見出し画像

007 オルダス ハクスリー「すばらしい新世界」

オルダス ハクスリーの「すばらしい新世界(1932年)」の書評です。
「すべてのディストピア小説の源流にして不朽の名作、新訳版!」
("Brave New World", Aldous Huxley, 1932)

オーウェルが『1984』で描く暗い管理・監視社会に比べ、ハクスリーが描く「新世界」はとても明るい。その分逆に、とても考えさせられる内容になっています。

小説としてとても楽しいのですが、ここでは、本書を作者ハクスリーの思考実験と見て、その内容と帰結を追ってみたいと思います。


描かれた「新世界」像


ときはフォード紀元(A.F.)632年(西暦換算2540年)、ものがたりは『中央ロンドン孵化条件づけセンター』から始まります。

この時代、子どもは母親からではなく人工授精によって瓶から生まれます。
なので、親子関係なるものは社会に存在しません。”母親”や”父親”は、人前で口にできないほど下品で猥褻な言葉と思われている。”婚姻”というものもないので家族関係もありません。

『ネオ・パブロフ式条件反射教育』や睡眠学習で、社会に適合するよう条件付けされています。
特定の相手と長く付き合うのは不適切な行為と教え込まれ、みんな複数の異性とカジュアルに交際しています。「みんながみんなのもの」

A.F.178に、2,000人の薬理学者と生化学者に補助金が出され、その6年後に「完璧な」ドラッグ「ソーマ」が完成。副作用なく、多幸感、楽しい幻覚がいつでも味わえます。

技術の進歩により老化というものがなく、肉体的にも精神的にも若さを保てます。死というものは恐るものではなく(そのように条件付けされている)、60になると穏やかにいなくなります。

「いまは ーこれこそ進歩だ― 老人も働き、性交する。時間を持てあますどころか、寸暇を惜しんで楽しみ、考えごとにふける時間もない。もし万一、不運な成り行きで、娯楽という強固な大地に暇という裂け目がたまたま口を開けたとしても、そのときは甘美なソーマがある。半グラムで半休分、1グラムで週末分のリフレッシュ。2グラムなら豪華な東洋の旅、3グラムなら月世界の永遠の闇を体験できる。そこから帰ってきたら、もう裂け目の向こう側 ―日々の労働と娯楽という強固な大地に無事たどりついている。次から次へと感覚映画(フィーリー)を観て、むちむちの女の子をとっかえひっかえして、電磁ゴルフコースを次々に回り⋯⋯」

p81

なんだかうらやましく思える!?

これこそ、あなたが望む理想の世界でしょ?


「新世界」の成り立ち


この「新世界」に至る経緯は、A.F.141年から始まる『9年戦争』まで遡ります。大規模な経済破綻に端を発し、化学兵器や生物兵器が用いられ、戦場は悲惨なものだったようです。この戦争終結後世界をどのように統制していくのか?

「9年戦争、経済破綻。世界統制か、それとも破壊か、二者択一を迫られた。」

p70

この記事では本書を、作者ハクスリーの「思考実験」だととらえてみたいと思います。

本書が執筆された1931年は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間で、ウォール街大暴落(1929)による世界恐慌の真っ只中。物語の中の「9年戦争」は、ハクスリーにとって現実味のある設定だったことでしょう。
悲惨な戦争の後、世界をどのように再構築するのか?

  1. 民主的方法に期待
    これまでの「民主的な世界統治」の結果が大恐慌であり世界大戦なのですから、この方法には頼ることはできないと考えるのが妥当。

  2. 強制
    「それでも、強制によってものごとを進めることはできなかった」と言う。
    「世界統制官たちは、ついに、強制は無益だとさとった」
    オーウェルが『1984』で描くような管理・監視社会では、永続的な安定した社会は築けない。これがハクスリーの思考実験の帰結なのでしょう。

  3. 個人の安定
    騒がしく感情的に動く(不安定な)個人の集団では、社会の安定はない。
    社会の安定の基礎は、個人の「激情」を抑えることにある。

社会の安定なくして文明なし。個人の安定なくして社会の安定なし。

p60

これが、ハクスリーの冷徹な思考実験の結論だったと捉えます。

個人の生活を感情的に楽なものにするために、一人一人を可能な限り感情から守るために、あらゆる策が講じられている、それが悲惨な戦争を二度と起こさせないための、新世界の基本設計理念。


二人の主要人物


物語には、二人の主要人物が登場します。


ムスタファ・モンド世界統制官

このものがたりに欠かせない主要人物の1人が、ムスタファ・モンド。
全世界に10人しかいない統制官の一人、西ヨーロッパ駐在統制官。

彼は、世界を統制する立場にあり、社会の舞台裏を熟知していて、彼の言葉からこの社会の成り立ちや必然性が語られます。


野人(ジョン)

もう一人の主要人物が、「野人(ジョン)」。(第7章から登場)
世界は前述のような「文明化」された社会にみたされているが、ニューメキシコには「野人保護区」と呼ばれる「文明化前」の社会が一部残されていて、この「野人保護区」にいる青年(ジョン)を「文明化」された社会に連れ帰るところからものがたりは進展します。

シェークスピアをこよなく愛するジョンは、社会の状況を「堕落ぶり」が許せない。
社会に溶け込めないジョンは、いくつかのトラブルを起こし、最後には…

いわば、今の時代に生きるわれわれ(ジョンの知的レベルはかなり高いが)の視点から、このものがたりが描く「理想社会」に批判の目を向ける役目を負っています。


作者であるハクスリーは、この二人を通して自分の中の二面性を戦わせていきます。

ムスタファ・モンド
= 思考実験により合理的に世界を設計する立場
=ハクスリーの合理的思考

野人(ジョン)
= 思考実験の帰結に対し、異を唱える人
=貴賓と伝統を重んじるハクスリー個人の思い


「新世界」の設計理念


これまで触れていなかった、思考実験の帰結を5点並べておきます。

階級制度

新世界には、最高の知能を有するアルファから最下層のイプシロンまで階級が区別されている。『中央ロンドン孵化条件づけセンター』で、発育時に酸素欠乏を起こさせるなどして、下層階級には知性がそれなりにしか育たないよう操作している。

すべてアルファにすることもできるのに、なぜわざわざ下層階級を作るのか?

A.F.473年、キプロス島から全住民を退去させて、22,000人のアルファを再入植させた。農業設備と工業設備はすべてアルファに引き渡され、あとは彼らだけで社会を営んでいくことになった。結果は理論が予測した通りだった。
土地はまともに耕されず、すべての工場でストライキが起きた。法律は守られず、命令は無視された。一定期間でも低級職に割り当てられた者は高級職を求めてたえず画策し、高級職に割り当てられた者は是が非でもその地位を守ろうと対抗策をめぐらした。6年後には本格的な内戦が勃発し、22,000の人口のうち19,000が死んだ時点で、生存者全員が一致して、自分たちにかわって島を統治してほしいと世界統制官会議に嘆願した。統制官たちはその嘆願を受け容れた。
かくして、史上唯一のアルファだけの社会は終焉を迎えた。

p309

これもハクスリーの思考実験の結果と考えます。安定した社会を作るためには、残念ながら階級(カースト)制度が必要という結論。


労働時間

その実験は、いまから一世紀半も前に行われている。アイルランド全土で、一日4時間労働制が実施されたんだよ。結果は? 社会不安が起こり、ソーマの消費量が大きく増えた。ただそれだけ。1日あたり3時間半プラスされた余暇は、しあわせの源になるどころか、人々はそれから逃れるためにソーマの休日をとることを強いられたんだ。

p311

人間暇を持て余すとろくなことがない。なにかしていないと不安や不満がつのる。余暇を意味のあるものにするのにはそれなりのスキルが必要となるようです。


科学

「きみは科学教育を受けていないからわかるまいが、わたしは若いころ、かなり優秀な物理学者だった。むしろ、優秀すぎた。われわれの科学がただのクックブックだと気がつく程度に優秀だった。そのクックブックにはオーソドックスな料理法だけが載っていて、だれも料理法に疑問を呈してはならず、料理長の許可がないかぎり、新たなレシピをつけ加えることもできない。いまのわたしは料理長だが、当時は探求心旺盛な皿洗いだった。だから、暇を見つけて自己流の料理をはじめた。オーッドックスではない料理、禁制の料理を。つまり、本物の科学だ」

p313

このためモンドは島流しに合いかけた。で、独自の研究を続ける道をあきらめ世界統制官の道を進んだという過去が語られます。平穏な社会を実現するためには代償を払う必要がある。新世界で表向きには科学は推奨されているが、科学における発見は社会に変化をもたらす、すなわち社会の安定に対する危険要素なので、裏では統制官たちによってしっかり管理されています。

純粋に「真理を追求する」というような牧歌的な科学観は世界統治の視点にはそぐわない。われわれの社会においてさえも「科学的事実」なるものは純粋な情報などではなく、多かれ少なかれ「操作された」情報なのだろうと思う。


宗教

同様に、新世界では宗教もない。人は歳をとると死と死後に待つ運命とに対する恐怖から宗教に頼るようになる。でも新世界では老化しないし、死は恐るべきものではないとしっかり教育されている。だからもはや宗教は必要はない。


芸術

「しかしそれは、安定のために支払うべき代価だ。幸福か、芸術か。どちらかひとつを選ばなければならない。われわれは芸術を切り捨て、かわりに感覚映画と芳香オルガンを選んだ」

p306

シェークスピアをこよなく愛するジョン。でもシェークスピアは新世界では「禁書」になっていて、その代わりにジョンの目には「莫迦莫迦しくておぞましい」と写るような娯楽であふれている。

「もちろんそうだろう。不幸に対する過剰補償と比較すると、現実のしあわせは、つねにずいぶんあさましく見える。それに、安定というのは、不安定にくらべて、人目を引くような派手さがない。満足した状態には、敢然と悲運に抗う華々しさもないし、誘惑との戦いとか、激情や疑惑が引き起こす破減とかにつきものの、絵になる要素もない。しあわせは、そもそも壮大さと無縁だからね」

p307

社会が不安定でなければ悲劇は作れない。これだけ社会が安定し、みなが幸せなこの世界でシェークスピアは理解できない。(必要ですらない。)


アメリカの文化とハクスリー


ウィキ(英語版)によると、ハクスリーのアメリカを訪問が「すばらしい新世界」に大きく影響を与えたようです。

ハクスリーは、若者の文化、商業的な陽気さ、性的乱交、そして多くのアメリカ人の内向的(自分本位)な性質に激怒しました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Brave_New_World、筆者訳

スティングの “Englishman in New York” の歌詞に出てくるのように、イギリス人は謙虚さや礼儀正しさを重んじる国民性があるのでしょう。そして、イギリス人であるハクスリーの目には、アメリカの軽薄な文化が耐えられなかったことでしょう。

でも考えてみると、アメリカの文化にはそれなりの合理性がある。いやむしろ、それこそ「ふつうの人々」が望む理想世界なのかもしれない。

そんな世界を究極まで煮詰めたのが「すばらしい新世界」。

ハクスリー自身は到底承諾しかねる世界なのですが、その合理性の前にジョンの口を借りてこう言うしかない「わたしは嫌だ!」

「でも僕は、楽なんかしたくない。神がほしい、詩がほしい、本物の危険がほしい、自由がほしい、善がほしい。罪がほしい」

p333

これが、ジョンの叫び。

それに対しモンドはこう答える、

「どうぞご自由に」


現代的な意味


近年「主観的幸福感(SWB)」という指標を基にした幸せ(生活の質)の研究が盛んになってきていて、多くの国でこの指標の調査が実施され、積極的にこの指標を向上させるべく介入しようとする動きがあります。いわば、ハクスリーが描いた「すばらしい新世界」を実現しようとする動きにも思えます。

「すばらしい新世界」では、新世界の統治者は「しあわせこそが “絶対善” である」という思想を植え付けることで社会の安定を図る。「しあわせ」は「社会の安定」の手段に過ぎない。

でもその前に、「個人のしあわせこそが “絶対善” である」という信念の正当性を考える必要があるのではないでしょうか?

新世界の統制官たちが作り上げた世界はとても理にかなっている。われわれの常識からすると違和感を感じる考え方も、先入観を排除して再考すれば合理的な帰結。

ここで描かれる「新世界」は、
ユートピア? or ディストピア?

十分な議論もないまま、今の社会は不完全ながらこの「新世界」的なユートピアに向かって進んでいるように思えます。スポーツ観戦やハリウッド映画、旅行や魅力的なエスニック料理、ファッションやブランド品。

副作用のないドラッグができたら、
それは禁じるべき? or 推奨すべき?

みんなが幸福感を感じるような条件付けや学習(洗脳)は、
禁じるべき? or 推奨すべき?

この価値判断は、とうてい科学では結論づけることができないものです。(そもそも科学は価値に対してものを言うことができるのでしょうか?)

「ねえ、きみ」とムスタファ・モンド。「文明には、気高さも英雄らしさもまったく必要ないんだよ。そんなものは、政治的な失敗のあらわれだ。この文明世界のようにちんと組織された社会では、だれひとり、気高さや英雄らしさを発揮する機会を持つことができない。社会が全面的に不安定になってはじめて、そういう機会が生まれる。戦争とか、派閥争いとか、克服すべき誘惑とか、戦って勝ちとったり守ったりする愛の対象とか、そういうものが存在する場合には、気高さや英雄らしさに、たしかに意味がある。しかし、いまの時代、戦争はまったくない。愛については、だれかを愛しすぎることがないように、注意深く配慮されている。派閥争いなどというものも存在しない。条件づけによって、人はすべきことをせずにいられない。しかも、すべきことは概してとても楽しいし、きわめて多くの衝動が自由に解放できるから、事実上、克服すべき誘惑など存在しない。不運なめぐりあわせで、もし万一、不快なことが起きたら、そのときはいつでもソーマがある。好きなときに現実を離脱して休暇がとれる。ソーマはいつでも、恐りもしずめ、敵との和解を助け、辛抱強くしてくれる。昔なら長年にわたる努力と厳しい精神修養でよりやくたどりつけた境地に、いまは半グラムの錠剤を二つ三つ服むだけですぐ到達できる。いまはだれもが徳の高い人間になれる。道徳心の半分以上は瓶に入れて持ち歩ける。苦もなく身につくキリスト教精神――それがソ―マだ」

p329


おわりに


戦争で人々が殺しあったり、恐慌で人々の生活が脅かされたり、不安定な社会で起こる悲劇をなくするためには社会の安定が欠かせない。そのために人々の激情を抑え、皆がしあわせで満足している社会。この理想を究極的に追い求めた帰結が「新世界」。

でも、これで良かったのだろうか?なにか大切なものを見落としてはいないだろうか?

この問いかけに、みなさんは答えられますか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?