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たとえば、ひび割れたグラスに水を注ぐように

「なんて言ったらいいのかわからないんですけど…。例えるなら、ひび割れたグラスに水を注ぎ続けるみたいな……」

そんな例え話が口からこぼれるように出てきたのは、もう1年も前になる、毎週火曜14時から15時までのカウンセリングの時間。

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高校2年の10月、目の前に立ちはだかった大学受験という大きな壁に萎縮した僕は、そのプレッシャーゆえか学校に行くことから逃げた。
体の良いうつ病という病名を貰って。
少なくとも僕はあの頃を、そんな風に認識している。

それからもう6年が経とうとしている。
訳もなく悩んで、落ち込んで、苦しむ日々の繰り返し。
あんなに遠く感じていた成人も終え、気づけば21歳もすでに折り返しを迎えている。
こうして書きながら、初めて6年という時間の大きさを実感している自分の情けなさに落胆する。

終わり切れなかった思春期をずるずると引きずりながら、歪な形のまま大人になった僕。

自分の行く末もわからないまま、今日も今日とて終わりのない自己との向き合いの中での気づきを、誰に宛てるわけでもないnoteにまとめている。

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「僕は愛されているのだろうか」

そんなことをふと考えるときがある。

幼少期、僕は親から虐待を受けていた。
「受けていた」といっても、当時の本人にとってはそれが普通で、特段「異常だ」と認識していたわけでもないのだけれど。

うちも普通の家庭で、周りも普通の家庭。
教育とはこういうもので、どこの家族も一緒だと思っていた。

ところがどうやら大きくなるにつれて、「うち」の教育は普通とは違うのではないか、ということに気づき始める。
まぁでも、我が家の方針なんだろう、ぐらいにしか思っていなかった。

18を過ぎたあたりから、児童虐待のニュースなんかを見ていると「あぁ、あれって虐待だったんだな」と思うようになった。
僕にとっての虐待とはそんな感じの認識だ。

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うつ病と診断される前の我が家では対話がなかったように思う。
親は「親」という役割で、子どもは「子ども」でしかなかった。
一対一の人と人との対話はなく、子どもは親の言うことを聞くもの。
子どもは親の言いつけを守らなかったら殴られ、気に食わなかったら怒鳴られるものだと思っていた。

今となって思えばあの暴力も、歪ではあるが確かに愛情ではあったのかもしれない。
そんな風に親の立場を考えることもある。
それでも、身体に残った傷もあれば、心に残った傷もある。
理解することはあれど、許したことはたぶんない。

いや、理解しきったつもりになっているだけで、どこか自分を諦観しているのかもしれない。
過去は変えられないから。

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そんな環境で育つ中で、いつからか忘れてしまったけれど、「自分は失敗作なんだ」とどことなく考えるようになっていた。

僕には少し歳の離れた妹と弟がいる。
当時の僕は、叱られるたび、親の気分を害すたびに暴力を受けていた自分と、あまり叱られず、ましてや手をあげられることもない妹や弟を比較して、どこか2人を甘やかされて生きているように感じていた。

だから、漠然と「僕は失敗作だからたくさん叱られるんだ」と思っていた。
「良い息子ではないから、良いお兄ちゃんではないから、愛されないんだ」と。

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大学受験をきっかけに内科を受診し、診断名をうけ、カウンセリングを受けることになった僕は、自分の内面に残ったトゲみたいなものを、一つ一つ解消していくことになる。
その過程で、カウンセラーの先生のご尽力もあり、少しずつ両親との対話ができるようになった。
申し訳ないことにその時の記憶はすでに朧げになってきているが、カウンセラーの先生には感謝してもしきれないくらい、今の僕にとっては大きな変化だった。

あの時のどんなことが嫌だった、こんな風にして欲しかった。
自分はどんなことを考えていて、なにをどんな風に思っているのか。

親に自分の意思を伝えられるようになった。

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いつまでも子どもだった僕も、少しは大人になったらしい。

いろんなことを理解できるようになった。
自分で考えなければいけないことも増えた。

親に自分の意思を伝えられるようになって、
親と子どもではなく、一対一の人間として対話できるようになって、

僕の中に新しい疑問が根付く。

親から愛されていないと思っていた僕。
親から愛されていないのは自分が失敗作だからと思っていた僕。

でも、本当は愛されていたんじゃないか。
おかしいのは家族じゃなくて、僕のほうだったんじゃないか。

一度生まれた疑いは、考えれば考えるほど脳に深く刻まれるようで、どうしようもない苦しさと悲しみが襲ってきた。

それから、誰に宛てていいのかもわからない罪悪感に苛まれるようになった。

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ひび割れたグラスにいくら水を注いだところで、それは徒労に終わる。

愛情の受け取り方を知らない僕に、いくら愛情を注いでも、ことは同じだ。
端的に言えば無駄である。

それなら他の誰かに、僕なら下の2人、妹と弟に、愛情を注いでほしいと思うのだ。
ありったけの愛情を、失敗作ではない2人に。

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僕と同じ環境を、僕より幼いなかで過ごした2人にだって、少なからず傷はあるはずだ。
僕を殴る父を、幼いながらに泣き叫び、止めてくれた妹の姿は、目に焼き付いて離れないとかそんな月並みな表現では不十分なくらいに、かつてないほどの衝撃とともに、僕の記憶に鮮明に刻み込まれている。

そんなこと、普通であっていいはずがない。
無かったことにしてはいけない。

傷が癒えるには時間がかかる。
僕は自分の傷に気付くのが幾分か遅かったように思う。
いろんな機会や選択を、たくさん不意にしてきた。

だからこそ、2人には僕と同じ轍を踏んで欲しくはない。

やりきれない虚しさと後悔で独りで泣く苦しい夜も。
ふとした時に襲ってくる行き場のない罪悪感や、どうしたらいいのかもわからない虚な感情と向き合うことも。

それらから逃避するために無為に時間を過ごすことも。

2人はきっと、まだ間に合う。

特に妹は、今年大学受験を控えている。
残念ながら我が家はそれほど裕福ではない。
僕の学費、諸々のローンなどの借金もある。

親も老いた。
あと何年、健康なまま安定して働けるだろうか。

僕はここ数年で十分自由にさせてもらった。
この資本主義社会では、生きているだけでお金がかかる。

エゴだ、偽善だといわれることも厭わない。
そんな風に美化するつもりも、毛頭ない。

ただ僕が生きていることで、妹や弟の将来を、明るい未来を夢見る2人の選択肢を、潰してしまうようなことになるのならば、いっそのこと僕は消えてしまいたいとすら思うのだ。

長いこと、やりたいこともない。
将来の夢も、とうの昔に捨て去った。
あの頃、400字詰めの作文用紙いっぱいに、自分の将来を思い描いた子どもはもう、僕の中のどこにもいない。

そんな僕に、失敗作の僕に、余計な労力やお金を、愛情を注ぐくらいなら、
ひび割れたグラスに水を注ぎ続けるくらいなら、その分、2人に愛情を注いであげてほしいと願ってしまうのは、わがままなのだろうか。

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詭弁かもしれない。こんなことを言っておきながら、誰かに心の底から愛されたいと、一番切に願っているのは僕なのかもしれない。
無駄なのかもしれないけれど、そうだとしても誰かに愛されていたいと願ってしまうのはきっと僕が人間である証だ。
僕に残った、「普通の人」の虚像だ。

そう考えると同時に、そんな「人間」として生まれてきたことを醜いと、「普通なのだろう」などと思ってしまう自分をおぞましいと、戦慄することすらある。

そんな風に生きるのは、ちょっとだけ辛い。

でもやはり、きっと僕は他人から愛されるのに値しないのだろう。
注いでも注いでも、愛されている実感の湧かない僕は、きっと正しく愛をとらえられない。
普通の人ができるようには、他人からの愛情を上手く受け取れないし、それを正しく返してあげることもできない。

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そもそも、愛される人はある種のルーティーンの中に生きていると思う。

自分は愛されているんだという実感があれば、自分はこれで良いんだと、自分で自分を認めてあげることができる。
自分で自分を認めてあげることは「自信を持つこと」と言い換えられるのではないか。
自信を持って生きている人は、その自信が、その人の行動や言葉に表れる。
自信に満ち溢れた人は誰しもにまぶしく映るし、そういった魅力的な人間の周りには人が寄ってくる。

「自分のことが一番嫌いな奴」とわざわざ仲良くしようなどと思う人はなかなかいない。

他人からの肯定は、自信につながり、自信はいわゆる自己肯定感につながる。互いに認め合い、愛し合い、健全で良好な人間関係を築き上げることができる。

普通の人はみんな、きっとそうして生きているのだろう。

けれど、その輪から外れてしまった僕はその限りではない。
歪な僕は、自分で自分を認めてあげることができない。
自分で自分を認めてあげられない僕は、他人に認められても、それを素直に受け取ることができない。愛情をまともに受け取れないように。

だから僕は自信も持てなければ、人に好かれるような魅力的な人間であることもできない。

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結局、僕はこれからどんな風に生きていったらいいのか、その答えはまだ出ないままだ。
もちろん先に挙げた僕の中で際限なく湧き続けるいくつかの疑問も、満足のいく解答を出せたわけでもなければ、いまだ脳裏にこびりついている。
きっとこれからもまた新しい疑問にぶつかり、そのたびに、誰に宛てるわけでもないnoteに書いてはまとめ、少しばかりの共感を得たことに対する満足感とともに、駄文として自分の考えを一蹴する。けじめをつけたつもりになる。

そんなことを幾度となく繰り返していくのだろう。

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どれほど後悔しようと、恨もうと、過ぎ去ってしまった過去は変えられない。

もう僕は、十分に何もかもを親のせいにしてきた。
何もできないままに過ぎ去っていく毎日の中で、過去は変えられないこと、どれだけ親に恨み節をぶつけたって、何も変わらないことは理解した。
そういった自分とは随分と前に別れを告げたつもりだ。

歪ではあるが、親との関係も良好だと思う。
今年の帰省では、今までにないくらいゆったりとした夏季休暇を満喫することができた。
正しく愛情を受け取れているかはわからないが、庭の芝刈りを手伝ったり、力仕事を請け負ったり、できる限りの親孝行も、意識的にするようになった。

いまだにやるべきことからは目を背け続けているし、自分の将来の展望もまったく見えない。そもそも自分が何をしたいのかもよくわからないままだ。
ここまでいろんなものをこじらせて、生きてきてしまった僕には、いままで怠ってきた分、もう少し自分と向き合う時間が必要なのかもしれない。

これら文章のすべてが、現状に甘んじることが許され、無駄な思考に時間を割くことが許される状況だからこそ書けたものなのではないかとも思えてきた。結局、僕はいまだ子どものままなのかもしれない。

そんなことを考えながら、今日もまた、変われない僕は変わらない僕に「今はまだこれで良い」と、言い訳をしながら生きている。

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りある
高校二年の冬にうつ病と診断され、ぼちぼち生きています。そんな僕の日頃の考えやぼやきを、自分なりの観点でまとめていきたいです。/みなさんの反応を励みに、少しずつ頑張っていきます。少しでも気に入っていただけましたら、スキ、SNS等へのシェアやサポートよろしくお願いいたします。