自分が見知った世界のなんと当たり前でないことか
大学時代のサークル仲間に、数年ぶりに会った。
結婚した人、家を買った人、子が生まれ親となった人、新卒で入社した企業にずっと勤めている人、転職した人、休職した人。
一つ一つの人生が、そこにはあった。
そのどれもが、私にとっては想像の外側にあるもので、一個一個できる限り大事に冷静に受けとめながらも、実のところガン、ガン、とハンマーで殴られるような衝撃を味わっていた。
あの頃、大学名やサークル名で括られ、一つのカテゴリとして扱われていた私たちは、もうとっくに、同じ属性にはいないのだ。
丸一日経った今も脳の処理が追いつかなくて、なんとかしようとこうして言葉にしている。
自分が見知った世界の、なんと当たり前でないことか。「ふつう」というものは、どこにも存在しない。
私は、企業や個人のメッセージを預かって、画面の向こうの「誰か」に伝える仕事をしている。
思いこみや未知への恐怖から、他人の人生を単純化して捉えてしまってはいないだろうか。隣合わせたその人の人生は、自分が思うよりずっとずっと複雑で理解し難い。この事実を、強すぎるほど強く、胸に刻んでおきたい。