うつ病患者と一緒に暮らす
※2020年夏頃に下書きしたまま公開していなかった記事をこの度公開します。
内容は当時のまま公開しますので年月など現在からの計算ではありません。
現在は随分快方に向かっており、別方向から治療のアプローチを進めています。
今回はnoteを書き始めた理由、その経緯を書きたいと思います。
全てノンフィクションですが個人特定されそうな詳細な内容は伏せていますので若干辻褄が合わない箇所もあるかもしれませんが、そうなんだーという気持ちで見ていただけますと幸いです。
私がブログを書き始める前までの様子
現在までの様子をざっくり書いた記事のように2017年春過ぎ頃からパートナーは鬱を患っております。これは現在も上手く付き合っていっている状況です。
収入についてもう少しざっくり話すと、新卒で入社した会社で有給で休職していた&月給の8割の額面が支給される傷病手当2年の福利厚生を利用し、療養しておりました。
この休職時期は寝て過ごすことがメインでしたが、本人も焦っていたのかSEになりたい夢に向かってプログラミングスクールをオンラインで受けたりしていました。本人曰く勉強はしていたようですが大変高額な講座を受けていたようで分割で2年も払い続けていたことを最近知りました。
私の仕事は土日祝が休みですので、休日にはショッピング、映画など鬱以外は普通の休日を過ごしていましたが、とにかくすぐ疲れてすぐ座りたがります。普段外に出ない分疲れやすくなっていたうえに、鬱が原因で更に疲れやすくなっているようでした。これは現在も治っていません。
鬱症状がひどい時期は外にも出れず、私も分かってあげれず喧嘩になってしまうこともありました。「明日はどこどこ行こうね」と約束していたのに当日起きれず「出かけたくない」と言われ、「なんで?昨日事前に話して約束したじゃん出かけたいのに」というような感じです。これも現在もたまにあります。
ですが、傷病手当の支給が今年終了してしまうので収入確保のため、就職活動を開始した頃からパートナーの様子が劇的に変わりました。
就職活動が辛い
転職エージェントを利用し転職活動を開始し始めましたが、離職期間が2年間もあるため、書類選考落ちの企業が笑えるほどありました。最初の頃はある程度希望に沿った職業を選んでいましたが落ち続けるためほぼ無作為の応募に切り替えましたがそれでも落ちる企業が多く、数えてはいませんが100社近く書類選考に落ちたように感じているそうです。
また、このご時世ですので面接は99.9%オンラインでの実施でした。正直に鬱が理由で離職していたことを話した企業もあったようですが、それではやはり落ちてしまうことが多く、精神科の先生に相談したところ、「”母の看病のため実家に帰らざるを得なかった”と濁すのはどうですか?」と助言頂きましたのでそのように伝えていたようです。
書類選考で落ち続けてしまうことに恐怖や怒り、不安などがあったようでこのあたりから暴力的に暴れてしまうことが増えていました。前から喧嘩や口論になった際には手が出てしまう性格(育った環境による影響が多いようです、こちらも追って書きたいと思っています)でしたが、限度というのが振り切れてしまっているようでした。本人も暴れたこと自体は覚えているようですが実際どんなことをしたなどは覚えていないそうです。暴力については、殴る、蹴る、つねる、暴言、物への八つ当たりなどDVと言われていることです。特に鮮明に覚えていて、私が辛かったことが2つあります。
ファンデーション撒き散らし事件
休日出かける準備をし、いざ出かけられる、という時に、返事をしなければならないメールがパートナーの元に届きました。「このメールに返事を出してからにしたい」と言われたので待っていたのですが、「こんな感じで書きたいんだけどどんな風に書けばいいかな」と相談を受けたので、メールの書き方に私は少し違和感を感じたことと書き方のアドバイスをしたつもりだったのですが、どうやら癇に障ったらしく、「もう出かけない!!」と言い張るのです。「え?なんで?私もあなたも準備100%じゃん、出かけるの楽しみって話てたじゃん」と反撃したが最後、行く、行かない、なんで、行きたくない、行こうよ、の繰り返しでどんどん互いにエスカレートしていきました。私も意固地で出かけるという意見を曲げたくなく、腕を引っ張ってでも出かけたかったのですが、パートナーもどうしても行きたくありません。パートナーはどんどんエスカレートしていき、まず手と足が出ます。つねったり、殴ったり、ぶったり、蹴ったり、私は手と足で出来る攻撃全てを受けることになります。次に物に当たり散らします。クッションや私の携帯、メイクボックスなど目につくもの片っ端から投げられました。次に飼ってるモルモットのゲージを揺すって脅かしました。さらにコップに入っている水を頭からかけられたり、さっきまで着ていたパジャマにかけられたりもしました。極めつけは私の化粧品やハンドクリーム、パックなどを床に撒き散らされたので、ファンデーション事件と名付けています。
この事件の何が辛かったって、決して安くないお気に入りで何度もリピートしているファンデーションなど撒き散らされ、それを私が床の掃除をする、このことが一番つらく、悲しかったです。クレンジングを塗って浮かせてタオルで何箇所も拭き取り、撒き散らされたパックは使われず捨てることになり、職場の方に頂いたハンドクリームは未使用のままかなり床に撒き散らされました。本当に情けない感情で埋め尽くされました。
モルモットにも危害が加わってしまい、怯えて出ててきてくれなくなってしまったこと、とても申し訳ないことになってしまったと後悔しています。
私も細かく指摘せずなんとなくのアドバスで済ませればいいのに、私なら、と何度も言いすぎてしまいました。相手が求める以上のおせっかいはしない方が自分のためになりそうです。
ちなみにこの事件は2、3時間ほどやり取りがあり、腕には青あざが数箇所残っていました。
インロック事件
私の好きなジャニーズのラジオを聞いていたある日です。毎週決まった曜日にたった30分だけ、そのラジオがある日は朝から「今日は聞きたいラジオがあるから早く仕事もご飯も済ませないと」と話しています。が、ラジオが始まると邪魔ばかりしてきます。ラジオを流しているアレクサの音量を上回る音量で不快な音楽を流すのです。ほぼ毎週邪魔ばかりされていて聞くこと自体を諦めてしまう時もありましたが、この日の私は違いました。邪魔、嫌がらせ、暴れるがほぼ毎日。さすがに私の精神状態も崩れていたようで限界を超えていたであろうあの日の私は家を飛び出しました。
今までは、出来るだけ側にいて落ち着けるかもしれないハグをしたり、背中を擦ってみたりしているので、家を飛び出したのは初めてか、2回目くらいだったと記憶しています。私は少し離れたい、頭を冷やしたいだけだったのでマイバックだけを持って近所のスーパーに買い物に出かけました。丁度切れてた氷と帰ったら一緒に食べようと思ってアイスを購入し、15分ほどして家に戻ると、家の中からインロックされてしまいました。このとき22時過ぎだったと記憶しています。
鍵は持っていたので玄関の前までは入れたのですがインロックされてしまっているのでもちろんドアは開きません。まず携帯に電話をかけましたが全て無視、インターフォンを何度も押しますが無視され続け、しまいには受話器を外した状態で放置されたのでインターフォンを押しても部屋の中では何も音はしなかったと思います。要は全てシャットアウトされてしまいました。
当時はまだ猛暑前でしたがそれでも夜はエアコンなしでは眠れないほどだったので風通しの悪いマンションの廊下はとても暑かったので一旦外で時間を潰すことにしました。
ある程度都会には住んでいますが、何時間も居座れる場所はなく、出来るだけ人通りのある駅前のベンチに座っていました。でもそこも家に入れるまで座り続けることもおかしいかと思い、スーパーの前で人を待ってるフリをしたり、駅前だけど少し離れていて目立たないベンチに座ってみたり、何軒かあるコンビニを意味なくはしごしてみたり。
そんな感じで水分を取りながら不思議な行動をしていると24時近くに。駅前の人通りもまばらになり、スーパーの閉店時間も迫っていたのでお手洗いをお借りし、また駅前のベンチに座りました。
どんどん減っていくiPhoneのバッテリー、15分置きにかけるとってもらえない電話、このまま朝まで家に入れないかもしれない恐怖、自殺願望からオーバードースした過去があるパートナーの心配、誰かにただただ話しを聞いてもらいたい願望、勇気を振り絞ってかけた"いのちの電話"は混雑でつながらなかったけど繋がらなったことにも安心した。
本当に朝まで電話が繋がらずだったら私は今日は朝までここで座ってることになる?一駅先の高くてもいいからホテルに電話して空室の確認したほうがいいかな?でもパートナーの確認を諦めてなにかあったときどうしよう?
考えることが多くて押しつぶされそうでした。消えてしまいたかった。
そんな時間を過ごしていると25時ころやっと電話に反応がありました。プルプルと呼び出し音があったのが直留守になったのです。これは今携帯の電源が入っている証拠。すかさずLINE電話で何度もかけ、やっと応答してもらえました。こんなに自分も不安だったのに最初に確認したことは、大丈夫?でした。電話の向こうからは「寝てた、大丈夫」と返事がありました。どこにいるの?帰っておいで、ごめんね、と一言声をかけてもらいたかった。ただその一言であの時の私は少しでも救われたかもしれない。
「私、戻ってもいいかな?」「うん」「インロック解除お願いね」とだけ会話し電話を切りました。
そして無事家には入れたのですが、心配していたのに今度は顔も見たくありませんでした。謝られハグされましたが、拒否し、お風呂に入りました。とにかく苦しい感情が押し寄せてきました。
今書きながら思い返してもこの時の私は本当に限界を超えていたのだと思います。
ちなみラジオの時間に邪魔をした理由は、私が好きなジャニーズグループのラジオに夢中で構ってくれない、からでした。この理由が原因で現在も嫉妬のような、寂しいような、置いていかれるような感情が生まれて、不機嫌になったり私に嫌がらせをしたりします。
ブログを書き始めた理由
上で書いた2つの事件以外にも細かくあり、そんなことを重ねて苦しい時に必ずする行動が理由です。
「うつ 暴力」「うつ 家族 つらい」と毎回同じ結果だと分かっていても検索してしまうのです。
ちなみに検索すると「暴力的に暴れてしまう場合、警察に通報する」ことが推奨されています。確かに家族を守る大切な手段です。が、私が求めた回答はそこではありません。効果があってもなくても、そういう時はこういう風に対応してみる、こういう風に対応したら落ち着いた、などなんでもいいから誰かの体験談が読みたかった。どこかすがってもいい場所が欲しかった。どんなに辛くても、愛している人を警察に突き出してしまう、そう感じてしまう行動は避けたかった。
うつ病患者のためのプラットフォームはあるのに、家族のためのサービスがないことにも疑問を持ちました。当事者はSNSを通じて当事者同時で交流し支え合ったり、うつ病とはどんな病気なのか発信することができますが、その当事者を支える家族も苦しく、先の見えない毎日を過ごしています。その家族同士が情報を交換するサービス、プラットフォームがあってもいいんじゃないか、と思い書き始めました。
もし私と同じように検索して誰かにすがりたい、なんでもいいから情報を手に入れたい、と感じている人を私の体験記を通じて支えてあげることができれば嬉しいです。
中の人のコメント
「パートナーが鬱」ということは私は全然恥ずかしくもなければ、隠したいことでもありません。
これまでこんなにもつらい、苦しいと書いていますが、パートナーのことは今も大好きです。パートナーがうつ病になっただけで、うつ病のパートナーではありません。
家族やパートナー、親しい友人が未知なる病に陥ったとき、本人も苦しいですが、苦しんでる姿を見ている、支えている周りも苦しいときがあることを当事者含め、世界に発信出来て、気軽に相談出来る環境がくることを願っています。