行為の価値について(2)

行為の価値はどこで決まるか

 人の行為の価値(善悪)はどこで決まるのか。そこには大きく分けて3つの立場がある。

1.行為をする時の意志で善悪が決まる(動機責任)
2.行為をした結果で善悪が決まる(結果責任)
3.全ての行為に善悪はない(唯物論)

 順に見ていこう。

①動機責任論

 動機責任論はドイツの哲学者イマヌエル・カントなどが主な論者である。
 人間の理性の限界を考えたカントは、人間は行為の結果についてアプリオリ(先験的)に知ることはできないため、道徳法則に基づいて行為を行うべきであると主張したのである。

②結果責任論

 ドイツの社会学者マックスウェーバーは、責任の所在について2つパターンがあるとした。一つは先述の動機責任(ウェーバーは心情倫理と言っている)であり、もう一つが結果責任だ(ウェーバーは責任倫理と言っている)。
 ウェーバーは対立しているこの2つの倫理を挙げ、どちらも大事なことであるが、こと政治家においては結果責任の方が大事であるということを述べた。

③唯物論

 あまり価値の問題についてで取り上げられることはないが、唯物論についても触れておく。
 唯物論はこの世の全ての現象は物質的に還元できるとする立場だ。ビックバンから始まり、全ての原子(素粒子?)がある運動法則によって決められた通りに動いていれば、人間に自由意志などなく、よって行為の価値はどこにも存在しない。
 銃を使って人を殺した場合に、銃を裁判にかける人などいない。裁判にかけるべきなのは銃を使って人を殺した人間であり、もし人間が銃のように意志なく決められた通りに動いているとすれば、人が誰かを殺しても罪に問うべきは人間の制作者(神orビックバン)である。

まとめ

 行為の価値をどこにおくかという問題の結論は未だ出ていない。例えば現行の日本の法制度では、基本的には結果責任論を取っているが、なぜその犯罪をしたのかという動機で情状酌量されたり重くなったりする(未必の故意など)。
 では科学の進歩により、人間に自由意志がないことが判明した場合この問題は解決するのか?

 わからない。

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