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生きがいは、山登りに似ている

僕はいつも、自分がやるべき「何か他のこと」があるような気がしていた。

ある時は、ゲームに熱中し、小学校の時に自分でゲームを作り、中学校でエミュレータで毎日違うゲームを遊び、そしてやめた。
ある時は、アメリカンフットボール部に入って高校日本一になり、そしてやめた。
ある時は、建築の勉強をして、安藤忠雄さんのところでインターンシップをし、そしてやめた。
ソフトウェアエンジニアとして働き、西麻布に住み、いい給料をもらって、そしてやめた。

長い間、自分は発達障害か何かだと考えていた。
「ひとつのこと」を続けられない、ダメなやつだと思っていた。
10代で、日本代表に選ばれる高校の同期や、テレビのスター
20代前半で、起業する人たち、一流企業に就職する大学の同期、ブレイクするアーティストたち
そんな人たちに比べて、自分はちっぽけな存在で、ダメだなぁ、と思いながら、若い頃を過ごした。

しかし、最近自信を取り戻し、違う視点で物事を見るようになった。

自分の「生きがい」と言えるもの、実現したいことが、めちゃくちゃにデカいもので、その部品がめちゃくちゃ沢山あるから、若いころにはその全体像も掴めなかったし、今もまだ完全には掴めていない、ということに気づいた。

ただ、世の中に用意されてる「仕事」や「プロジェクト」や「エンターテイメント」は、「何か他のこと」でしかあり得ないことは、昔から分かっていた。

だから、世の中の「業界」や「ジャンル」ではない、自分のオリジナルの「生きがい」を作り上げる為に、無意識だが、確実な実践を積み重ねてきた。

心からゲームに興味はなかったが、退屈を紛らわせ、「発見」を感じるためにやっていた。
心からアメフトに興味はなかったが、強さと規律を身につけ、目指す「高み」に到達するためにやっていた。
心からソフトウェアエンジニアリングやVR開発に興味はなかったが、現代社会で、デジタルが全てと言えるほど重要なので、それを手段として学んだ。

多くの人々との出会いや、様々な経験を通じて、少しずつ自分が何を求めているのかが明確になってきた。


僕は、永遠に続く「発見」の旅を求めている。

人類史上誰も達成したことのない精神的、知的な高みに到達したい。
そして、発見を他人に共有し、宇宙の調和に貢献したい。

発見の旅という、神なのか、なんなのかが作り出したゲームの中で、最大限の力を発揮し、さらにその外に出て遊びたい。


僕の生きがい、そのすべてを言葉で表すのは困難で、ほとんどの場合、部分的にしか理解されない。当たり前の話だ。
だから、いろいろな形の「アート」で、自分のビジョンを咀嚼し、具現化し、行動に移している。

生きがいが明確になるにつれ、人はシンプルになる。
「おもしろ」動画や他人のゴシップ、
大学の同級生が週末旅行で何をしたか、
30日で100万円稼ぐ方法
どの飯屋がうまいかなど、
周りの人が興味を持っていることに興味を失い始める。
今まで仲良かった人と、心のやり取りができることが少なくなる。
本質的にやりたいことが狭くなり、生きづらくなる。

山に登るにつれて空気がどんどん薄くなり、登るのが難しくなっていくようなものだ。
それが表面上で「幸せ」と感じるかどうかは別問題だ。
けど、僕は表面上の幸せは求めていない。

僕が何を目指しているのか、無意識ではいつも知っていた。
でも、成長するにつれて、その高さに到達できるかどうか不安になっていった。
なかなか結果が出ず、失敗をして、人から理解されないからだ。
今いる場所が幸せだと思っている人も、たくさん会った。(強がり、本心から、恐れから、いろいろ)

吐きそうになりながら、フットボールの練習に行くのに必死になっている間、同級生たちがマクドナルドに行ったり、楽しそうに遊んだりしているのを見たあの時。

自分の居場所に引きずり込もうとする人もいた。
たいていの場合、それは無意識だったり、自分から見て幸せになってほしいと思っていたりする。

昔付き合っていた彼女が、留学のために国を出ないで、彼女と一緒にて欲しい、と泣いていたとき。
一緒にプロジェクトをやる、と決めた仲間が
「お前のやろうとしてることは現実的じゃない、無理だ、ちゃんと一歩一歩やれ」
とアドバイスをしてきたとき。

実際、足を引っ張っていたのはすべて自分自身だった。
他の人たちは自分らしく、自分の幸せを追い求めていただけ。

すべては自分が心配し、恐れていた。

お金や名声、今まで築き上げた関係性を失うのが怖かった。
愛する人が離れていくのが怖かった。
自分の表現に対して、反応が返ってこないのが怖かった。
詰まるところ、理解されず孤独になり、惨めに死んでいくのが怖かった。

僕の人生に起こったさまざまな失敗や別れ、つまりただの過去が、未来への恐れや心配の幻想を作り出した。

恐れから、自分の生きがいを忘れ、誰かがデザインした幸せを受け入れようとした。
でも、自分の生きがいを忘れることはできないことに気づいた。
絶望し尽くした後、僕は自分が向かう先を受け入れることにした。
すると不思議なことに、少しずつ不安や恐れが消えていった。

トラウマと失敗しかなかった過去が、輝き始めた。
自分にとって何が大切で、何が雑音なのかが分かり始めた。

あう人がとても少ない寂しさが、心の平穏になり
やりたいことの狭さによる生きづらさは、道の明確さに変わった。

僕の登ろうとしている山は、宇宙一高くて
やらなきゃいけないことは、海みたいに広くて
嫌になるときも何度もある。

けど、失敗して、目指し続けて、新しい自分を発見して、死ぬまでには絶対達成する。

「生きがい」とは、そう言うものだと思う。

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