法隆寺が1300年建ち続けているのはなぜか
法隆寺は世界最古の木造建造物として607年に創建され、その後火災で全焼するも670-700年ごろに再建、それから1300年間、木と人の力によってその荘厳な姿を保ち続けています。鉄筋コンクリートの寿命はたかだか100年と言われていますが、木は樹齢分の寿命を全うします。いかに現代建築が脆く、木という素材が素晴らしいかがわかります。しかしそれも後にわかるように、木の使い方次第です。
さて、『木のいのち、木のこころ(天)』という本を読みました。著者・西岡常一さんは日本最後の宮大工と言われ、主に法隆寺の再建・管理を一任された人物です。
「その道を極めた人からは哲学が滲み出る。」僕はそう思います。
この本も、たくさんの困難を乗り越えた西岡さんの口語体で語られ、その生き方に裏付けられた説得力のある言葉たちが身に沁みます。法隆寺がなぜ1300年も建ち続けているのか、いくつかヒントとなるポイントを記したいと思います。皆さんの人生の一助になれば幸いです。
新しい技術は本質を鈍らせる
「木は買うな、山を買え」「木は生育のままに使え」
人が一人一人違うように、木も一本一本違います。風の強いところで一方向から吹き付けられれば木は曲がりますが、同時に戻ろうとする癖が生まれます。この癖を見抜いて建物のどの部材として使うか、そこまで考えてこそ一人前の大工だと言います。
さて、時代は飛鳥ー鎌倉ー室町と移っていきますが、室町になると『槍鉋』というさざなみのような美しい表面を削る道具が姿を消して、代わりにノコギリや台鉋、そのほか細かい細工のできる便利な道具が増えたそうです。そうすると人々は「俺はこんなこともできるぞ」「こういうのはどうか」と木の特性を無視して技術が先に立ってしまいます。そしてものを頭で作るようになります。
日光東照宮は建物としてはあまりいいものではない。厚化粧した舞妓さんがぽっくりを履いているようなもので、建物の本来持つ力強さを全く無視している。あれでは建物というよりも彫刻だ。
西岡さんは鎌倉の建築を美しいと評価しています。それは自然に逆らうことなく、自然に沿って大工が自らの意思を表現しているからです。潔く、斬新でいて控えめな建築は、だからこそ建物としての力強さを感じます。
木造建築の本質とは人を育てるのと似ていて「その木にとって最高の適材適所を探す」ことです。いくらデザインに凝っても雨漏りしてしまえば意味がないように、機能を成さないデザインは、本質から逸れていると言えます。法隆寺はそのように『目利き』された木材を組むことで、木材同士が『本当の意味で支え合っている』建築物なのです。
均一で揃っているのはいいこと?
さて、現代の木造建築はどうでしょうか。1820mm=一間という固定された企画に合わせておおよその設計士が設計図を書きます。大工はそれを忠実に、寸分の狂いもなく作り上げることが求められます。木は伐採されると高温乾燥で水分を抜き、プレカット工場で仕口が作られます。どこの木かなんて関係ありません。下地は合板です。概ね1820x910の規格化されたものです。薄い桂むきされた針葉樹を接着剤で何層にも重ねたものです。反りがないから扱いやすいのです。
しかし、平らに均したコンクリートの基礎に、均一化された木材を組んでいくと、どうしても外からの力を同一方向に受けてしまいます。地震の力が10とすれば、その全てを数カ所の金物で受け止めているわけですから、イメージするだけでも脆そうなのがわかります。
対して法隆寺をはじめ昔の建築は、まず基礎が自然石です。平らな面を上にしますが微妙に凹凸があって、柱をその凹凸に合わせてカットします。全ての自然石は同じものがありませんから、地震の力も四方八方に分散します。これが1300年、地震をはじめとする災害に見舞われてもびくともしない法隆寺のからくりです。
また、昔は木は割くものでした。繊維に沿って割かれるので水に強くなります。対して今は切断しています。繊維がズタズタになりますから水を吸収してしまい、寿命が縮みます。
均一化することが効率化することへの近道ですが、均一化による弊害は思わぬ形で現れます。時間はかかりますが、『あえて均一化しない』ことが結果的に木材にも構造にも優位に働いているのです。
昔が劣っているとは限らない
西岡常一さんは宮大工の中でも法隆寺を任されるほどの腕前、確実に現代の大工の中でもトップクラスの腕を持っています。そんな彼でも「飛鳥の大工には敵わない。」と言っています。彼は法隆寺再建の際、解体の過程でその木組の技術の高さに魅了されたといいます。
FACTFULLNESSという本によれば、世界の女性の教育環境は日に日に良くなっていて、泥水を汲みにいかなければならないような貧しい国はどんどん減っているといいます。世界は常にアップデートされていて、新しいものは常に素晴らしいものであると、古臭い知恵など時代遅れだと、世の中のメディアはそう思わせてしまう魔力があるように思います。
しかし、培われてきた技術には紡がれてきた知恵と人を惹きつける魅力があります。それは現代のように力でねじ伏せるような技術ではなく、自然に沿った技術です。何よりも現代に生きる我々は、ご先祖さまより優っていると奢らない、謙虚な姿勢が大切だと思います。
この謙虚な姿勢は、教育の場にも、建築の職人と設計士の関係にも当てはまります。木が一本一本癖が違うように、人も一人一人違う。子供も、職人も、一人一人癖があります。その癖を見抜いて、育てる。決して均一化した教育に当てはめたり同じ仕事を押し付けたりしない。
法隆寺は『釈迦を奉る』建築物として、何よりもこの謙虚な姿勢を大切にされたから、奢らない、優しく荘厳に1300年建ち続けているのでしょう。