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朝から仕事が立て込む日だなぁと考え事をしながら電車に乗ったものの一向に電車が発車しない。
「相変わらずまた遅れてるのかこの(※自主規制)線め」
と心中で悪態をついて車内アナウンスをヒグチアイの音楽でノイキャンして無視することにした。先週末のライブは改めてとても良かった。
無視し続けているとぞろぞろと人が降り始めて様子がおかしくなってきた。イヤホンを外してアナウンスに耳を傾ければ、沿線で人身事故が起きて当面動かないらしい。
業務開始までに絶対に会社に着いてないといけなそうな日だったので、駆け足で飛び降りてごった返す改札を掻き分けてシェアサイクルを借りて、電車で4駅の距離を電チャリで爆走して出社した。
通り過ぎる途中の駅で、バスやタクシー待ちの長い行列とか、電話を片手に右往左往する人混みを見るたびに、自転車で風を切る心地よさも相まって勝ち誇ったような気分で満たされた。チャリ出社、少し癖になりそうだ。
仕事をさばいてちょっと落ち着いた頃に続々と同僚が出社してきた。
1時間以上遅れて出社してきた最寄りの近い同僚にチャリで来た話をしたら「朝からよくやったね」と驚かれた。それを見てまた内心ほくそ笑む。
近年稀に見る業務量に追われて残業時間が増えても、昼食を摂る時間がほとんどなくても、朝からチャリダッシュしても、なんだかんだ耐えられてしまうから体育会で鍛えられた心身とは自分でも驚くくらい頑丈らしい。
会社の同期は半分以上辞めた。
そんな中でよくもまあ生き残ったよなと、ふとこれまでの仕事を振り返って改めて思う。
しかし今の仕事がいくら忙しかろうと、学生時代の方が多分キツかった。だから多分、世間一般と比べたら感覚が麻痺している。痛覚が鈍っている。
少し話は逸れるけど私が一番大切にしている本は西加奈子の「i」という小説だ。
文庫版の後書きには又吉直樹と作者である西加奈子の対談が綴られている。
又吉
(前略)人それぞれの痛みや苦しみって、数値化して比べられない。だから自分の痛みはきちんと痛みとして受け止めながら周りの人の気持ちも理解できるようになればいいんだけど、今、逆に行ってるじゃないですか。『もっとたいへんな人、おんねんぞ』って。苦しむことすらできない人が作られている。いや、血ぃ、出てるよ?なんで痛がったらいかんねんって思う。
対談 又吉直樹×西加奈子
私の身近にも痛覚バグってるなって思う人とか、無理してそうだなって思う人は結構たくさんいる。
そういう人たちは色んな大変なことを乗り越えてるから、他人の辛さにも共感してくれるような人が多い。が、その割に強いが故に自分の大変さには鈍感で無頓着に見える。私がタフだなと思う人はなんとなくそういうきらいがある。
そういう人たちに限って無理しないでとかの類の声かけが効かない。無理したってなかなか壊れないから、何をもって「無理をする」ことになるのかもわからなくなっていたり、休むのが怖いと言い出したりする。こうなったら強制的に休ませるしかない。
でもたかだか一介の友人の分際で強制的に仕事とかを休ませる権限なんか持ち合わせてないから、そうなったら私ができることと言ったら、
「願わくばどうか元気で」
と静かに密かに思いを馳せるだけだ。
別に会えなくたっていいし向こうが自分のことを思い出さなくても別にいい。その人の生活がある程度維持されていてくれればいい。元気があるに越したことはないけど元気じゃなくても機会があれば来年でも再来年にでも会えればいいと思う。
「元気じゃなくてもまた会いましょう」と題されたヒグチアイの10周年記念ライブの終演間際のMCで、
「体は元気で、心も元気の方がいいけどでも元気じゃなくても良いです。また私の音楽を聴きに来てください。」
とヒグチアイは淡々と話した。
自分も関わりのある人たちに同じようなことを思う。
願わくばどうか元気で。
元気じゃなくてもまたどこかで。
2024年もお世話になりました。