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ミニマリストたちはものを捨てて何をしようというのか

ミニマリストについて

ミニマリストと呼ばれる人たちを知っているだろうか。

持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方
コトバンク

を持っているのがミニマリストと呼ばれる人たちで、彼らはテレビを捨て、ゲームを捨て、余剰の衣服を捨て、家具を捨てついには布団(寝袋)のみが置いてある部屋で生活をしている人までいるらしい。私なんかから見たら変わった人だな、と思う。

そんなミニマリストの人たちはモノを捨てることで何をしようというのか。

彼らは余剰のモノを捨てて必要最小限に生きることでこの世の執着や依存などを捨てた悟りのような生活をしようとしている。

と知ったような口を聞く人がいるかもしれないが、それは全くの誤解である。
人は何かに依存または執着をどうしてもしてしまう生き物である。現代人は所有という考えを持ってしまっているからだ。
もし自分の服が100着あれば1着なくなってもなんともないだろうが、1着しかない服が0になってしまうとしたら??

人間は依存先が多ければ多いほど精神の安定が保たれる、というのは想像に容易いし、よく言われていることである。

社会人の三本柱
仕事、プライベート(趣味)、家庭(家族、恋人、友人)

子どもの三本柱
学校、地域社会、家庭

などが有名だろう。
仕事一辺倒の社会人は仕事で失敗した時に落ち込みが激しくなって立ち直れないことが多いし、学校にしか居場所がない子どもは勉強がうまくいかなかったりすると歪んだ育ち方をしやすい。
依存先が多ければ多いほど安定するのだ。

ミニマリストは自分の選択肢を減らすことで執着する先を減らす、逆説的に一つのものの価値を高めているのがミニマリストの生き方である。

おそらくこれは物質文明が豊かになった現代人の心が産んだカウンターカルチャーなのだろうと思う。

物質文明が豊かになったおかげで大量生産品があふれ、どれもこれもが等しく価値がない(誰かと同じ、固有のものであったりしない)。
トレンドに流され多くのものが作られ、そして消費され捨てられていく。その消費者たちにとってはそのモノは執着する対象にはなり得ない(トレンドにのっているだけだから)。それに対して自分にはこれしかない、として生きることで前近代的な物質は豊かでなくても心が豊か(流されたりしにくい)に生きようというのがミニマリストの生き方なのだ(と解釈している)。

余談だが、私は友人ミニマリストとして生きてしまっている(自虐、笑うポイント)。
それは友人を少なくすることで逆説的に友人への関係性を高める行為だと知っていたからだ。友達100人作って富士山の上でおにぎりを食べるよりも、ひとりの友人と喫茶店でお茶でもする方が健全だ。

れっつ人間関係ミニマリスト

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