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あるふれどについて

普通の人生を普通に書いていきます。

この記事に書かれてること
・幼少期から大学生まで
・公務員だった
・カナダに行った
・noteについて

幼少期
まず、対して覚えてないけれど、公団の敷地の横の一軒家に住んでいました。なんちゃって団地グループです。
もちろん当時友人と思っていた同級生たちは団地に住んでいたので、団地は熟知していました。
今思っても当時の団地は複雑で興味をそそり、楽しい場所やと思います。
残念なのが、野球やサッカーしてた公園がことごとく球技禁止になってたこと。
ゲートボールは球技じゃないらしいことに驚きを覚える。

小学校
サッカーをしていました。2年から6年まで。
監督に怒られてなかなか凹みまくってたの覚えてます。
イップスにもなって試合に出してもらってたけど、ボール持ちたくなかったからパスが上手くなった。
すでにどうやって友達ができるか悩む。

中学校
バスケットボールを始めたわけです。
バスケのいいとこは人に向かって思いっきりボールが飛んでこないこと。
でも体格が物を言うので、筋肉がつかない自分には酷な場面もありました。
今でも続けているけど、コミュニティーの幅が広がるし、何か継続できる運動があるのは健康面においてありがたいので正解。
あとは、人間関係がとても勉強になる。
パワプロのしすぎでやけに野球に詳しくなってしまうのもこの時期。(現在の選手は全然わからない)

高校
バスケしてたけど、同級生があまりにいきったチームメイトでなんか不協和音みたいなのを感じてた。相手のことを気にしすぎるのはこういった経験が反映されてるんやと思う。
ちなみに中高の知り合いで電話帳に現存してる人はいない。

大学とニート
家から近い建築学科に進む。私立のパーリーピーポーが多い学科で見事に流されるも3回生で奇跡的に面白い先輩たちと参加した課外活動がおもしろすぎて、本当におもしろすぎて、別の世界にいった感覚。大学生を2回した感じ。就活してみるものの、なんか意味がわからなくなり行かなくなり、そのまま3年間ボランティアしたり、オープンデスク行ったり、居酒屋で働いたり、してるうちに建築系公務員になる。ハードじゃなくて、ソフトが得意なのかもと気づく。二級建築士も知識を強化するため友達の真似して完全独学で受験し、一発合格する。調理師試験もこの時取得。
大学の卒業式では夜11時には就寝する健康児っぷり。
先輩の卒業式では寂しすぎて泣いたけど、自分の時は寝てた。

公務員してた
幸いなことに配属された部署には比較的変わった人が多く、楽しかった。常軌を逸した悪い意味での変人も何人かいたけど、今ではネタに使わせてもらってる。その人はそう言う人生を歩んだんやと思う。
2年でそこそこ流れとか容量とか覚えて、3年目からは無駄なことはしなくなり、残業がなくなった。繁忙期は少し残業したから年間で平均月5時間くらい。現場が官公庁で、施設長や管理職と話す機会が多く何人か仲良くなり、現場と称したお茶に行くことも少々。気がまぎれるらしく、立派なお仕事です。
一級建築士も先輩や上司がうるさかったので記念受験のつもりが、一発合格してしまう。申し訳ない。SとかNとかには行ったことありません。

ここまでで、質問はないと思うけど、次はカナダに行きます。

カナダ生活をかいつまむ
カナダは面白かった。みんななんか自由やし、日本人以上に優しいし、よくわけのわからんことが起きてたけど、人生そんなわけのわかることじゃないから慣れるとそんなものかと。
そこに行って初めてヴィーガンというものを知ったんですよ。生き物に関するあらゆるものを摂取しないって人。もはや宗教。植物はいいのかって思ったけど聞きませんでした。
そんでヴィーガンレストレンで働くことになる。1店舗目は日本人ばっかりやったからすぐに転職して違う店で働いた。カナディアンが多かったけど、レズや移民とかいて、ハードやけど面白かった。信頼も得て、スポンサーになるから残ってくれって言われるほどになった。これはやればできるって自身に繋がっている。

そしていま、ニートである。
ニートも飽きるし働くかとも思う。設計できるとこがいいな、将来のために。
でも、ワークライフバランスは重要なので、週2日休みと残業少ないとこがいい。給料は株式に少し投資できれば多くは望まない。

そんな感じ。

noteについて
主には建築に関することと、お金と価値観、本、雑記が投稿されるはずです。

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