タガヤセタブセの、その先の景色。
0. そもそも
入庁してから農業関係の仕事に携わって、はや6年。主に法務だったけど、最近から新規就農の話にも足を踏み入れるようになってきた次第。
職場で新規就農体験ツアーなるものを継続してやってきたところ、この度いろいろ刷新せよ、という命を受けた。そしてこうなった。
詳細はこちらでも確認可能。
技術的なことはすべて馬島の藤田枝里香さん(うましまcolor)にやっていただいた。Yahoo!ニュースで半世紀ぶりの結婚式で話題になった、笑顔が素敵なデザイナーさん。こちらの気持ち、本当に汲んでいただきました。感謝申し上げます。
ちなみにPRテキストはこんな感じ。
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【風に包まれ、土と語らう。そんな暮らしを想う方へ。】
2日間で農ある暮らしを体験できる『タガヤセタブセ体験ツアー』(田布施お試し農業移住体験ツアー)を開催します。
田布施町は山口県南東部、瀬戸内海に面し温暖な気候に恵まれた、稲作を中心とした農業の盛んな町です。ツアーでは町の振興作目であるイチジク、アスパラガスの作業体験のほか、農業者や地域おこし協力隊、移住者の皆さんとの交流会も企画。具体的な就農支援制度の相談に乗ることもできます(交通費補助あり)。
耕す(cultivate)は受動詞でなく能動詞、文化(culture)の語源、自らの意思で何かを生み出すこと。あなたはこれからの人生、どんな未来を描きたいですか?少しでも、農業のことを考える方のきっかけになれば嬉しいです。
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この構成の際は優れた同僚にもしっかり意見いただいた、熱くなって飛躍しがちな文章を冷静にコメントいただき、とても有り難かった。
さて、どういうことを考えてこれが完成したか書き記しておきたい。いつ我が身もどうなるか分からない。
1.耕すことの価値
農業に関して言えばさっそくの私ごとで恐縮だが、3年前に結婚した妻の実家が専業農家だったのだ。半ば信じられなかった、農業振興の立場でいながら自分と同年代の専業農家世帯に属する人間がいるということにとても驚いた。
話を聞いていると、田んぼの周囲の生き物と対話しながら働いている様子、風雨に晒されながら逞しく(マジで)作業をする話、そして何よりも消費生活でない、生産に携わる人の圧倒的な豊かな感性に衝撃を受けて、記号的な農業の話ばかりになりがちな自分の浅はかさを恥じたのであった。それ以来、農家のみなさんへの敬意を忘れないよう心がけている、つもり。
会議やwebで飛び交う農業と現場の差異、これは言うまでもなく現場に実践として耕作が行われていること。この現場をないがしろにしたものは作れない、その気持ちは無視できなかった。
2.地方と勇気
また、藤田さんといろいろ制作に向けた話をする中で、地方移住、地方創生、いろんなもやもやを自分なりに解消しようと試みた。このまま、なんとなくビジョンもなく進むのがどうにも嫌だったのだ。
はっきり言おう、地方創生って最初から今の今まで意味が分からない。
創る(能動詞)と生まれる(自動詞)という組み合わせ、いや分からないでもないんだけど、それと地方というロケーションを意味する言葉がなんとも歯車が合っていないような感覚。まあ自治体の予算のため、とぶっちゃければそこまでの話だが(実際に職場である自治体も同様)。
地方に住む者として、常に都会に対しては羨望の眼差しを覚える。美術館もある、人がいる、常に流動的に新しい何かが動いている(ように感じる)。田舎の景色は日々さほど変わらない。店舗が少しずつ減るのと、草刈りがされない農地が少しずつ目立っていくのと。大小イベントも開催されるけど、打ち上げ花火はあっという間に消えていく。
都会から地方へ移住すれば万々歳、みたいな理論は本当に氷山の一角どころか表面でまさに気化しようとしている水分で、全くもって掴み所のない話。もっと有機的かつ建設的な関係があるのではないか、ずっと考えていた。
その答えを求めて数年間、ずっともやもや考えていたところ、出会ったRe:Sの藤本さんの文章。
https://note.mu/re_satoshi_f/n/n4000c4156ebb
自分のもやもやがすごく晴れていった、とどのつまり、生産と消費、両輪で進んできた人類の生き方がここ最近で少しずつ偏りが出て、いろんな歪みとなっていること。その中のこの一文には身震いした、現代の情報の濁流の中でも、見失うことない輝きを放つことば。
「ここじゃないどこか」は、
「こうじゃないじぶん」に向き合うことの先にある。
都会の人、地方の人はそれぞれいろんな煽りを受けている。それに流されがちだけど、本当に向き合うべきは自分自身でしかない。それも、勇気を持って。
何か新しい行動のきっかけは些細なこと、当事者の中のミクロな世界で動くこと。「〜のきっかけは?」なんて問いのために言葉を紡いでいく。もしかした風が良かったから格好つけて言ったことを貫いて現実にした人も、真摯に家族や、誰かの未来を想って決断する人、いろんな形があるだろう。少なくともそこに勇気があるのは明らかだ、自分の、他人の、一番大切にしたいもの。勇気を失ったら、きっと何も始まらない。
3. タガタメ、タガヤセ?
下手でもいい、常に継続すること。その耕す土地に目に見えぬ文化が芽生えていく。僕はそれに価値を感じるし、取り組みたい。日々、ジリジリと苦しいだろう。掴めそうな成果も1日でダメになってしまうかもしれない。けれど、いつかふと気づきの訪れるときが来るかもしれない。そこにある風景の意味が変わっていく。
夢中で踊っていたら 見慣れてた景色 新しく見えた
tofubeats - Keep on Lovin' You
耕して生み出す文化は誰のためにあるのか、自分のため?現在ともに過ごす想いを馳せる誰かのため?そもそも文化なんていう高尚に思える単語を振り回しているけども、もっと根源的な欲求、生存のためなのか。
考えると止まらないが、今の生活は過去の開墾があってこそ。これまでに生きた先人へのリスペクトを念頭に、誠実にやっていきたい。
というわけで、ツアーに誰か来てくれると嬉しいです。お待ちしております。