が完成間近になるとスピードを緩め、アトリエに寝かせておきながら時々手を入れて完成させる。これは時間をおくことで制作者から鑑賞者へスイッチし、その作品を冷静に観察できる余力をためていくためだ。もっとも、全く忘れてしまっては意味がない。 だから寝かせる時にはしっかりとタグをつけておくこと、 解凍する時期を明記するなど、思い起こす工夫は必要。 だからこれからnoteで記