ホン雑記 Vol.268「リアルタイムトラベル」
記事のネタがない、または書けそうにないって時は、糸井重里氏の『今日のダーリン』を見に行く。
すると、なんやかんや浮かんでくる… か、軽くパクらせてもらって割と上手くいく。そろそろいい加減にしようと思う。頻出しすぎだ。
が、今日の話はまた良かったのでまたパク… いやいや、モチーフと言っていただきたい。
今日の『今日のダーリン』(重複感あるな)をズゴゴッと圧縮すると、
自分は「もしいま若かったら?」と何度か聞かれて来たんだけど、そんなことは考えたこともないし、だけど「もっとこうだったら」なんてずっと思ってきたし、だけどやっぱりそのままで良かったのだと思う(なので取り立てて若い自分に言うこともない)、と。
だったんだけど、最近になって言えることが出て来たという。
それは「誰でもいいから、その人のやってることは面白いなぁという人に付いて行ってみたら?」ということ。
真剣になって追いかけられることはそこにある、と。
そして最後に、こんなにはっきりとは分からなかったけど、若い時の自分はそういうことを探していたと思う、とあった。
オレには気持ちの悪い性癖があって、どうも本当にタイムトラベルができるんじゃないか? と思ってるフシがある。いや、論理的に考えたら無理なんだけどさ。
痛みの強さ(部位によることも含め)は、緊急の肉体のメンテナンスを教えてくれる。
同様に、感動の中でも「懐かしさ」にだけ異様な心の反応を示す(ソッコーで号泣に近い泣き方をする)オレは、この痛みのような反応を受ける肉体ならぬ感覚器に代わるモノがあるんじゃないかと思ってしまうのだ。
ま、有り体に言えばそれは「魂」と呼べるかもしれない。特に、自分よりも他人の後悔・無念に反応する。冷たいほうなんだけどなぁ。
もしこの琴線に大きな意味があり、タイムトラベルめいたものがあるなら、それは現世ではこういうことではないか。
つまり、糸井氏とオレを同一人物だと仮定してみると、いまオレが彼の想いを強く受け取ったことで、若き日の彼にその想いを伝えられたのと同等だ。
それはつまり、年老いたオレが振り返っていまの自分に伝えられたということと同等だ。自分自身に対しては絶対に叶わないはずの時間旅行が、他者を自分とイコールとするといとも簡単に辻褄が合ってしまう。
オレの中身は、「タイムトラベルできるよ」じゃなくて「キミたちはみんな同一人物だよ」に反応しているのかもしれない。
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