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雑記1168「瓢箪からスンゲー駒でるかもよ」

今日のエピソードはオレ的には強烈だった。
ってか、みんな的にもきっとそうだろうぜ。
ぜ。


NHKでやってる「理想的本箱 君だけのブックガイド」って番組で、大江健三郎の『「自分の木」の下で』というエッセイ本を取り上げてた。
その中に「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」という項目があって、これに対する大江氏の解答が異次元だった。で、サイコーだった。

大江氏はこれまでの人生で、二度その問いについて考えた。幸いなことに、二度ともいい答えがやってきたという。
そのことは、彼が自分の人生で手に入れた数知れない自答のうちでも一番良いものだったという。


健三郎少年は村にある森に入るのが好きだった。
ある日、激しい雨の中でもいつものように森で遊んでいて、発熱してそのまま意識を失ってしまう。その二日後に大きな木のほらの中で倒れているところを村の消防団に助けられる。

が、隣町から来た医者に「もう手当ての方法もない」と言われるほどの瀕死の状態だった。幾日も寝ていないはずの母親だけが、一縷の望みに賭けて看病を続けていた。そして、夢の中の出来事のように呆然とした中でこんなやりとりをした。

「お母さん、僕は死ぬの?」
「いいえ、あなたは死なないわ。そう願っているわ」
「お医者さんは、この子はもうどうすることもできないって。聞こえてたんだよ。僕は死ぬんでしょう?」
母はしばらく黙ってのち、こう言った。
「もしあなたが死んでも、私がもう一度あなたを生んであげる。だから大丈夫」
「けれどその子は、死んでいく僕とは違う子供でしょう?」
「いいえ、同じ子よ。あなたがいままで見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、すべて新しいあなたに話します。そうしていまのあなたが知っている言葉を新しいあなたも話すの。だからふたりの子供はすっかり同じよ」

彼は「なんだかよくわからない」と思ってはいた。それでも本当に静かな心になって眠ることができた。そして翌朝から回復していった。とてもゆっくりではあったけど。

また小学校に通えるようになった彼はボンヤリと考えることがあった。
いまここにいる自分は、熱を出して苦しんでいたあの子供が死んだあと、もう一度産んでもらった新しい子供じゃないだろうか?
あの死んだ子供が見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、以前からの記憶のように感じているとしたら?
そして僕は、その子の言葉を受け継いで、こうやって考えたり話したりできるんじゃないだろうか?

空想的な彼はさらに飛躍する。
もしかして、この教室、あの運動場にいる子供たちは、みんな大人になることができないで死んでいった子供たちの、その代わりに生きているんじゃないだろうか?
そして僕らはみんな、その言葉をしっかりと自分のものにするために学校に来ているんじゃないか? きっとそうだ。国語だけじゃなく、理科も算数も、体操ですらも、死んだ子供らの言葉を受け継ぐのに必要なことなんだ!

ひとりで森の中に入って、植物図鑑と目の前の木々とを照らし合わせているだけじゃ、死んだ子供の代わりに、その子供と同じ新しい子供になることはできない。だから僕らはこうやって学校に来て、みんなと一緒に学んだり遊んだりしているのだ…。

現在に戻ってきた彼は言う。
「このお話を、みなさんは不思議な話だと思われるかもしれません。私ですら、あの冬のはじめ、やっと病気が治って静かな喜びとともにまた学校に行けるようになった時にははっきりと理解できていたことが、実はもうよくわからなくなっている、という気がします」


どや。もうおわかりでしょう。強烈なエピソードだって言ったのが。
この母親の言葉、そして彼自身の強固な空想がなければ、日本人でふたりしか受賞していないノーベル文学賞受賞者の二人目足りえてないのは間違いないんじゃないだろうか。

オレいま、ヘレン・ケラーの本も同時に読んでるからわかる。
彼女も当時でも偉大な作家だったけど、それは文才があったからじゃなく、「私、歩く、どこへ」というような組み合わせで、どんなことでも伝えられるということの素晴らしさを知っていたからだ。その組み合わせを変えられることが、楽しくて仕方なかったっていうんだ。
健常者ではその喜びは得られない。それを出来るままに生まれてしまうからだ。オレがよく言ってる「接触不可視の法則」ってやつだ。

大江氏もそう。瀕死の状態から復活して、先代の自分の想いを引き継いでいるのがこの自分なんだ、そして「みんなもそう」なんだ。だから学ぶということがどれほどの奇跡なのか、と理解できた。
それがたとえ彼の空想の中の出来事でも、それは彼にとって事実であり、「みんなもそう」であった通り、みんなの出来事の中でもその結果を見せることになる。


最近のオレは「『好き』って現象はマジですごい」ってよく言ってんだけど、これってまさにこういうことなんだと思う。
好きだけじゃなくて、なんでか知らんけど続けてること、続けられてること、続ける羽目になってること、なんかもそうかもしれんね。

「オレにとっちゃこれがそうなのかもしれんぞ?」
と空想させてもらえるものがあることは、ホント有り難いです。





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仲大輔
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