【要約】ブラック・スワン 第7章 希望の控えの間で暮らす
突然やってくる #黒い白鳥 (いい方の)に左右される営みに励んでいる人がいます。思想家、科学者、芸術家、こういった人たちの活動は「果ての国」の領地に属します。 #タレブ は、退屈しない「面白い」と思える仕事は、みんなこの類であると言います。
ただこの「 #果ての国 」に生きている者は、成功が果たす役割の大きさを意識して行動しています。そのため実は2重にひどい目にあっていると言います。ひとつは私たちの住む社会では、結果が得られたとして報酬が与えられる仕組みになっています。また二つ目は、私たちの体内のホルモンも具体的で安定的な結果に基づいて報酬を与える仕組みになっています。つまり私たちは水の合わない環境で暮らしていることになります。
あなたの仕事では、結果はすぐには出ないし安定もしていないけど、まわりには結果がすぐに出て安定した仕事をしている人がたくさんいます。あなたの立場は苦しいわけです。ずっとまわりの冷たい視線に晒されながら、くじけることなく、報われる日を待ち続けなければなりません。
「この1年どうだった?」と聞かれると、ちょっと、でもはっきりと心の深いところに痛みが走ります。他人の目には、彼の人生と歳月はほとんど全部、無駄にしか映らないからです。そしてバーン!大きな事象が起こって、やってきたことが全部認められる日がやってきます。あるいはそんな日は決してやってこないかもしれません。
私たちの直観は非線形なことには向いていません。経過と結果が強く結びついていました。原始的な環境においては、のどが渇けば、水を飲めば満たされます。家を建てる仕事をすれば目に見える成果が得られます。勉強をすれば、その量に比例して何かが身につくと期待します。
しかしながら、今の現実はでは線形で進み続けて満足させてくれる進歩なんてありがたいものはめったにないとタレブは言います。スポーツにしろ勉強にしても、突然上達する話はよくある話で、逆に一直線に進歩することはあまりないと言えます。
また、結果より過程が大事だと言う人もいます。しかしこの半分は嘘だとタレブは言います。芸術家も哲学者も注目されたいと思ってないわけでないし、有名になった方がいい思いができることに変わりはありません。
確かに黒い白鳥を追っている人は、大きく大事なことを考えているので、つまらない毎日の些細なことから気をそらすことはできます。ただそういう日々の実利を追う世界から手を切ったからといって、バカにされて感じる痛みや、「自分はなにも生み出していないのでは・・」と言う思いからは逃れられません。収入が得られないことより、社会の序列とか、尊厳が失われるとか、お茶を飲んでいるときにバカにされているとか、のほうが問題だと言います。
そういう意味で私たちにとって一番価値があることは、大昔の人たちがずっと知っていたことですが、「敬意」だということなのです。
人間の快楽の本性は、次のようなものだとタレブは言います。すなわち、9年にわたってまったく稼げず、それに続く1年で100万ドル稼いでも、10年にわたって10万ドルづつ稼いだ場合ほどには嬉しくない、ということです。最初の年にがっぽり稼いであとの9年間稼げないという逆の場合も同様です。心理学者はいい気分になることを「 #ポジティブ感情 」と呼んでいます。楽しく暮らすには小さな「ポジティブ感情」をできるだけ長い間に配分するのがいいということなのです。
人類の進化において、安定した少額の報いが頻繁に続いておこることのほうに喜びを見出すように人はつくられたわけです。しかしながら、黒い白鳥が人類の歴史の大部分を左右してきたのも事実です。
タレブはここでディーノ・ブッツァーティの「 #タタール人の砂漠 」の話を紹介します。主人公の下級将校ドローゴは、辺境の前哨基地であるバスティアーニ砦で国境の砂漠から侵入してくる恐れのあるタタール人から国家を守る任務を与えられます。当初脱出を試みたドローゴであったが、残忍なタタール人との戦いがただひとつの生きがいになり、残りの人生をこの砦で過ごすことになります。(そして彼が死んだ直後、彼が生涯待ち続けていた事件ータタール族の侵入ーが起こりました)
ブラック・スワン(黒い白鳥)は、外れ値であり、予想されずに起こる重要な事象でした。でも逆もあり、ドローゴにとっての黒い白鳥は、心から起こってほしいと願う、期待されていない事象であるわけです。
またこの逸話の中で、ドローゴは要塞のコミュニティーの一員でした。その外の人たちとの社会的接触がないわけです。実際に一人で生きていくのは難しいわけで、思っている以上に他人を必要とします。思想史の中でも、とっぴな考えをもっていようが、流派があれば、仲間と小さな世界をつくって、外部の攻撃から身を守れるわけです。黒い白鳥を追いかけるならお仲間がいた方がいいということです。
世の中には、一方で七面鳥みたいな人たちがいます。そうとは気づかずに吹き飛ぶ可能性にさらされている人たちです。他方には逆に、ほかの人が驚くような大きな事件( #ブラック・スワン )に備えている人たちです。
この章の最後に、 #トレーダー であるネロが登場します。ネロはその後者の、大きな事件に備えている人です。またタレブ自身であるかもしれません。
ネロの考えは次ようなものです。
この世にはめったに勝てないけど勝つときは大勝ちする一方、頻繁に負けるけど負けは小さい、そんな賭けがある。もし、ほかの連中がそういう賭けに弱く、さらに自分には性格の点でも頭の点でもスタミナがあるなら、そういう賭けはする価値がある。
ネロは20年トレーダーをやって、いい成績を収めた年は4回しかなかったと言います。ただ1世紀でいい年が1回でもあればいいくらいだと言っていますから、4回もあればよほどの利益を上げたということだと思います。
また、ネロは顧客である投資家には常に自信があるというシグナルを送り続けていました。いいとか悪いとかを測る絶対的な基準はありません。自分を測る物差しは自分でつくるのだ、という気概が大事だと言います。まさに黒い白鳥に左右される、果ての国での勝負に賭けてきたタレブの心意気を見るようです。