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雑記 2021/09/10
日々生きるなかで、考えたことや気づいたことの中でも、特に大きくnoteに取り上げてまとめるほどでもないなぁと感じたものについては、これからは雑記として、走り書きのような形で書いていこうと思う。
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3日前の夜。父と少し話す時間があった。
実家に帰ってきたとはいえど、みんなそれぞれの生活があり、なにかと忙しくしている我が家では、家族それぞれとの深い会話のようなものも、なかなかできたものではなかった。
その日も、たまたま父も僕も寝るのが遅かったという偶然で、ゆっくり話す時間がつくれたようなものだった。
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父は投資やビジネスの話をするのが好きだ。
話をするのが好きだという言っても、実際に株式投資なんかをやっていたりするので、案外好きにとどまらないような気もするけれど。
一度、父が開きっぱなしだった証券取引口座のページをこっそり盗み見たことがある。
そこには大きな赤い字で-20,***,***円くらいの数字が羅列されていた。
長男としては好きでとどまっていてくれたほうがありがたいなと思った。
自分の自由にできる資産の範囲内で運用しているようなので、なにも文句は言わないけれど。
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カエルの子はカエルではないが、かくいう僕も少額ではあるが株式投資をしている。
高校生の時に、ただお金を銀行に預金しているだけなのはどこかもったいないような気がして始めたものだった。
その日の夜の話も、僕の保有するNTTの株式がここ1ヵ月で大きな伸びを見せているなぁというような話から始まった。
好きなものについて語りだしたら止まらないといった様子は、僕も父も似たようなもので、一度話し出した父は止まることを知らず、僕も適度に疑問に思ったことがあれば質問をするなどして、会話は弾んだ。
こういう家族とのコミュニケーションの時間が僕は好きだ。
何を考えているのか、どんな風に現状をとらえているのか、共有できるから。
しかし、次第に話の流れが未来への投資という話題に移り変わった。
父としては何の意味もなく、ただ投資の話の延長線上で話しただけで、他意はなかったのだと思う。
ベンチャー企業がどうだ
若者は失敗を恐れずにチャレンジするべきだ
失敗こそが将来の価値になる
そんな話を聞かされた。
そのあたりから、僕にはその会話がどこか苦痛に感じられていたように思う。
結局、僕の反応が薄くなってきたことで会話は終わり、父も僕もそれぞれ床についた。
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9月に入って急に寒くなったのもあるかもしれない。
あるいはその日、外に出なかったので体が適度に疲労感を覚えていなかっただけのことなのかもしれない。考えすぎかもしれない。
僕はなかなか寝付けなかった。
ずっと父の言葉がグルグルしていた。
「若いうちは失敗を恐れずチャレンジしろ」
「若いうちこそいろんなことをやってみるべきだ」
なにか生産的なことをしているわけではない僕は、行き場のない罪悪感と、得も言われぬ焦燥感のようなものを覚えた。
いつまでも寝付けないままで、解のないネガティブな考えだけが頭の中を駆け巡っていた。
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今の僕には、別にこれと言って特筆すべきようなやりたいことがない。
かといって失敗を恐れてなにかに挑戦することに足すくみしているかと言われればそんなことはない。
やってみたいと思ったことはやってみているし、学びたいと思うことがあるなら能動的に学びにいっているつもりだ。
今もこうして、物を書きたいと思うから。
もっと言えば、何かを生み出したいと思うから、noteを書いている。
現状に満足しているわけでもないが、これと言って不満があるわけでもない。
そして今の僕は、なによりもただひたすらに自分の内面と向き合っていたいと思っている。
なにか対外的なアクションを起こすよりも、自分の内面としっかり向き合うことが、今の僕には必要な過程なんだと。
そんな風に、自信を持って、父に応えられないのはなんでだろう。
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抑うつ的傾向にある人は、変化を嫌うと何かで読んだ。
いろんな音楽を聴くよりも、気に入った一曲を繰り返し聴くことのほうが好きだそうだ。
僕が自分の内面と向き合っていたいという選択肢をとるのも、どこかで現状維持を望んでいるからなのだろうか。
変化を嫌って、現状を甘んじて受け入れているのだろうか。
そんな気がしてしまって、不安になった。
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こういう自分から、いつかは変わりたいとも、変わらなきゃとも思っている。
僕自身が、一番それを感じているはずだ。
でも、変われない自分をいつまでも否定し続けて、変な焦りを感じたり、どこか窮屈だと感じながら生きるのは嫌だとも思う。
僕は今の僕を受け入れてあげたい。認めてあげたい。
許される限り、やりたいことをやりたいように生きていていいんだよと、伝えてあげたい。
父さんとのあの日の話で、何かに挑戦することから逃げているわけでもないのに、僕は焦りを感じた。
僕はこのかけがえのない"今"を無駄にしているような、なにかしなきゃ勿体ないような、そんな気がした。
でも、現状で精一杯、やれることをやっているのも僕だ。
果たして父さんはどう思っているのだろう。
僕にもっと頑張ってほしいと思って、激励の意味を込めてああいう話をしたのだろうか。
父さんの目には今の僕が、ただ"今"を浪費しているだけのように映っているのだろうか。
僕は僕で頑張っている。大丈夫だよ。
それを他人にどういわれようが、関係ない。
僕は僕を生きていれば良い。
そんな風に、自信を持って自分を認めてあげられるように、僕はいつになったらなれるんだろうか。
考えすぎかもしれない。
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