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生涯学習の大学と、自己研磨の大学院

京都芸術大学の入学検討継続中です。大学卒の場合、大学への3年時入学と大学院修士課程への入学を天秤にかけられます。具体的な学習方法や内容は公式HPにしっかり掲載されていますし、動画も上がっています。今回は、動画を拝見しての検討思考を呟きたいと思います。(もちろん個人の見解です)

京都芸術大学通信教育課程のYouTubeにおける広告塔。本間正人先生。ウィキペディアを検索すると、東大卒、松下政経塾卒。「学習学」を提唱されており、著作も多数おありのようです。(私は未読です。すみません)

この方の「最新学習歴」の更新というのは、結構好きです。要約すると「学びは、学校教育だけではない。人生を通じて学び、自分を豊かにしていこう」だと思うのですが、私の知る限り30~40年前は「社会教育」、20年くらい前からは「生涯学習」という表現で、大人に対する学びの促しは続いています。社会教育は学校教育とまさに対比ですね。小中高大という10~20代への教育だけではなく、社会人に対する教育が重要という認識。ただ社会教育という用語が、上から目線というか、「教育する」「教育を与える」のニュアンスが強いので、次に出てきたのが「生涯学習」という概念だったと思います。大人になっても、生涯にわたり「自ら学ぶ」機会を大事にしていこうという姿勢ですね。

さて、これらに対し、「最新学習歴」という単語では、「歴」という時間軸が新登場です。ミルフィーユか地層のように、一定期間学んだ記録の厚みが重ねられる印象です。過去に学んだことを深めて色濃い層をつくるか、まったく新しい分野を学び違う色の層を重ねるか。仕事や家庭とは別の世界で知的好奇心を高めたいという社会人大学入学の呼びかけとしては、とてもやる気を刺激されます。特に芸術系の学部というものは、私が10代の頃は「才能ある専門家を育成する特別な場所」というイメージがあったので、大人になって芸大生となれるのは、心をくすぐります。

とはいえ、「最新学習歴」を実践したとしても、現実的に履歴書に書き、社会的にブランド力を発揮するのは「最終学歴」です。仮に私が芸術大学卒を記載したとして、クールに言えば、傍から見れば話題のネタであり、仕事上で必須のものではありません。現時点で、大卒資格やそれに伴う専門資格の必要性がないので、どうしてもそうなります。もっとも、もし以前の大学のときよりも単位取得のレポートの点数が良ければ、大学院や留学の際に提出する成績表が美しくなる可能性はあります。かつて他の大学や大学院を検討したとき、同じような社会人学生の中には、学歴ロンダリングをされている方もいましたし。

学歴の社会的価値を考えはじめると、いっそ大学院にしたらどうだろうという気持ちも湧いてきました。絵画、造形といった芸術専門分野だけではなく、京都芸術大学大学院には「学際デザイン研究領域」が設置され、他学部卒でも入学が可能です。そこで早速、大学院説明会の動画を観ましたが、ここで先生方のスタンスに修士課程の教育と大学教育の違いを実感しました。

https://www.youtube.com/watch?v=WueLwXqjzaw

京都芸術大学に限らず、一般に通信制大学は受講可能期間が長く、個人は与えられた教材を学ぶ受動的な傾向が生じます。だからこそ在籍期間は長いけれども卒業率が低いことが多い。経営面を考えれば大学側としても授業料が入る期間は長いほうが利益はでるとも思います。そうした大人の事情はおいておいたとしても、動画では、大学が「その専門分野の基礎知識を身につけるところ」という前提を思い出させてくれました。3年時入学で一般教養を端折って専門課程を学んだとしても、その道のプロになる人は一握りなのは通信だけではなく、通学課程も同様です。むしろ、学生を「専門家と共通言語で議論ができる一般人」に育成する機能が大きいのではないでしょうか。法学部なら会社の顧問弁護士と話をするときに、電子技術工学なら企業のシステム構築でエンジニアと調整を進めるときに、それぞれ同じモノの見方で話ができるようになる。実際、専門家ほどではないものの、専門用語に抵抗がなく、専門概念を理解できる人材は、社会でとても有用です。早川先生の体験談のなかでも、新宿の交差点建設プロジェクトで、デザイン建築会社のメンバーとして、道路や信号を所管する国や都との調整での苦労がありました。民間企業と行政組織の言語の翻訳をしてくれる人材がいると流れはうまくいくだろうと感じます。

一方、大学院修士課程は、学生間のグループ討議が必須で組み込まれているようです。しかも大学のように4半期ごとに履修できるのではなく、年間で履修チャンスは1回のものもあります。原則、2年間での卒業を前提にしているプログラム構成。先生方のコメントも大学の説明と明確に違います。「修士課程は甘くない。」「自分のテーマを研究する。」「自己完結した学びだけではなく、他の専門家や専門家を目指す人と意見を交わすことになる」などなど。持論を検証し、第三者に批判されて恥もかき、ブラッシュアップする機会を得ることが修士課程なのだと理解しました。また、MBAからMAF(芸術修士号)という時代がきている、というのは初耳でした。社会においてデザイン思考の必要性が強まるなかでは、経営学だけではなく芸術学の知識の価値が高まるとのことで、欧米ではMBAとMAFをダブルでとれる大学院もあるようです。要は、大学院では教育目的が、「プロと話ができる一般人の育成」から、「プロを育成する」という方向に大きくシフトチェンジするわけです。となると、今度は、私の「専門」は何か?「研究テーマ」は何か?という原点に立ち返ることになります。実際、海外国内の大学院の芸術学修士課程を調べても、当たり前ですが、絵画、映像、写真、造形、建築、デザイン、演劇、文芸など芸術・アートに関するスキルがあることが前提です。正直、いまの私には太刀打ちできるものがない。となると、基礎力を身につけることが必須です。

ここで、また大学課程のあり方に想いは戻ります。

オンラインで様々な美術館学芸員の解説が流れ、無料あるいは廉価な講座がYouTube等で配信され、NHK教育テレビで良質な番組を観ることができ、専門書籍は国内にあれば地元の図書館に取り寄せ閲覧が可能で、国内になければAmazonを通じて世界中から買い求められ、デジタル書籍であればkindleで読むことができる時代です。SNSやブログで同好の士を見つけることも難しくありません。最終学習歴を積み重ね、生涯学習を充実させ、興味関心を育てていくだけならば、「大学」に拘る必要はないのかもしれません。大学のメリットを挙げるならば、独学よりも体系的に学べるよう誘導してもらえること、同じ興味をもつ仲間と安全に交流する機会が得られやすい環境になることでしょうか。ただ、強い動機にはなりにくいメリットです。

あえて「大学で学ぶ意義」を検討するならば、与えられた知識を吸収するだけではなく、主体的にデザイン思考を身につけ、深化させ、歴史の中での自分の立ち位置を把握し、師事する相手を自分のキャリアの糧にする「姿勢」が必要なのかもしれません。そして、できれば、自分の「作品」をゼロから設計し、プロトタイプで試験し、自分あるいは発注者の目的に応じて変化させ、より良いものに具体化していく過程を、資料や脳内だけではなく、現実に手を動かして体験することが重要な気がします。もし縁あって、MAF取得を視野に入れるとしても、これらのクリエイティブな具体の動きが、自信とテーマ探索の素地となる予感がしています。

ほかにも動画はたくさんアップされていますが、全体のまとめとして、個人的には、京都芸術大学に入学するなら、まずは大学で基礎を身につけるほうがいいなと結論づけました。となると次の課題は、学科をどれにするかです。手のひら芸大のうち、芸術教養学科は、リベラルアーツandファインアートと英訳されているくらい、いわゆる「教養」課程かと思われます。社会で必要となる専門家との「共通言語」の取得は、大学以外の勉強方法でも取得できるような気がするので、今回は選択肢から外させていただきます。コロナ禍や通学距離の問題で、スクーリングへ参加できるかも微妙ですので、アートなスキルを身につけるという観点からは、アートライティングコース、イラストレーションコース、また現時点では週末芸大ではあるものの2023年度からオンラインのみになるという文芸コースを考えてみたいと思います。



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