雑記1180「その生き様、意外にちゃんと轍かもしれないよ」
またNHKの「こころの時代」の話。精神科医の名越康文氏の回だった。
この人、前からやっぱすっきゃねん。で、やっぱオレの好きそうな話をしてくれた。
彼が10歳ぐらいの時、父方の祖父が亡くなった。その葬儀で初めて父親が号泣するのを見る。
父は薬剤師で腕っぷしも強く、名越少年にとってはスーパーマンのような人だ。その父親が、その父親を亡くすことがこれほどの悲しみを孕む。
少年はなんとなく医者になるんだろう(なりたくはなかったらしいが母方も医師の家系で両親の希望とプレッシャーもあり)、人を助け、豊かな生活を送るんだろうと漠然と思ってたけど、死んでしまったらすべてなくなってしまうじゃないか、何ひとつあの世へ持っていけないじゃないか、ということに気づいてしまう。
祖父が亡くなってから、一週間ほど寝られなかった。
(このあたりはヴィクトール・フランクルにそっくりで、自分も死ぬんだという恐怖ではなく、なんのために生きるのかという大きな無常に襲われたんだろう)
小さな少年の心にはその苦痛は耐えがたく、ある時脳内に「箱」を作った。彼はそれをパンドラの箱と呼んだ。
10歳の子供が拵えたその箱は現実との別なく、脳内にちゃんと存在しているという。そしてその箱に、この無常を封じ込めようと決めた。
実際のところはどうなるかはわからないが、これ以上この懊悩を続けてたら死んでしまうと思った。
「この虚しさはなかったことにする」。その決意は封印され、ちゃんと頭の中で箱が開かないようにガムテープでぐるぐる巻きにまでした。
時が経って、27歳の青年がいた。医者にもなれた。
ある夏の日、坂道を下っている時にやたら熱い風に吹かれた(これはたぶん現実の描写だろう)。
するとその瞬間に、パンドラの箱が開く音が聞こえてしまったという。
(ここ聞いた時は鳥肌立ったねー)
「おまえ、これで終わったと思ってない?」
と囁かれた。もちろん自分の頭の中の声だ。が、この日から彼の無常がまた隣に居座り続けることになる。
それからまた時間が経ち、精神科を開業してバリバリに頑張ってる頃。
真冬でも寝汗でビチョビチョになって夜中に2回は着替えるようになる。そこで自律神経がだいぶ失調していることに気づき、整体師を訪ね、いくらか体調はマシになる。
(これは意外なセレクトだった。ほんでまた効果もあるんだね)
が、仕事は忙しく、毎日30人ほどの患者がやってくる。中にはもちろん死と隣り合わせにあるようなギリギリの人もある。
名越氏は、彼らの根っこにあるのは「怒り」だという。「どうしてこんな目に自分が…」という怒りを、毎日毎日浴び続ける。
その前から仏教に興味を持って学び、心を安らげていた彼だが、それでも精神の限界がやってくる。精神科医なのに。
いよいよおかしくなりそうな時に、真言密教の大阿闍梨を訪ねる。
そして、10歳から苦悩に見舞われ続けたこと、精神科医として人の嘆きを受け続けていることなどをこんこんと、それでも一応は短くまとめて、思いの丈を打ち明けた。
すると大阿闍梨はしばらく間を置いて、ぼそっと「大慈悲…」と言った。
「大慈悲」とは阿弥陀如来の慈悲そのもののことで、あらゆる哀しみを我が事として引き受ける心のこと。それをあなたはやっているよ、と。
大慈悲。仏教を学んでいた彼はその言葉の存在は知っていたけど、手の届かない遥か高みにあるものだと思っていた。それをまさかこの人から言ってもらえるとは…。
学生時代の名越氏は外科医になりたかった。
そこをゼミの仲間に精神科の見学に誘われる(この時点で精神科の存在さえ知らないほどやる気ない生徒だった)。
そこで蒼ざめた顔をして診察室に入っていった中学生ぐらいの少女が1時間後にはりんごのほっぺをくっつけた顔で帰って行くのを見た時に、「いったいどんな魔法を使ったんだ」と心を掴まれ、精神科医を目指すことになる。
大阿闍梨の…いや、窮地に頼った人間のひとことは、大の大人にとっても魔法のほうな力を持つんだなぁ。
彼は40代でバリバリに臨床に当たってた時代にも、「俺は必要のない人間なのか」と自分を責め苛んでたらしい。これだけ人を救ってる人でもそのドツボにハマるってのは驚きで、オレみたいなもんがことあるごとにそう思うのは、そりゃー無理はないんだとまた救われる。
世界から見た自分の必要性なんて、自分で測れるもんじゃないんだろう。
いま生きてるって時点で、世界はあなたを要るから置いてあるんだよ。
きっと。
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