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日本車内会話集#08「会社員の男女、出張先で」
三話連作シリーズ
11月16日の結婚式にまつわる会話集
〈其の三〉
【人物】
森(34) 二子玉商事業務部課長
西川(26) 同勤務
【場面】
2021年8月11日、静岡県熱海市、夕暮
車は渋滞に捕まっている。
運転席には森が、助手席には西川が座り、お互いわずかに落ち着きがない。
西川 先輩、私聞きましたからね。
森 うん……えっと、なにを聞いたって?
西川 異動のことですよ。もちろん。知っててそれ、言ってますよね。
森 あぁ、いや、うん。異動ね、うん、あぁそのこと。
西川 それで?
森 え?
西川 え、ってなんですか。いつもはあんなに口が回るのに。どこに、いつ、どういう経緯で先輩が異動になるのかとか、色々ないんですか、話すこと。
森 あ、いや、てっきり聞いてるかと思って。
西川 聞いてませんよ。
森 でも今、聞きましたよって─
西川 聞いてませんよね。先輩の口からは。
森 あぁ、そうだね。確かに、そうだったね。ごめん。
西川 はい。ごめんは受理しましたから、とにかく続けてください。
森 うん、おーけー。じゃあ、詳しく話すよ。(咳払いして)えっと、六月あたりだったかな、部長から広報部に移ってくれないかって話が来て。うん。向こうの課長がなんでもアフリカに行くって言うらしいからね。
西川 アフリカ?
森 もっと言うとジブチだね。東アフリカ。暑い国だよ。年間の平均気温は世界で五本の指に入るって話で、それに最高気温が七〇度を記録したこともあるそうだから、どうだろう、詳しいことは知らないけど、ひょっとすると水星の北極くらいには暑いんじゃないかな。
西川 (咎めるように)先輩。
森 うん、まぁさすがにそんなことはないか。僕だって冗談で言ってるんだよ。もちろん。空気が少しで和らいだらと思ってね。
西川 ねぇ、先輩。ジブチはもう、わかりましたから。
森 いやいやちょっと待ちなよ。君が思っている以上に興味深い国なんだよ、これが。ジブチって国はね。ものすごく綺麗なビーチがあるんだけど、これが例の、いわゆる「アフリカの角」と目と鼻の先なんだ。知ってるだろ?
西川 ええ。でも─
森 要するに、ジブチはあのソマリアのお隣さんでね。かの有名なソマリア海賊さんがひょっこりレストランに現れたりするらしいんだ。それで、ただ食事をして帰ることもあれば、何を思ったか自分もろとも爆弾で店を吹き飛ばしたりもするんだ。想像してみなよ、君が松屋で牛丼を食べてたら、向かいの日焼けした男がやおら二千度近い爆風を吹かせてくるんだから、こりゃ相当おっかないよ。いくら世界一暑い国だって言っても爆弾の熱とは桁が違うんだからね。
西川 はい。ご高説ありがとうございます。
森 どういたしまして。
西川 でも先輩、私は、ジブチは結構なんですよ今は。ジブチは。ノーサンキューです。
森 うん。でもね、国際犯罪はノーサンキューでは済まないよ、君。
西川 何だろうが今の私にはノーサンキューなんです。さっさと続きを話してください。異動の話です。
森 わかった、わかったよ。悪かった。うん。それで、広報課長がジブチに青年海外協力隊で行っちゃうらしいんだ。具体的な内容は、確か向こうの、芸術会館のマーケティングとかなんとからしいんだけど。立派だよね、国際協力なんてさ。
西川 それにしてもどうして、先輩がその後に就くことになったんです。
森 そもそも、追々うちのお偉いさんらは僕を広報へ異動させようと思ってたらしいんだよ。向こうは人が足りてないらしくてさ。
西川 いつになるんです?
森 きっかり来年度から。
西川 ……ねぇ先輩。
森 うん?
西川 私達って気が合いますよね。
森 うん。……そうだね。
西川 趣味も話も合いますよね。
森 うん。そうだと思う。
西川 金銭感覚も同じだし、目玉焼きにはソース。
森 ソース以外考えられないね。
西川 デートもしました。
森 ちょっと待って。デートはしてないよ。あれはデートじゃなくて食事。それも仕事終わりに、居酒屋で軽くね。食事を数回。大概は終電の二本前に乗って帰った。
西川 わかりました、デートはしてません。でもじゃあ、なんでデートしないんですか?私のどこが不満なんです?
森 君に不満?まさか、いやそんな、これは前にも話したじゃないか。君に不満なんてないよ、もちろんさ。でも、でもね、前にも言ったけど、君のデートの相手には、僕よりもっとふさわしい相手が世の中たくさんいるんだよ。
西川 私のデートの相手を、森さんが決めるんですか?
森 そうじゃない、そうじゃないよ。もちろん。でもそう言うなら、僕にも僕のデートの相手を選ばせてくれたっていいだろ。
西川 じゃあ、なんで私じゃダメなんですか。不満がないなら、選んでくださいよ。
森 いや、ダメだ。ダメだね。僕だって自分がその人にふさわしいと思えないと、居心地悪くて仕方がないんだから。こういうのって、対等な関係ってのが大事なんだし。
西川 うーん(と不服そう)。それにしたってなんで異動のこと、黙ってたんですか。
森 なんでって、こうなると思ったからじゃないか。
西川 先輩がジブチの海賊の話なんてしなければ、私だってもう少し穏やかにできましたよ!
森 だから和ませようとしたんだって。見事に失敗したけど、そのことは悪かったよ。……それと正しくはソマリアの海賊だよ。
西川 もう!ええ、いいじゃないですか、どうせ渋滞なんです。好きなだけゆっくり話しましょう!
森 なんだよ、この前渋滞では別にイライラしないって言ってたじゃないか。
西川 今不機嫌なのは渋滞じゃなくて先輩のせいですよ!まったく!
森 ……。
西川 ……このまま私に嫌われようとしても、ダメですからね。
森 あぁ、そうかい。結構こっちとしても、捨て身の作戦だったんだけどな。
西川 異動のことも。黙ったまま異動して、そのままいなくなるつもりだったんですか。
森 ……。
西川 先輩(と発言を促す)。
森 なぁ、どうだろう、僕は……僕は君と歳が八つも離れてるのに、身長は一センチしか違わないし……。髪の毛だって、言っちゃあなんだけど、頭のてっぺんの方なんか、なんて言うか、ちょっぴり寂しくなってきたしさ。それに見てよほら、この生え際。
西川 見ました。別に普通です。
森 どうもね。でも君がそう言ってくれても、世間じゃこれは、みっともないってことになるんだ。第一僕の見た目なんて、今ですらみっともないのに、あと数年もすりゃもっとみっともなくなるんだから。腹だって今はまだマシかもしれないけど、これだってあと二、三年だね。僕は自分の見た目の将来性については、こりゃもう大体の見通しが立ってるんだ。本当だよ?親父を見りゃあ一発さ。あれじゃモデルルームよりも信頼性のある完成予想図って感じだ。
西川 歳をとれば、みんなそんなものですよ。それに私は見た目の話なんて、してません。
森 そうもいかないよ。僕がぷにぷにの腹を育ててるこの二、三年で君はもっと成熟して、魅力的な人間になるんだ。僕はその頃にはついに女の子とまともに話すのにもお金を払わなくちゃならなくなる。その時、君は二十八とかそこらだろう?そうなりゃ若い男がほっとかないんだから。僕が二十そこそこだった頃なんてね、二十八だか九だか、とにかくそのくらいの歳の女性が一番魅力的に見えたもんさ。こりゃホントのこと言ってるんだから。
西川 要するに先輩は、私と先輩の歳を問題にしてるわけですか。
森 大きくは、まぁそうだね。
西川 でも八つ差なんて、世の中ざらにいるじゃないですか。何をそんなに大げさに。
森 ちょっとちょっと、時間は相対的だって、今時僕の姪っ子だって知ってるんだぜ。悪いけど、僕らの八つ差というのは、僕にとっては八つ以上の意味を持ってるんだよ。
西川 ねぇ、先輩。ふさわしくないだとか、歳だとか、どうしてそんなにこだわってるんですか。
森 ……言わなきゃだめ?
西川 言ってくれないと、この渋滞は解消されません。
森 あぁ、そうかい。これはうまいこと言ったもんだね。渋滞は解消されない、ね。
西川 先輩?
森 前の奥さんだよ。うまく言えないけど、どうしてっていうなら、別れた前の奥さん。僕の七つ上だった。出会った頃、僕はまだ大学生だった。でも、僕はその瞬間に彼女を好きになったよ。まぁその後色々といきさつがあって、二人で浮つくような経験もそれなりにできた。それで、僕が大学を卒業してすぐ、僕らは結婚したんだ。
西川 ……。
森 でも、うまくはいかなかった。はっきり言って、全部僕のせいだ。あの時僕はまだまだもの知らずだったし、今よりもずっと乱暴だった。前の奥さんと二人で一緒にいて、いつも傷つくのは彼女の方だった。彼女は僕を傷つけるどころか、いつだって僕を守ってくれた。僕は彼女に支えられっぱなしだったよ。彼女は……よくこう言ってた。「私が年上なんだから」ってね。そう言う時の彼女の笑顔はなんていうか、おふくろによく似てた。そう思うとなんだか無性に、僕は嫌気がさしてきたんだ。
西川 それはその、奥さんに?
森 いや?いや……どうだろう、僕らの関係性にかな。ともかく僕は彼女にとっていつまでも「年下の男の子」だった。なんて表現したらいいか……ふと、こう思った。ああ、この人と僕は、見えてる世界が違うんだってね。
西川 世界。
森 小さい頃は、いつか兄貴の歳を越せるんだって信じてた。身長みたいに。結局、僕は身長も越せなかったけど。とにかく頑張れば、いつか兄貴よりも年上になって威張れるんだと思ってた。でも、どうしたってこの差は埋まらない。
西川 そんなこと─
森 わかってる。年齢なんかに縛られずに、世の中上手くやってる人もいる。でも、知っての通り、僕は頭でっかちで、そういう柔軟性は期待できないんだ。君が生まれていない世界で、僕は八年生きてた。大きいとか小さいとかに限らず、その差をどう埋めればいいのか、何で置き換えればいいのか、僕にはわからないんだよ。
西川 でも、そんなの……。
森 ……君のことは好きだよ。白状するよ。まいったね、ホント。綺麗だし、話は面白くて品があるし─
西川 ちょっと、ちょっと。先輩?
森 いやぁいいから、聞いてくれ。要するに僕が怖いのは、君と見てる世界が違うってことに、いつか気づくことなんだよ。話が弾んで距離が縮まって、君と僕の歳のことなんて忘れる時間が長くなった。でもそれが長くなればなるほど、その時が怖くなる。
西川 つまりその、見えてる世界の違いを、感じる瞬間が?
森 そう。前の時のことを思うと、どうも僕は……。
西川 大体、なんとなくは、理解しました。けど、納得はしてません。
森 ああ……だろうね。
西川 ビビり。
森 うん……返す言葉もないよ。
西川 先輩。同級生だろうが、家族だろうが、まるっきり同じ景色をみてる人なんて、この世に誰もいないじゃないですか。
森 ……うん、だけど─
西川 でも、同じ世界にはいます。それどころか、すぐ隣にいます。同じ車の中で、一緒に渋滞に捕まってます。
森 それは、そうだけど……。
西川 そうでしょう?私、先輩しかいないってホントに思ってるんですよ。それは、グッドタイミングで私の傍にいたのが、先輩だったからです。それって、同じ場所の、すぐ近くにいてくれないと、できないことですよね。
森 ……。
西川 私はただ、先輩が傍にいてくれて嬉しかったし、これからもいて欲しいんです。こんなに傍にいるのに、同じものを見てるのに、全然違う見方をしてるのが楽しいんです。たまに同じ見方をしてると、特別な気持ちになるんです。
森 それは、何となくわかるけど……。
西川 私だって多少の背伸びはしますし、先輩に屈んでもらうことだって、きっとあります。同じ体勢でいるのってしんどいですからね。
森 そうは言っても……。
西川 歳の差に限らず、恋人の関係性って多分ハチドリに似てるんですよ。こまめに栄養を取って、羽ばたき続けないと、ダメになる。私、先輩が一緒に羽を広げてくれるなら、いつまでもパタパタ羽を動かしますよ。もちろんせーので、息を合わせないといけませんが。
森 ……(溜息をついて)参ったな。君は愛の哲学者か、そうでなきゃ生物学者だね。セラピストって感じじゃない。
西川 はい?
森 参った。とにかく、僕の負けだよ。
西川 ん~ということは……?
森 今度の休みどこか、水族館でも行こうか。
西川 ……私、海洋恐怖症なので嫌です。
森 えぇ……。そうだったの?じゃあ、プラネタリウムは?
西川 どうせなら、本物の星を見ましょうよ。
森 映画館。
西川 今上映中のやつは、あんまり。
森 えぇ……。早々、雲行きが怪しいぞこりゃ。ホントに僕らって気が合ってたっけ?
西川 ドライブ。ドライブ行きましょう。
森 いいけど今も似たようなもんじゃない?
西川 これでいいんですよ、全然。今度は、私が運転してもいいですか?
森 いいの?もちろん全然構わないけど─(FO)。
【終】