自殺について
尊敬している人は誰ですか?という問いかけを面接でされたことがある。確かその時は「兄です」みたいなことを言ってお茶を濁したような気がするが、当時から僕は西部邁という人物を尊敬していた。
読んでいるあなたは西部邁という人物を知っているだろうか?あまり若い人は知らないかもしれないが、朝まで生テレビを見ていた人は「あの理屈っぽいおじいさんね!」と知っている方も多いだろう。
彼の尊敬するところを挙げるとキリがないのだが、その交友関係の広さ(自分の思想とは関係なく、いろんな人と交際している)や思想、思索の深さなど今でもYouTubeなどにテレビ番組のアーカイブなど見ることができるので是非触れてみてほしい。
さて、唐突に西部邁の話にしたのは訳があって、僕は彼を尊敬しているのだが、彼の最期にはいろいろ思うところがある。彼は死ぬ数年ほど前から(僕にとってはあまり好ましく思わない)変化があったように思う。以前まで持っていたユーモラスで示唆に富んだ深みのある発言が減り、直接的で突き放し、決めつけるような発言が増えていったように思う。
それまでの彼はユーモアやウィットのある発言の重要性をわかっていて(自分でその旨の発言をしていた)、相対主義的な議論の放棄や決めつけよりも議論の重要性を一番分かっていた人間のはずだった。それが年齢的な老いの問題で変わってしまったのか、その経験から今までの考えは間違っていたと考え変わったのかはわからない。
そんなこんなで(会ったこともないくせに勝手に)失望した僕は西部邁を追わなくなったのだが、そんな彼が次に僕の目に飛び込んできたのは自殺のニュースであった。(正確には自殺するのを助けてもらったのだが)
彼は以前から「最期は自分の手で終わらせる」と言っていた。自殺こそが自分の生命をコントロールできる唯一の方法だ、と考えていたからだ。
彼は晩年病気で身体がうまく動かなくて他人に迷惑をかけるのを気にしていたようであり、それも込みで自殺に至ったようだ。
これをどうとるかは色々解釈があると思う。西部邁のような状態であれば自殺がいいと思うかもしれないし、なにがあっても自殺はいけないと思うかもしれない。
こんなことを言うと申し訳ないが、残念であると同時に僕は少し安心してしまった。
彼は老いてしまい変わってしまったのだと思ったが、僕が追っていた時からしていた発言通りの最期を迎えたからだ。もしくは「いつかは自分で死ぬ!」と言っていたくせに意地汚く生きている彼をみたくなかったからかもしれない。
しかし、彼の自殺に色々文句があるのも確かで、それに関してはいろんな人が同じことを言っているので割愛する。
僕は未だに西部邁の本や動画を見るが、その度に彼の最期に考えが行ってしまう。
彼の自殺は正しかったのか、間違っていたのか。
自分は彼と同じ歳になったときにはどうするのか、どうするべきか
わからないわからない