「うつ病を治そうと思わないのは甘えである」についての見解を述べます。

こんにちは。Twitterでフォロワー約2.4万人。メンタル関連の本を出版しているデラさんです。

本日このようなツイートをしました。ちなみに話をした方は信頼できる方でうつ病のことやメンタルについて熱く語れて楽しかったです。

うつ病についての話をしてる時にテーマとして出てきたのが「うつ病を治す方法」ボク自身も著書に考え方や具体的にしてきたことを執筆してきました。

今回は本に書いていない内容をちょっと言葉を強めに記載していこうかなと思いましたので、やっていきたいと思います。

「うつ病は治せる」

ボクは「うつ病は治せる」と思っています。なぜなら、うつ病を発症したことのある人が社会復帰していたり元気に過ごせている人を知っているからです。

まず上記の議題をする前に定義についてを確認していきましょう。

「うつ病の定義」これは曖昧にしかできないと思います。精神科のお医者さんから診断書をもらった時。体調が悪くて起き上がれない時。うつ病の診断テストで傾向が高いですと言われた時。

該当するものが多いけど、ここでは「病院に行って診断書もらうなどの通院を要する治療が必要」と判断をされたり、ある期間を境に自分の体力や思考が大幅に衰えるor変わるなどの悪い変化が起こったりすることを定義とします。

「治る」についての定義ですが、これも色々と挙げ出したらキリがないので「現状のベストな生活をし続ける」ことだと考えています。

体調が回復することも重要ですが、うつ病などの精神疾患は長い期間付き合っていく病気だと思います。そのため症状が軽くなったり、重くなったりするけど日によって前日の行動によって変わってくる。

ボクの場合は、その日のベストを続けてきた結果として症状の波も落ち着いてきて完全には解放されないけど。限りなくうつ病を発症する前に近い状態に戻ることができました。

現状のベストな生活をし続けることは比例して、体調の改善にも影響があると思っています。そのため、今回の治るの定義として採用させていただきます。

「甘え」の定義について。これについては「選択肢があるのに、できる状態なのにやらないこと」だと思っています。

やろうと思えば、できる。つまり、頑張ったら今すぐに夏休みを宿題をできるけど。ダルいからやらないような状態に似ています。

うつ病になってから現状のベストな生活

要するに、定義の言葉を当てはめてツイートの内容を確認してみると「うつ病になっても現状のベストな生活を模索できるのにしない」という言葉に変換することができます。

これなら意味が分かりやすくなったかな。ボクの事例だと具体的には「体調が悪いから寝ると割り切って寝る」「この日は遊ぶと決めて全力で遊ぶ」「自分には正社員は難しいからフリーターで生きると決断する」「死にたいと思ったけど、死ねなかったから生きる」

このように自分が使える選択肢の中から現状ベストだと思える選択をし続けてきました。結論から言えば、ボクはこの言葉に賛成です。

うつ病になったことでツラい気持ちも苦しい経験もしてきたので気持ちはわかります。だけど、悪口を言っても愚痴を言っても状況は変わらない。

もっと言えば。うつ病になる前の生活と同じような生活をしていたら、時間をかけて体力の充電ができるかもしれないけど。また同じスタンスで生きたら貯めたエネルギーはなくなって再発してしまう。

自分だけで考えて行動を決めるだけでいい

うつ病を治すために朝散歩なんてしなくていいです。ボクはできなかったです。体調が悪いなら寝ていてもいいんです。難しいことをやる必要はないのですが、しっかり決めきることが大事だと思っています。

今の自分の状態から「これをするのが現状のベストだ」と思える行動なら何をしてもOKです。その積み重ねで未来の自分が生きやすくカスタマイズしてくれるようになっていきます。

ですが、自分で考えずに行動するクセがなければ「他人から借りた感覚」をベースに生きていくことになるので生きるのが苦しくなりやすいです。

うつ病になったら、苦しいしできることは少なくなるし、そもそも元気なくなるから何もできないです。だけど、その中でも我々は「使える選択肢」の中から行動していく必要があります。

極論ですが、死にたい人は死んでもいいと思います。生きたい人だけ生きればいいと思います。1番良くないのは「決断をせずに曖昧な状態でいる時間」は少なくとも「うつ病から回復するor治る」という観点から考えると治らない状態です。

ボクも自殺をしようと思って行動しようと思ったことがありましたが、痛そうだな。怖いなと思ってできませんでした。だからこそ、自分の中で「死ぬ」という選択肢が消えて「生きるしかない」という考え方に変わり現状のベストを尽くすようになりました。

まず「生きるのか」「死ぬのか」このレベルから自分の考えで決めることは難しいとは思うけど、誰にでも可能だと思っています。この決断をしない=誰にでも可能なのにしない=この決断の連続で治せるのにしない=治せないの甘え

という方程式かなと思っています。上記でも述べましたが、ボクは賛成派。うつ病は誰かに治してもらえるものではなくて、自分自身で何かを掴むことが重要だから。薬は補助だと思っていて、必要だけど最終的には自分自身になります。

他人に与えられた感覚で生きないこと

こちらの記事を読むことで不快感であったり、怒りの感情があったり、ハッとする感覚があったりしたかもしれません。

もちろん、うつ病を治すためのルートは色々あります。この考え方は自分が体験したものがベースなので医学的な観点や倫理的な観点から見ると考慮できない部分もあるかもしれません。

けれど、この感覚こそが「うつ病から回復するための土台」として必要な考え方だとは思っています。

うつ病を発症して4年間。全く良くならずに悪化ばかりしていくボクは自分で考えて最善だと思う行動をすることができませんでした。他人がベースで生きていた昔のボクのような人のヒントになったら幸いです。

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