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リヴァイアサン(古賀コン7「ダンスをご覧ください」)


  

リヴァイアサン

「レヴィアタンの肉体は力強く体格に優れ、心臓は石のように硬く、腹は陶器の破片を並べたようで、背中には盾の列(のような鱗)が密に並んでいる。  口には恐ろしい歯が生えている。くしゃみをすると光を放ち、その両目は朝日のよう。口からは炎が噴き出し、鼻からは煙を吹き、その息は炭に火を点ける。海を鍋のように沸かし、深い淵を白い髪のような光の筋を残しながら泳ぐ。  どんな武器もレヴィアタンを貫けず傷つけることが出来ない。地の上にそれに並ぶものは他になく、恐れというものを知らない。何者もレヴィアタンと戦いそれを屈服させることは出来ず、見るだけで戦意を失うほどである」──Wikipedia「レヴィアタン」

「ちきしょう、またタマだ」大井の呟きが客のいなくなったフロアに響き渡った。二十二時三十分、閉店後のスーパーの青果売り場では、冷蔵商品の撤収作業が行われていた。鮮度を保つため、ジャガイモや玉ねぎなど一部の商品を残し、あとは全てバックヤードの冷凍庫に収納するのだ。大井の手に握られていたのはちょうど食べごろのビワだった。黄橙に色づいたそれはふっくらと丸く、表面を覆う繊細な産毛の手触りは新生児の頬を思わせた。そのビワの中に、タマがいた。タマはビワをちょうど上下に二分割し、その間に突っ張り棒のように手足を伸ばし収まっていた。いや、突っ張り棒という表現は正確ではなかった。タマは二分割したビワの下部に両足を均等に置き、その両腕でビワを持ち上げながら、左右に腰を振っていた。タマの腰はメトロノームのように規則正しいリズム(BPMはおよそ100だろう)を保ちながら、その愛らしい臀部を遠心力のままに大きく左右に見せつけるように振り乱していた。そして自分を手にした大井と目が合うと、腰を振ったままニヤリと口の左端を歪めて見せた。
「こいつ、馬鹿にしやがって!」「おい大井、どうし…うおっ、タマじゃん」思わず声を荒げた大井の背後から、つま先立ちになった加藤チーフ(身長161cm)が驚いた声を上げた。
「またかよ」「ええ、今度はビワです」この店の果物からタマが見つかったのは一月ほど前のことで、最初の発見者もやはり大井だった。この店の唯一の大学生スタッフである大井は、高校生のバイトを先に上がらせた後、社員と一緒に締めの作業を行うことが常であった。初めは前チーフの平井のパワハラのせいでノイローゼになったのかと思ったが、今とはなってはその方が良かったとさえ思う。王林、サンふじ、ジョナゴールド、ぐんま名月、ありとあらゆる果物からタマが発見される度に、大井達スタッフは総出で商品の全点検をやる羽目になり、長時間の残業が状態化しているのだった。

「鯛…?」石橋がそう呟いたのは、大井がちょうどタマを見つけたのと同じ時刻だった。石橋サブチーフ(おとめ座)の視線の席には、自分の担当する鮮魚コーナーの冷ケースがあった。そこにいたのは、桃色に輝く長崎県産の天然真鯛四百九十円(税込五百二十九.二円)だった。鯛の黄色い眼球の中心にある黒目は薄く濁っており、絶命していることは明らかだった。しかし今、鯛は石橋の目の前でぴちぴちと跳ねている。生き生きとした尾鰭がびたんびたんとショーケースの底を打ち付けるのを石橋が呆然と見つめていると、別のショーケースの奥でキュッキュッと何かが擦れるような音が響いた。石橋が恐る恐るそちらに近づいて覗き込むと、発泡スチロールの容器の中で、高知県産の鰹のたたき百グラム九十八円(値札シールの上に『クレイジー価格!』と印字されている)が、赤黒い断面を虹色に光らせながら身を捩っていた。

「──加藤チーフ! これ見てください」「ん? …おい、何だよこれ」 「タマです」 「見りゃ分かるよ、そんなもん。でもこれ、大根じゃん」 「大根っすね」 「果物じゃ、ねえじゃん」 「野菜っすね…」

「おいおい、嘘だろぉ〜」鮮魚コーナーの方から石橋の甲高い悲鳴がこだまする頃、グロッサリーのマサ兄ぃ(自称)は乾物コーナーで頭を抱えていた。通路の一面に、黒い何かの破片が散らばっていた。グロッサリー勤務歴の長いマサ兄ぃには、近づかなくともそれが乾燥ワカメであることが一目で分かった。問題は、その量だ。とても一袋や二袋で済む量ではない。
「誰の悪戯だよ、クソがぁ〜。こない辞めさせた中島か? あのクソメガネはよぉ〜」
マサ兄ィが掃除機を取りに戻ろうと振り向いた瞬間、棚の中の全ての乾燥ワカメの袋が開き、そこから噴水のように内容物が溢れ始めた。
 同じ頃、精肉コーナーのバックヤードでも異変が起こっていた。
「ほらほら、ねえ未沙ちゃん。ソーセージが踊ってるよぉ。おじさんのソーセー」「死ねッ!」「ぽこルペッ!」レジチーフの未沙の鋭い膝蹴りは、平井副店長のシャウエッセンを粉砕した。

「──どうなってんだ、白菜の中にまでいやがる」 「チーフ、これもう終わんないっすよ。一枚一枚捲るんですか?」 「仕方ないな、店長呼んでくるわ」
 そのときだった。 いつも閉店後に流れていたFMラジオのヒットチャートの音楽が、大雨のようなノイズに変わった。砂嵐の向こうから、くぐもった男性の低い声で、お経のように何かをぶつぶつと唱えるのが聞こえる。……ございます……猫……裸足で……笑ってる……笑って……。突然、籠に捕まえていたタマ達が一斉に鳴き喚き出した。大井と加藤がそちらを振り向く。蛍光灯が激しく点滅し、天井のスプリンクラーから水が降り注いだ。二人が戸惑っているうちに、水は激しさを増し、見る見る間に水嵩は足首の高さまで上がってきた。
「チーフ!」「け、警察! けいさつ、けいさつ」
ばしゃん。石橋は、何かが水に飛び込むのを見た。それは、発泡スチロールの包みから飛び出したトラウトサーモンだった。グロッサリーコーナーでは、水分を吸って膨れ上がった焼き海苔が、マサ兄ぃの体中に張り付いていた。精肉コーナーでは、床でのたうち回る平井副店長に、未沙がずぶ濡れのまま執拗に蹴りを入れていた。  
 
 ただいまー。どこか遠くから、大きな声が響いた。あなたー。パパーお帰りなさいですぅ。バブゥー。鮮魚コーナーの冷ケースからごつごつとした巻貝や真鱈の切り身、塩漬けのイクラが飛び出し、トラウトサーモンの方へ泳いでいく。
「リヴァイアサンだ!」 「リヴァイアサンが来る!」 タマ達は人間の言葉で歓声を上げ、籠を激しく揺さぶっている。だが加藤と大井はそれに驚いている暇はない。二人は必死に水をかき分けながら、バックヤードを目指していた。青果コーナーのバックヤードにはトラックから荷物を運び入れるためのシャッターがあり、二人はそこからの脱出を試みていた。  
 どおん。二人がバックヤードの扉に手を伸ばしたそのとき、鈍い衝突音と共に扉が開き、大きな波と共に何かが店内に侵入した。それは、二人の目には、漆黒の巨大な海蛇に見えた。海蛇は青果コーナーの売り場を無惨に蹂躙し、タマ達の入った籠を破壊した。タマ達はリヴァイアサン! お父さん! と口々に叫びながら海蛇の背に乗り、一斉に腰を左右に振り始めた。


ヒエロニムス・ボスみたいな画風にしてってAIにお願いしたら、こうなりました。

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