見出し画像

アートライティングとは?

手のひら芸大のアートライティングコース。
アートライティングというのは聞きなれない分野です。文字面をみれば「芸術を書く」。入学パンフレットからでは、アートに関することを文字を書く、文章で表現するということはぼんやり理解できましたが、なんとなく未来像が見えないというか、それでなんなの?という点が腑に落ちない。
なので、思いきってAmazonで教科書買いました。入学すれば結局読むでしょうし、合わなければテキスト代だけで出費はすむ。

1から6まで一気に読みました。「アートライティングとはなにか?」という問いには、1の第一章で上村先生がまとめてくださってます。
私の理解としては、
絵画や彫刻などの造形的な芸術表現、音楽や演劇などの身体的な芸術表現は、非言語的な伝達力で経験と思想を表現する。
ことばは、これらの非言語的な芸術表現を、特定集団の共感覚を乗り越え言語化することで、経験を概念的に理解させる。
という感じです。

ヒトという動物は、言語によって複雑な概念を他者に伝える力を獲得しました。アートライティングというのは、人間が五感を使い「感性で」受伝達し共有しているなんらかの対象を、語彙や修辞を重ねて文章表現する技術ということなのかなと想像します。
ぱっと浮かぶのは、言葉を駆使した批評家の小林秀雄です。かの有名な「モーツアルトは疾走する」。言葉と芸術のコラボそのもの。

テキストには、ライティングの対象として、芸術研究、批評、まち(風俗、民俗など)があげられ、活用するものとして記録資料、アウトプットとして編集出版に関することが解説されています。
学習者あるいは実践者の関心の方向性によって、書きたいことはなにか?という観点で着目する部分は変わりますね。
学芸員、作家、商品広報担当者、まちおこしをする市民活動家や自治体職員、ブロガー、編集者、発行者などなど。対象を発掘し社会と関わり、他者に伝える技術を身につけるコースなんだな、と思いました。
ただ、自分の感性と混ぜ合わせることができたとしても書く「対象物」があってのライティング。そして読者あっての作品なのでしょうか。一人で書いて完成して満足という着地は、とても薄い分野だと思います。金銭が介入するかどうかは別として、読み手がいないと存在感に欠ける。あと、言語化することは確かに特定集団の前提を乗り越えるけれど、翻訳はどうなのか。言語の壁は、思考回路や概念の壁をつくっており、翻訳家たちはかなり苦労して表現していることを知っています。

一方、詩や小説などの文芸作品は、作家にとっては商業作品であり、購買する読者を求めます。ただ、仮にその時代に残念にも読者がいなかったとしても、後世に存在感を放つ可能性が、もう少し強いのではないでしょうか。一人で書いて完成して満足する、「未発表作品」という道も十分にある。作者の内面のエネルギー、表現する力が強いだけに、絵画や造形に近いというか、身体的表現と感受性への距離が近いのかなと思います。まあ、翻訳しようとすると、客観的対象がないだけに、さらに苦労が増すような気がしますが。

古典は時代の洗礼を受けています。歴史叙述、紀行文、当時の風俗評や芸術評自体は、書かれた当時はアートライティングであったのかもしれません。そして、残ることで余分な情報が削ぎとられ磨かれ、作者の呼吸が浮き彫りになり、最終的に文芸という芸術に同化する。そんな感想をもちました。

ということで、次は文芸コースを探索しようと考えてます。文芸となると昨今他の大学でもコースが設置されていますし、いっそ文学部と重なるような気もするので、比較しながら考えたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?